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やっかいなのは、母の外面の良さ。毒母あるある。

「今の苦しみはあなたのせいじゃない、あなたは悪くない」
そんな思いで過去と向きあうことを自分に許すことにしました。
親子関係に何か痛みや疑問を感じてきた人に伝えたい。
そして、過去に戻れるなら、誰よりもあの時の自分自身に言いたい。

とーふです。今日は母ダイズについて話を少し。

ダイズは、国立大学教育学部卒業。
小中の社会と音楽の教員免許を取ったらしい

高校は県で1番の女子校出身だったことをよく自慢された。

そして、同じ就職後、わりとすぐに国立大学出身の父と結婚。職場を退職し、家でピアノ講師をしていた。

人とコミュニケーションを取るのは得意で、とーふの友達の母、ママ友達とも割と普通に明るく付き合いがあった。

ピアノの他には、菓子作りや料理が好きで、教室に通って特に菓子作りに熱中していた。カステラやクッキーはたしかに美味しかった。

外から見える母は、家でも外でも明るく料理ができるイイ母だった。

でも、娘には、何故か強烈に威圧的で、常にタスクを課していないと気が済まないようだった。

だから、やっかいだった。

病気がちな息子(とーふの弟)への態度とのギャップに、いつも戸惑い、娘がそれを指摘しても「いまさら何をヤキモチやいてるの?」などと言われるので、戸惑いを口に出したり疑問を持つ事が恥ずかしい事に思えてしまった。

外からは明るく優しく、母親らしい母ダイズ。

でも、とーふは疎外感を感じていた。
そして、それは誰にも相談したり、愚痴をこぼせるような状況ではなく、少しずつ蓄積していった。

娘は、常に学校でいい成績をとり、良い高校、良い大学、良い結婚をしないと、生きている価値が無いと、常に言われていた。

母の口ぐせは、
「病気をした弟は生きてるだけで十分だけど、あなたは生きているだけじゃダメなの。」

だった。

私は、これを言われると身体中のチカラが抜け、そして、悔しくて自分の部屋で泣いた。
病気がちじゃない自分の運命を呪ったり、自分はどこまでいけば生きてる価値があるのか途方に暮れた。

今、振り返ってみると、母のその発言は最低だ。
片方は生きているだけじゃダメで、もう片方は生きてるだけで十分だなんて、そんな兄弟は共に幸せになれる気がしない。

でも、母は外では、最強のイイ人を気取っていた。おそらく今もそうだ。

でも、母は、生きてるだけじゃ不十分なんだと言い続けた娘とーふに「もう会いたくありません」と縁を切られた。

仕方ないと思う。
とーふにとっては条件付きの苦しくて仕方ない関係性だったのだ。

そして、今は母とつながりを切り、心の平安がある。

母が外からみてどんなにイイ人でも、私がそのイイ母を捨てた、どんなに悪い娘にみえたとしても、私は元には戻れないし、戻るつもりもありません。

そして、私は、私以外の誰かが同じように親と健康的な断絶をする事を否定しません。
心を押し殺して親とつながり続ける必要性は無いのです。

あなたはあなたの心の平安を大事にしていいんです。あなたを一番にして下さいね。

今日、今この時を、生きているだけで、自分をたくさん褒めてあげて下さい。


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