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対話の持つ力と意味。佐渡での「SADOTS」を通じて決意したこと。


トイログ運営のオノです。

2020年10月22日~23日にかけ、佐渡島で「SADOTS」というイベントに参加しました。

現地での様々な体験を通じて多くの学びを得ることができたと同時に、私が何故ここまで対話に惹かれるのか、自分にとって対話とは何なのか、自分が人間として何を望んでいるのかに改めて気づくことができました。

少しそれを皆さんに共有差し上げたいと思い、この記事を書くことにしました。

1. SADOTSとは


SADOTSとは、

佐渡観光交流機構とパーソル総合研究所が連携して主催されている、佐渡島の魅力を実際に体感し「人と人」「課題とソリューション」「首都圏と地方都市」など、さまざまな要素や可能性を点と点でつなぎ、新たな線や面を共創する取り組み

というものです。
今回はその初回ということで、15名程の参加者、2泊3日での開催となりました。

私が参加しようと思った理由は、
・これまで探求してきた対話を軸にした共創・組織変容の体系を実践の中で学び直すことにもなる
・各地の山で遊ぶことを20年以上やってきた身としては国内諸地域の方と触れ合うことは大きな意味を持つ
といった個人的なもので、佐渡島は初めてでしたし、一体どんな体験ができるのかワクワクして当日を迎えました。


2. どんなことをしたのか?


一言で表現するなら、本当に素晴らしい体験でした。
プログラム実現に力を尽くされた佐渡島&パーソルの皆さん、一緒に参加した仲間にこの場を借りて感謝です。

3日間の流れはざっくり下記のようなものでした。

1日目:佐渡についての勉強や現地で生活されている方々との車座対話
2日目:丸1日使ってのフィールドワーク(チームに分かれて島内に散開して各々でリアルに触れる)
3日目:視線を「自己と未来」に移して、参加者同士でのダイアログ


気づきや学びは山のようにありますが、それらを得ることができたのは、3日間を通して島を歩き、そこに暮らす人達の声を聞き、剥き身の五感で佐渡を感じようとしたからだと思います。

10名程の方とお話しましたが、お一人お一人、佐渡に居る理由も考えていることも価値観も全く違う

リアルに触れるにつれ、「地方」「島の人達」のような記号で一括にして考えることの無意味さに直面し、佐渡の外側にいる自分に一体何が出来るのだろうという思いばかりが深まりました。

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パッと目に見える事象を課題であると断定して解決策を論じることは簡単です。
でも、それがリアルな課題だと思っている人は恐らく存在しない。佐渡の人々が望まない解決策には何の意味もありません

何より、お話を聞いた方々にはそれぞれの夢や目的があり、それに近づくために思い思いの努力をしているのであって、佐渡を課題解決の対象としているわけではありませんでした(当たり前ですが)。

一つ一つの体験の中でそういったことが段々と分かってきて、私自身も「島外から来たプログラム参加者」ではなく、「一人の人間」として、佐渡に正対したいと思うようになりました。

でも、そう思い至った時にはあっと言う間に3日目の朝がやってきてしまいました。

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3. 自己を見つめ直して…(これまでの自分)


3日目は朝からきれいな古民家に場所を移し、目線を自己に向け、自分って何なんだろう?から振り返ります。

少し書かせていただくと、まず思い返されたのは子供の頃のこと

私は、昔から気の弱く、友達の輪に入りたいけど入れないタイプでした。
面白い話が出来るわけでもなく、人見知りもあったので、友達の輪にただ入っていく自信が持てない。

そこで、輪に入るための自己防衛として見出したのが「一芸に秀でる」ということ。

一芸があれば、その芸を認めてもらうことで輪の中に入ることができるかもしれない。そう思って、1人で努力しさえすれば上達するもの(絵、楽器、工作など)に没頭し、「絵のうまいオノくん」といった肩書を得ることで安息を得るような子供でした。

そのくせ、友達の輪に入るための「権利」めいたものを得ようとしていた反動で、その権利があるのかどうか?という評価的視点で友達を見てしまい、攻撃的な面もあったと思います。多くの友達を傷つけてきた子供時代でした。

また、そういった考え方は大人になってもなかなか変わらず、自分の意思というよりは居場所を得るために仕事をガムシャラにやる。不安にかられてブレーキを踏まずに走り過ぎて、身体やメンタルを壊す。そんなことをしたりしました。
その過程で自分が遺伝的に持つ小さなハンディの存在を知り、自信を完全に失ったりしました。

4. 対話によって救われた経験と、対話の場に対する自己認識の変化


その自信喪失の状態から立ち上がる過程で出会ったのが、対話です。

対話は、自分とは異なる考え方に触れることで新しい意味を形成したり、自分の変容のきっかけを生み出すことが出来る素晴らしい場です。
私自身、対話を繰り返す中で自分の嫌な所に向き合い、認め、過去ではなく未来と現在に目を向けられるようになりました。

これまで私は、「対話によって得られるもの」に価値を感じていると自己認知していたのです。

また、その「得られるもの」を多くの人に得てほしいと思い、自分も対話の場を作る側に回るようになりました
※その辺りについては、↓のnoteに書いています。


しかし...
3日目のペアワークでハイポイントインタビューを行った際、ペアになった方から貰った一言が、私のその自己認知を変えてくれました

「対話って面白いですね。対話の場では誰もが対等だから、オノさんが子供の頃に求めていた、何もなくても居られる友達の輪と似ていますね

目から鱗でした。

私にとって対話とは、新しい気づきを得られる場というだけでなく、「一芸に秀でる必要もなく、肩書も必要なく、ただ一人の人間として他者に相対できる」、子供の頃からずっと求めていた場そのものだったのだと気づいたのです。

これはとても大きな発見でした。

視界がバーっと開けていくような感覚があり、まさにUの谷の一番底に辿り着いた気がしました

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5. 私自身が、世の中にどう関わっていくのか


私は、世の中をもう少し寛容にしたいのです。

「それいいよね」
「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないよね」

そんな言葉が交わされる、おおらかで許容することができる社会。

能力が高いとか低いとか、そんなくだらないことで人に物差しが当てられない世界

能力開発の仕事を15年もやってきて辿り着いた確信は、能力の高低という残酷な物差しそのものをこの世から無くさなければならない、ということでした。

私のように、他者からは見えない小さな生き辛さを抱えている人は大勢いる。
誰かが決めた尺度で自分の価値を測るのではなく、ありのままの自分を受け入れ、自らの意思で努力していく

そう思える人が増えれば、生きづらさを抱えて一人悩む人は少しずつ減り、世の中はもっと寛容になれるはず

だから、私は対話の場をこれからも作り続けるのです

そして、対話の場を作ることは、自分自身がずっと求めてきた在りのまま居られるかけがえのない場でもあるのです。

6. 自然な自分を認め、心に問いを持つ


3日目の終わりに、

・今後どんな自分を大切にしていくか?
・在りたい姿に近づくために心の中にどんな問いを持って日々を過ごすか?

という2つの問いについて考えました。

私は、1つに目の問いに対しては以下のように書きました。

「結構ネガティブだし、人と距離を近づけるのが今も苦手ではあるけど、それはそれでOKとして、自分が善だと思うものに真っすぐに行動していく。でも時には逃げたり、スルーしたりもする。」
こんな自分を今後も大切にしていく。

2つ目の問いの答えは以下です。

(佐渡で出会った方々のように)
「今日も自分の思いを大切にしていられたか?」


こうして、3日間の旅は終わり、慌ただしく帰りのフェリーに乗り込みました。


余談ですが、今仲間と一緒にオンラインを使って世界中の誰もが気軽に対話の場に入れるプラットフォームを作っています。

モノを作りたいという感情が出発点でしたが、今回のSADOTSで、それが自分自身の大きな目的意識と完全に符号したように感じています。

SADOTS、本当に素晴らしかった!

今はまだ佐渡について語れるものはありませんが、一人の人間としてまた佐渡に渡り、何かを感じてみようと思います

そしてこれからも、トイログなどを通じて多くの対話の場をつくっていこうと思います。

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