少しずつ、インストールされた毒に気づく。

「今の苦しみはあなたのせいじゃない、あなたは悪くない」
そんな思いで過去と向きあうことを自分に許すことにしました。
親子関係に何か痛みや疑問を感じてきた人に伝えたい。
そして、過去に戻れるなら、誰よりもあの時の自分自身に言いたい。

とーふです。

毒親の毒の怖いところ、、、
それは毒の巡りが長期化してしまうということ。
長期に、そして無意識レベルに浸透してしまって、
(まるで勝手にインストールされてしまった劣悪プログラムのように)
毒を無効にするためには自分自身を責めて消えてしまいたくなる、
という方向性にいつのまにか向かっている。

人によっては、自分に向かわずに、
自分の子どもやパートナー、大切な何かへの破壊行為として
表面化したり。

毒の作用、内容も人それぞれ。

とーふの中にある、この毒は、
「大事なコトは自分一人で決めてはならない」
という毒。

そして、だからなのか、自分にとって大切な誰かの決断に
「あなたのことが心配だから」と言って、余計なこと(ネガティブな側面)を伝えてしまう時があるという、毒。

むかし友人が旅行に行く時の周りの反応について話をしていて、
「親とか友達に“気をつけてねー”って言われるのって呪いみたいで嫌い。言われなくても気をつけてるんだから、“楽しんでね”で良くない?」
というのを聞いてハッとした。

確かに、、、。

気をつけてね、って言う前提には、あなたの行く先には危険が隣り合わせだよ、だから気をつけてね、というイメージングをされてる感じだ。。。
危険喚起は大事かもしれないけど、それよりも相手の危険回避能力を信頼して、
「思いっきり楽しんでー」
と、伝えられる方がカッコいい。

とーふの母は、
「気をつけてね」
の過剰な人だった。

だから、私はいつも自分の決断が母の考えに沿わない決断になった時、
失敗して罵られるのを過剰に恐れた。

もうかれこれ成人してから20年以上経っているというのに、
何故か自分の決断にとことん自信が無い

楽しい予定を立てていても、最後は不安になる。
あれ?この決断は間違っていないだろうか?損しないか?怪我しないか?

新しいことを始めることへの躊躇と、
そうかと思えば、自暴自棄的な無謀な決断をしたり。
その両極端を行ったり来たりする。

最近、やっと自分が決断が苦手だ、という事に気づいた。
長い長い期間、インストールされっぱなしだったいらないプログラムを、
「要らない」
と、認識できてから、少しずつ世界が変わり始めた。

あなたも、あなたの中の「毒」に気づいたら
先ずは「この毒は要らない」と心でつぶやきましょう。

きっと少しずつ、見える風景が変わってきます。

まずは、深く呼吸して、生きてください。
生きているだけで、大丈夫。

今日もありがとう。


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