見出し画像

「noteを書く自分」と「日記を書く自分」は別人だと思う

4月1日に、自己紹介に関する記事を書きました。

そこで「私なりの文体の変え方について書きたい」と述べました。
より正確に言えば「私だけの文体の変え方」になりますが、今回はその話をしてみます。


noteとは別の場所で、日記を書いています。
2017年に登録したブログサイトで、一年間続けて書いて休んで、また一年間続けて書いて……なんてことを繰り返してきた、のんきな場所です。

noteを始めたのは、2023年の11月。
それよりも少し前、2023年の9月下旬に「もう一回、日記を毎日書いてみよう」と思い立って以来、続けてきて今に至っています。

きっかけは、年明けから使っていた紙の手帳でした。
A5サイズで、1日1ページの日記を書けるタイプ。
1ページを寝る前にもくもくと埋めることを、年明けから続けていました。

しかし、どうにもこうにも楽しくない。
ウェブ上で公開する日記には書けないような、仕事の話や身近な人の名前なども遠慮なく書けることは、間違いなく紙の手帳に書く上でのメリットです。
そういう良さはしっかり享受していました。
だけどやっぱり楽しくない。


何故そう思うのか、自分なりに考えた結果。

1.あまりにも赤裸々に書けてしまうと「公開する文章」として緊張感を持った表現を考える余地が無い。

2.手書きだと、書く速度が思考の速度に追いつかなくてストレスがたまる。

3.分からない漢字・あやふやな固有名詞を書きたい時、スマホやPCだと変換ですぐ書けるけど、手書きだと確認するために書く手を止めざるを得ない。

といった点が思い浮かびました。
(3に関しては本当に、手書きという手段しか無かった時代の人々へと敬意を表したいものです)

えっじゃあ手帳に日記を書く理由って何??
と迷子になったところで、かつてブログサイトに書いていた日記を思い出し。
「紙に書くよりもウェブ上で書く方が、私には性に合うみたいだ」と思ったことで、再開した次第です。

その後、noteを始めたことで。
・朝は出勤前にnoteを書く
・夜は寝る前に日記を書く
といった生活リズムが身について、今に至っています。


日記を書くのは、本当に楽です。
喋るように書いているので、話題も語彙も思いつくままに綴れます。
noteの文章と比べると、読点も改行も圧倒的に少なく、漢字の割合も多め。
自分以外の人の読みやすさを気にせず「音読した時の語呂の良さ」を最優先した文章を書くことが、ただただ心地良いのです。

同じ「書きたいことを書く」でも。
noteの書き方と日記の書き方が全く違うおかげで、両方続けられていると言っても過言ではありません。


長々と綴りましたが、最後に「私だけの文体の変え方」に関する結論です。
「noteを書く自分」と「日記を書く自分」の割合を変えることで、文体も必然的に変わります。

文章の推敲に関する記事を書いたこともありますし、そういう推敲後の文章を好きと言っていただけることを有り難く思いつつ。
noteに書く文章も、内容によっては「日記を書く自分」の濃度を上げる選択をしてもいいのかな、と考える現在です。


お読みいただき、ありがとうございました。
「読み手さんのことを考えて」などを度外視した日記、アウトプットの練習にもおすすめでございます。よかったらぜひ。
今日も良い日になりますように◎

#66日ライラン11日目



※文章の推敲に関する記事はこちら。


この記事が参加している募集

noteのつづけ方

私は私のここがすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?