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春 隣 の ほ う じ 茶 ラ テ


桜は枝の先にぷっくり蕾を膨らませている。
徐々に日脚が伸びていって
夕暮れの空を眺めるのが楽しい。
青果店の店先には真っ赤な苺が、ちらほらと。

春が、ゆっくりと
近づいてくる気配がする。

 2月3日    「 春 隣 」
冬の終わり頃、春がもうすぐ近くまで来ていると
感じること。「隣」には手で触れることができる
ほどの近さが感じられます。蕾が膨らみ始めた街
路樹や梅の木に気付気づいて、春の日差しの暖か
さを人よりもひと足早くけ止めている草花に、春
を教えられているような思いがします。
美しい日本の季語 金子兜太監修



「美しい日本の季語」という本を
開いている。

ページをめくるたびに現れる季語は
どれも新鮮に感じられ
表現の巧みさに感動する。


昔の人たちは日の光に合わせて
生活のリズムをつくったり、
雨や風の細やかな変化を読み取って
季節の移ろいを感じたりと、
自然が、暮らしの中に深く根を下ろしていた。


だからこそ、
そこで生み出された言葉は
美しく、繊細で、
自然を愛でる心に溢れている。

【冬麗】ふゆうらら
厳しい寒さの冬に、時折訪れる、晴れたうららかさな日和。

【風花】かざはな
寒気に混じり突然はらりと舞い落ちる雪や雨。

【返り花】かえりばな
冬に、春を思わせる暖かい陽気に誘われて桜やツツジが季節外れの花を咲かせること。

【春の水】はるのみず
雪解けによって川や湖沼にたたえられる豊かな水。


表現された景色が
あざやかに目の前に浮かんでくるみたいだ。

読書のお供に、と淹れた
ほうじ茶ラテをひと口含む。
まろやかな口当たりの中に
香ばしいお茶の香りがする。


私たちは今、
昔の人たちが思いもよらないような
豊かさの中を生きている。
モノ、食糧、娯楽、情報。
溢れるほど満ち足りている。

それなのに私は今、
昔の人の持つ感性に対して
はるかに大きな豊かさを感じ、
憧れを抱いている。

季節が見せるとりどりの表情を
つぶさに掬い上げて味わう心。
曇りの日や突然の雨といった、
不都合だと思えるものにも美しさを見出す心。
そしてそれをどんな言葉に落とし込むか、
言葉に対する粋な遊び心と
奥深い日本語の扱い方。



便利に、迅速に、正確に変化していく時代の中で
私たちが失くしてしまった大切なものを
昔の人は持っている。
そして楽しんでいる。
だからこそ、強く、惹かれるんだと思う。


窓の外、梅の苗木に目を向ける。

母を連れて園芸店を訪れたのは、先日のこと。
庭に植える花の苗を買いに来たのだけど
私が目を奪われたのは
深紅梅の苗木だった。
大粒の蕾が鈴なりついている。


「6月には引っ越してしまうから、
今から買うには勿体ないかな。
今年は楽しめても、これから
年をかけて立派になっていく梅を
私は見ることが出来ないから。」
と私が言うと、母は

「梅の咲く頃に、こっちへお花見がてら
帰ってくればいいじゃない。
よかったら、彼も一緒に。
毎年の、梅の開花宣言は任せて!
だから、ね!買おうよ。」
と言ってくれた。

遅くに産んだ子だった上に
自身の世話焼きな性格も加わって
子離れできない母の、
口実とも思える梅の花。

母の笑顔になにか、胸がジンとする。



「恵まれた時代に生まれたからこそ、
心の豊かさを育みたい。」


季語に触れたことで
より一段とその気持ちが強くなった。
まだ時間はある。
めぐる季節を身をもって知ることができる。
先を生きた日本人たちが
残してくれた言葉を学ぼう。


母と並んでこの梅の木を見上げるとき
より深く
その情景を
味わうことができるように。

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