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第五回 ザシキワラシに寄り添う

エピソード

 夜に布団で眠っていると、ふと目が覚めた。何処からなのか物音が聞こえる。耳を澄まして聴いてみると、どうやら家の外から鳴っているわけではないようだ。気が付くと身体は動かない。金縛りだ。唯一動く眼球で様子を窺っていると、人の気配がする。笑い声が聞こえる。闇に潜む何者かは大人ではない。恐らく小学校低学年ぐらいの子供だ。子供が部屋にいる。やがて視界にその正体が入ると、ぼんやりとではあるが、おかっぱ頭で着物を着た子供であるとわかった。布団の周りを楽しそうに歩いている。遊んでいるようだ。しかし、不思議なことに自分自身に恐怖心がない。穏やかな感情である。すると、今度はその子が布団を引っ張ってきた。何をしているんだ。悪戯か。そんなことを考えていると、意識は遠のいていった。
 翌朝、目が覚めると、夜に起きた怪異を思い出す。部屋の様子に特に変わりはない。あれは一体、何だったのか・・・。
 この不思議体験の後、どういうわけか自分の事業が軌道に乗り、金銭的にも精神的にも多幸感を得ることが出来た。

 このような体験は、現代を生きる私達にとっての「ザシキワラシ」に遭遇したときの典型的な例である。これは私の体験談ではない。誰かから聴き取り取材をした怪異体験でもない。例としてよく耳にするザシキワラシ体験談を簡単に纏めて創作してみた次第である。如何にも、よくありがちな話だと思われた方もいるだろう。
 今回は、ザシキワラシについて、その一般的な定義から日本各地に点在する伝承、言い伝えなどに至るまで、持論を交えながら考察してみたい。

呼称と表記

 まず初めに、話を進めるうえで気掛かりになってしまう読者が多いはずなので、呼称の表記について考えてみよう。
 先述のように、私は文章を書く際には「ザシキワラシ」と片仮名表記している。その他の表記として、「ざしきわらし」「座敷わらし」「座敷童」「座敷童子」などが主な表記でしばしば見かけることがある。
 岩手県遠野市にある早池峯神社では、毎年四月二十九日に「ざしきわらし祈願祭」が開催されているが、ここでは公式には平仮名表記で案内されている。
 同じく岩手県で二戸市にある旅館・緑風荘、盛岡市の菅原別館では、ホームページや宿の案内板には「座敷わらし」と表記されており、平仮名と片仮名の混合である。
 そこで、これから「ザシキワラシ」についての諸説を考察するうえで、本稿ではまず片仮名表記で統一する。漢字には元来それぞれ意味が込められている為、ザシキワラシを多角的に考えるには、定義や意味に縛りが掛かってしまう漢字での表記は避けたほうが良いとの判断である。

緑風荘の看板。「座敷」と「わらし」の混合である。
早池峯神社では「ざしきわらし」と平仮名表記である。

 では最初に、漢字表記の「座敷」について考えみたい。読んで字の如く、意味としては、畳などの座具を敷いた部屋で、時代が進むにつれて来客を饗すための空間としても機能するようになった場所を指す。
 「童」は「ワラワ」「ワラシ」「ワラベ」などと読む。妖怪では「河童」、身近な言葉では「児童」などに使われる漢字であり、すなわち子供の意味である。
 二つの単語を組み合わせた言葉が「座敷童」だが、私の感覚としては、近頃、「子」を付け加えて「座敷童子」と表記されることが散見される。しかしながら、携帯電話やパソコンの文字入力で「ざしきわらし」と入力して変換しても、一発で「童子」と表示されず「童」となる。
 これは現代において、ザシキワラシがメディアや旅館、「妖怪ウォッチ」や「鬼滅の刃」などの妖怪がテーマの漫画やアニメのブームの流れを汲んでメジャーな存在となったことで、子供のイメージをより定着させる為に、「子」をわかりやすい表現として付け加えられるようになったのではないだろうか(ザキシワラシを妖怪と見做すかどうかは後述する)。
 ちなみに、「童子」は「ドウジ」とも読み、仏教用語である。酒呑童子などの妖怪で読み方は有名である。もともとは「ドウジ」という読み方で浸透したものが、「ワラワ」や「ワラシ」に「子」を足して、子供の印象が付け加えられたことで「座敷童子」という表記が社会に許容されるようになったと私は考える。
 しかし、敢えて正当性に拘ると、この表現では出現場所が家の中で限定されてしまい、例えば廊下は除外される。私が片仮名表記を好むのはこの為でもある。そう考えると、やはりザシキワラシとは、突然、屋外から侵入して人間を脅かすのではなく、特定の場所に住み着いていると考えることができる。
 勿論、住み着いているということは、最初は何処からかやってきたきっかけがあるとしても、ザシキワラシという概念がどこかの時代で成立して以降は、「いつかは去っていく」というマイナスのイメージや、家の出入りについては漢字表記の縛りによってあまり気にされなくなったのかもしれない。私たちのようなオカルトが好きな人以外の世間のイメージとしては、「座敷童子に会うと幸せになるらしい」くらいの感覚であろう。

菅原別館の階段と廊下。ザシキワラシは座敷にのみ出るわけではない。

性別と年齢

 続いて、性別について述べてみるが、性自認などの心の問題を考慮せずに生物学的な身体の特徴だけで判定すれば、雄か雌の二種類しかいないだろう。ここで、ザシキワラシを「男の子」「女の子」と表現して話を進める為には、年齢についても言及する必要性が生じる。また、本稿では子供のイメージで書き進める為、年齢を表す漢字を「才」で統一する。

 そこでまずは、ザシキワラシを語るうえで欠かせない書物である一九一〇年(明治四十三)に柳田國男が記した『遠野物語』を参考にする。この著書は柳田が岩手県遠野市出身の佐々木喜善から地元に伝わる不思議な話を聴き取り、収録したものである。このなかでザシキワラシについて纏められている箇所は項目の十七、十八である。まずは簡約して十七を取り上げてみよう。

「土淵村の今淵家には、帰省中の娘がいた。ある日、娘が廊下に出てみると、ザシキワラシに遭遇して驚いた。男の子であったという。また、同じ村の山口に住む佐々木家では、母(喜善の母)が縫物をしていると隣の部屋から物音がした。板戸を開けてみたが誰も居ない。しばらくすると今度は鼻を鳴らす音が聞こえたので、さてはザシキワラシの仕業だなと思った」

 十七で注目すべき点は、今淵家のエピソードで娘が遭遇したザシキワラシは男の子で廊下に居たということである。先述のように、ザシキワラシの出現場所は座敷に限らず、各話に依れば実際には様々な場所に姿を見せる。私は柳田のザシキワラシについての考察を全て把握しているわけではないので、漢字表記についての価値観が私と彼で共通しているのかは不明だが、遠野物語では天狗や河童などを漢字表記するなどの使い分けが見られる為、何らかの意図があるのかもしれない。

 続いて十八を纏めてみる。

「ザシキワラシには女の子もいるという。土淵村の山口孫左衛門の家にはザシキワラシが二人いると言い伝えられている。ある時、村のある男が橋の近くで二人の娘を見かけた。何処から来たのか尋ねてみると、山口家から来たと言うが、これから何某の家に行くと言う。二人が出て行ったとなれば山口家も家運が傾くかと男は思ったが、ほどなくして山口家の主従数十名が茸の毒に当たって死に絶えた。唯一、生き残った七歳の女の子も年老いて子供もなく病死した。二人が移り住んだ家は今も続く立派な豪農となった」

 ここで登場するザシキワラシは女の子である。しかも人数は二人であり、十七と異なり男との会話が成立しており、人間との遭遇が鮮明に描写されている。
 また、家系の栄枯盛衰に関わる出来事が記されており、ザシキワラシの言い伝えのマイナス面、負のイメージがここで初めて書かれている。家にいる間は幸福を齎してくれるが、去ってしまうと不幸になるという物語の基本的な首尾が、この一話に包括されている。

 これら二つの話では、男の子と女の子が登場するわけだが、各話とも具体的な年齢は書かれていない。「子」と記されているということは成人していない年頃であるようだが、この二話については詳細が不明なので、次に年齢が明記されている例を取り上げてみたい。

遠野駅前。
今や線路が敷かれた遠野。だが奥に映る山や脇の草木からは自然の豊かさを感じる。
日本の原風景を思わせる遠野。
田畑が至る所にある。

 後に遠野物語の増補版という位置付けで一九三五年(昭和五)に刊行された『遠野物語拾遺』の九十一では、同じくザシキワラシの記述がある。
 ここでは、附馬牛村のある家から赤い振袖を着た十才くらいの女の子が出て行ったという噂が紹介されている。具体的な外見について言及しており、イメージが湧き易い。

その他、講談社コミッククリエイト 編『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科 VOL.05』(二〇〇八年(平成二十年) 講談社)では、ザシキワラシの言い伝えが複数話紹介されているが、次に引用する三話は北上市・奥州市で出現する四、五才ぐらいの子という共通点がある。一部抜粋する。

「臼搗きわらし」夜中に現れて石臼で米をつくなどする。

「チョウピラコ」座敷童子のなかで最も色白だという。

「ノタバリコ」男の子の姿をしており、夜中に土間から茶の間にかけて這い回る。

 個性的な名称がついているが、遠野物語拾遺の九十一よりも年齢は若く、子供の印象を受ける。ザシキワラシに関する記録や文献の数は膨大にあるので、一部に目を通しただけにすぎないことを断っておくが、それでも四、五才ぐらいのザシキワラシの報告が多いように思う。
 日本ではかつて元服という風習があった。男子の成人を示す為の通過儀礼であり、時代や公家や武家などの身分、戦況や立場によって基準となる年齢が明確ではないが、多くの男子は「十一から十七歳」で元服を迎えた(第二章 武家の成人|本の万華鏡 第三十一回 成人の儀式―古代から近世まで―|国立国会図書館 (ndl.go.jp))。
 ザシキワラシに遭遇したときの印象として、「有難い気がする」とか「可愛らしい子供に逢えた」と思うのは伝承に沿って考えれば当然である。しかし、仮に十才を越えた男性を成人と見做せば、ザシキワラシの年齢がそれ以上の姿で目撃された例もあるようなので、時代背景を考慮すれば、少し大人の男の印象が強くなり、家にいきなりそんな男が現れたら有難いより怖い気もする。やはり子供の愛らしさは何物にも代え難いということか。

容姿

 服装については、男の子は青色、女の子は赤色の着物やちゃんちゃんこ、振袖で語られることが多い。書籍やインターネットの画像検索で確認しても、イラストで描かれる際は、そのような色使いが主である。先程取り上げた日本妖怪大百科では、これらに加えて黒色の服を着たザシキワラシも居たとの報告が載る。しかし、青色や紺色、黒色などは暗い部屋では判別が難しい色であるので、曖昧だと言えよう。
 容姿や背恰好は、子供であるなら多くは年齢に比例するが、特筆すべきは顔や肌の色である。
 遠野物語の五十六、五十九では河童の項目があり、遠野の河童は顔が赤色であると言われている。河童については本稿では深く言及しないが、同じくザシキワラシも顔が赤いとの記録が、盛岡市に伝わる「座敷ぼっこ」に見られる。

出没地域

 次に、ザシキワラシの出没地域について考えてみたい。現代でも、フジテレビ『世界の何だコレ!?ミステリー 』内の企画で、俳優の原田龍二氏が、ザシキワラシが出ると話題の宿に赴き実態を検証するなど、当番組での情報をはじめとして日本各地で噂は後を絶たない。
 それでも、やはり東北地方、その中でも岩手県に多く言い伝えが残っているという印象だ。遠野物語が影響を与えていることは明白だが、水子供養や死者婚礼など、東北には独特の風習があり、その一部が現代でも継続している点から見ても、あの世や彼岸、不思議な世界へ寄り添う気持ちが強い風土が、ザシキワラシ伝説を数多く生み出したと私はみる。

住み着く場所、憑く対象

 出没地域から派生して、より細かく、ザシキワラシは誰に憑くのかを考えることも重要である。
 現代ではザシキワラシに逢えるかもしれないと評判の旅館が全国に複数存在する為、「泊まりに行って逢うと幸せになる」「不思議な現象に遭遇してその後で幸せになった」との声は旅館の口コミで散見される。この場合は、個人に憑いて影響を与えるパターンである。
 しかし、遠野物語に依れば、紹介される話は先述のように家系に影響を与える場合や、特に幸不幸に関係なくただそこに居る様子である。
 言い伝えとしては一族の盛衰に影響を与えたことが主であったものが、いつしか、噂を聞き付けた人が、その場所や空間に居合わせるだけで幸せを分けてもらいたい、と個人への御利益へと発想を転換したことが、人に憑くと言われるようになったきっかけなのかもしれない。
 実際に旅館に泊まったとか、早池峯神社に参拝した人が後に幸せを感じるようなエピソードが身の回りで起これば、そのような個人に憑く、家に付いて帰るという新たな伝説が加わることは自然である。体験者にとってそれは実話なのだから。

緑風荘の「槐の間」。座敷である。

ザシキワラシの正体

 ここまで、ザシキワラシについて考察を展開してきたが、そもそもザシキワラシは幽霊なのか。または妖怪なのか。神様なのか。いよいよ話が本質に迫ってきた。妖怪を特集した番組や書籍では妖怪として取り上げられることが多いが、私は幽霊だと思う。近年、フジテレビで不定期放送されている『妖怪ランキング大百科』(第一回 二〇二二年二月十三日放送、第二回 二〇二三年四月二日放送)では、妖怪という括りでランクインしており、妖怪図鑑と謳った書籍でもザシキワラシは頻繁に見かける。
 しかし、私はザシキワラシを幽霊にカテゴライズするわけだが、理由がいくつかある。これらを述べていく為には、併せてザシキワラシの起源とされる説を提示しつつ考えてみる必要がある。

 第一に、幼くして何らかの原因で命を落としてしまった子供の亡骸を、土間に埋めた説である。避妊の技術がなかった時代には、子供の数を親が調整することは困難であった。そのような環境で生まれ、育てきれないと判断された赤子は、親が自らの手によって間引くことが考えられた。
 臼搗きわらしとノタバリコを先述したが、方法としては石臼で子供を圧殺してから土間に埋めたとされている。また、病気や飢饉、事故で亡くなったとしても、同じく遺体を土間に葬り、埋め立てることで、少しでも我が子の供養になればとの親心が、信仰や伝説になったとする環境的側面から考察した仮説だ。このような成り立ちでは妖怪や化物の要素はなく、元人間である印象を強く受ける。

 歴史を遡ってみると、御霊信仰など、祀る方法によって人も神に成り得るので、妖怪か幽霊かという判断よりも、幽霊か神かの区分はもっと曖昧である。柳田は「妖怪零落論」を説いたが、これは信仰を集めていた神が信仰を失い、妖怪へと堕落したと考える説である。『妖怪談義』(一九七七年(昭和五十二年) 講談社)に収められた「盆過ぎメドチ談」(初出 一九三二年)など、あらゆる場面で柳田は持論を展開した。
 しかし、民俗学者の小松和彦は、『憑霊信仰論』(一九九四年(平成六年) 講談社)に収録された「山姥をめぐって――新しい妖怪論に向けて」で確認できるように柳田に反論したが、柳田はすべての妖怪に持論が当て嵌まるとは考えていないようで、両者ともに一部の妖怪への指摘は正しいと私は思う。

 南米にヤノマミ族という先住民族がいる。ヤノマミとは「人間」を意味する。私が学生時代に文化人類学の講義でヤノマミ族について知る機会があったのだが、彼らは独特のシャーマニズムを信奉しており、そのなかでも村の女性の出産について、興味深い価値観が窺える。
 定住する村に病院はないので、女性の出産は森の中で行われる。ヤノマミ族の宗教観では、生まれたばかりのまだ臍の緒が付いた状態の子供は「精霊」と見做される。そこで、経済的、社会的理由から子供を育てきれないと母親が判断した場合は、子供をバナナの皮に包み、蟻塚に移した後で火をつけて焼く。この手順をもって「子供を精霊にする・返す」と考える。
 日本人にとっては衝撃的なシーンかもしれないが、ザシキワラシについて口減らしの可能性を追究する過程で、現代にも残る親から子への宗教観や経済的負担を考えると、ザシキワラシは世界的に見れば過去のものではないと言える。

NHKが取材したヤノマミ族。DVDも発売された。

 第二に、現代の怪談でも一つのジャンルを占めている事故物件と絡めた考え方である。国土交通省が定めた事故物件に関するガイドラインに依ると、事故物件とは「自然死や不慮の事故死以外の死」や「特殊清掃が必要になる死」が発生した物件のことを指す。これらの物件で起きた怪異は無数にあり、今や書籍やインターネットで語られることは珍しくなくなった。松原タニシ著『事故物件怪談 恐い間取り』(二〇一八年(平成三十年)二見書房)は好例であり、二〇二〇年に映画化されるほどの反響を呼んだ。
 それらで語られる怪談では、やはり幽霊の話が多い。勿論、部屋に妖怪が出てくる話も聴くが、読者のみなさんに事故物件での怪談を振り返ってもらっても、圧倒的に多いのは元人間が怪奇現象を起こす話だと同意頂けるのではないか。
 柳田は幽霊と妖怪を独自の定義で区別したが、これを参考に民俗学者の池田彌三郎も『日本の幽霊』(一九七四年(昭和四十九年)中央公論社)で、「妖怪は特定の場所に出るが、幽霊は人を目指す。また、怨霊は家に憑く」と整理して考察した。しかし、私は現代怪談の代表でもある事故物件を考慮すると、そうとも言い切れないと思う。多くの元人間である幽霊は、訳があって家に住み憑いている。ザシキワラシが妖怪であるならば、事故物件に留まるその存在すべてが妖怪にカテゴライズされてしまう。これでは妖怪の幅が広がってしまい、私たちが耳にする事故物件怪談や家に出る霊の話は幽霊でないとの解釈が成り立つ。体験者からすれば、化物より幽霊のイメージがやはり強いはずだ。
 特定の場所に留まる幽霊を地縛霊と言い、留まらずに自由に移動する幽霊を浮遊霊と言うが、この定義に沿って考えればザシキワラシは両方に当て嵌まる。基本的には住居に現れるが、ザシキワラシが出るとされる旅館の宿泊者や、早池峯神社の参拝者で気に入った人の元には付いて帰ることがある、などの謂れを適用すれば、妖怪は特定の場所に出るという考え方からザシキワラシは外れる。池田が紹介した区分に基本的には同意するが、やはりザシキワラシは例外だ。
 このような視点から、ザシキワラシも元人間とすれば、妖怪の気配は私にとってはどうしても薄く、幽霊の範囲に収まる。そして、霊的な存在に信仰や供養の気持ちが入り、身内以外の多数の人間が恩恵を享受するように構造が変化していくと、最早、幽霊よりも神と言って差し支えない。ザシキワラシは信仰の気持ちが希薄かそもそもない人にとっては幽霊であり、濃厚な人にとっては神ほど格式高い存在なのだ。

現代のザシキワラシと今後

 では、ザシキワラシは現代において、新たな伝説を生み出しているのか。最後に、朝里樹著『日本現代怪異事典』(二〇一八年(平成三十年) 笠間書院)で纏められた引用書籍を参考にして、ザシキワラシの進化版や派生した話を記しておきたい。
 岩倉千春他編著『日本の現代伝説 幸福のEメール』(一九九九年(平成十一年) 白水社)には、会社のオフィスに子供が現れるという話が載る。このザシキワラシらしき子供が居る間は会社の業績は上がり、居なくなると下降するといわれており、「オフィスわらし」と呼ばれている。如何にも現代風にアレンジされた印象を受けるが、よくよく考えてみると、業績にかかわるのであれば、もともと農耕民族である日本人は自給自足こそが家業のようなもので、オフィスわらしは新しい謂れであるようで実は基本に立ち返った言い伝えと考えることもできる。
 さらに、ザシキワラシは学校に現れることもあるという。この怪異は学校わらしと名付けられている。実は古くから例があり、先に取り上げた柳田の『妖怪談義』には、一九一〇年七月頃、岩手県遠野市の土淵村小学校に、一年生にしか見えないザシキワラシが出現したと報告が載る。佐々木喜善著『奥州のザシキワラシの話』(一九二〇年(大正九年) 玄文社)にも同じ話が収録されており、加えて、別の遠野市内の小学校では、かぶきり頭で白い服を着た六、七才の子供が遊んでいたとの話も載っている。
 常光徹・楢喜八著『新・学校の怪談4』(二〇〇八年(平成八年) 講談社)には、四人のザシキワラシが宿直室に現れて寝ている教師に悪戯をする話、同シリーズの『学校の怪談「E」丑三つ時の大鏡』では、学校に現れるザシキワラシに肩を叩かれると良い事が続くという話が紹介されている。
 また、松谷みよ子著『現代民話考7 学校・笑いと怪談・学童疎開』(二〇〇三年(平成十五年) 筑摩書房)に依れば、一九三七年頃、岩手県釜石市の学校で、プールで亡くなったとされる子供たちの泣き声が命日の夜になると聞こえてくるが、それは座敷ぼっこの声或いは座敷ぼっこが子供たちを慰めているからだと言われていた話が載る。
 そして、実話かどうかはともかく、不思議な世界を考える会編『怪異百物語1 現代の妖怪』(二〇〇三年(平成十五年) ポプラ社)では、短編怪談として物語が完成しているといっても過言ではない話が紹介されている。ある学校の音楽部が毎年夏休みに校内で開催している肝試しで、二年生が仕掛け役となり一年生を待ち構えたが、各教室を巡回した一年生は誰もいないはずの教室「三年四組」で怖い体験をしたという。そこにはザシキワラシが居ると言い伝えられていたようだ。巧く引き伸ばして情景描写を加えれば、本格的な学校の怪談に仕上がりそうで興味深い。
 しかし、ザシキワラシを学校に舞台を移して表現すると、学校の怪談のイメージがあるせいで、どうしても単なる生徒の霊やトイレの花子さんとキャラクターが被ってしまい、ザシキワラシという感覚は薄れる。私にとっては先述のオフィスわらしの方が新鮮だと感じるが、皆さんは如何だろうか。

終わりに

 本稿では今なお根強い人気を誇るザシキワラシについて考察してきた。現代を生きる私たちのすぐ傍に、「その人にとってのザシキワラシ」が確かに存在する。その正体が、幽霊なのか、妖怪なのか、神なのか、さらに別の何者か。私にとっては幽霊だと書いたが、各々で解釈して頂いて良い。重要なのはその存在を追いかけたり、神のように信仰してみたり、非日常を楽しむことである。そうすれば、生活が少しでも豊かになるのではないだろうか。「第一回 カルトとオカルトの違い」でも触れたが、何事も盲信しなければ人生は明るい。

 次回からは、本稿でも登場したザシキワラシ伝説で有名な旅館、緑風荘と菅原別館について、当館の歴史をご紹介しながら、私が宿泊したときの記録や感想を素に旅を振り返ってみたい。写真も掲載するので、オーブなどについても記したい。お楽しみに。

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