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枝垂桜を綴る手紙

それは八十四歳の祖母へ送る手紙です。

便箋には春の写真を一枚添えて
封をしました。

山里にある
こぢんまりとしたお寺の境内で見上げた
一本の枝垂桜は、
もう百年以上もの間
そのお寺の参拝客を見守り続けてきた
老樹でした。

地面にどっしり根を張り、黒く太った幹を構え
力強く畝る枝ぶりは見事で
この桜が越えてきた長い歳月を思わせます。

枝を辿るようにして空を仰げば、
そこには溢れ咲く爛漫の花。
青い空を背景に
大きな、大きな花の笠が広がっていました。

時おり吹く風に
花は、しなやかに揺蕩い、
それはまるで

桜色に透ける染物が
ふうわり、ふうわり、となびく姿のようで
言葉にならない魅力が
辺り一帯を満たしています。


花見に訪れた人たちも
言葉少なに木の下に佇み、
ただ、風に舞う花びらだけが忙しなく
目の前を行き交うのでした。

この風景を祖母にも見せてあげたい、と
書いた手紙。
祖母は昨年末の骨折で
ずいぶん脚を弱くしました。
長く歩くのは難しいので
出かけるのは億劫みたい。
何をするにも遠慮がちになってしまったことが
気がかりでした。

あの四月の美しいひとときが
祖母へ届いてほしいと
花のこと、空のこと、風のこと、
思いつくままに綴ります。

そう遠くないところに住んでいるのですが
ちょっとしたサプライズの気持ちも込めて
手紙は、郵便で届けることにしました。



それから
幾日か経ったある夕方のこと。

勝手口のところに、
新聞紙に包まれた苺のパックがふたつ、
ちょこんと揃えて置いてあるのに
気がつきました。
貼られたレモン色の四角い付箋には
「お手紙ありがとう」
の文字。
やや頼りない、ぶっきらぼうな字です。

「おばあちゃん、
昼間に持ってきてくれたみたいやね」と母。


それは、祖母からの
思いがけない

春のお返しでした。



緑のヘタをくるりと反らせて
肩まで赤く染まった苺は
頬張ると、じゅわあっととろけて
濃い甘さと程よい酸っぱみが広がります。

私は度々祖母に手紙を書くのですが
考えてみると
こうして文字のお返事をもらったのは
初めてのことでした。
「自分の字は恥ずかしいから」と
書くこと自体、あまり好きではないのです。

そんな祖母がくれた、小さなお手紙。

付箋の文字が
嬉しくて、なんだか愛おしくて。

離れていても
季節を一緒に楽しめる手紙を
これからたくさん書くね、
私が色んな景色を
おばあちゃんに届けるから、
気が向いたらまた
素敵な花を見に出かけようね


そんなことを思いながら
付箋をそっと、手帖に挟めました。



一本の枝垂桜がくれた
心に残る、やさしい春のできごとです。


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