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こんな時代だからこそ敢えて文通なんてしてみませんか


読書中に手紙を書きたくなったのは、これまで生きてきた人生の中でこれが初めてだったと思う。

私は、「読書の秋2021」の課題図書である、「ののはな通信」を手に取り読み進めていた。

あらすじ

ののとはな。横浜の高校に通う2人の少女は、性格が正反対の親友同士。しかし、ののははなに友達以上の気持ちを抱いていた。幼い恋から始まる物語は、やがて大人となった2人の人生へと繋がって……。

ののはな通信はタイトル通り、のの(野々原茜)とはな(牧田はな/磯崎はな)の手紙、メール同士のやりとりで関係性の描かれる作品だ。

ののとはなは高校で出会い友達になる。1度は二人の間に距離ができるものの、はなからの連絡により、再び文通や対面を中心としたやりとりが再開される。そして20年の月日が経ち、今度はののからの連絡によりメールでのやり取りが開通される。

ページをめくり二人の行方を追っていると、私の頭をどうしてもよぎる人物がいる。
ののやはなと同じく、私が高校時代に出会ったある友人だ。彼女とは楽しかったことや好きな人、悩み事まで全てを話し共有した関係であると私は思っている。
そんな彼女と手紙回し交換(長方形のメモを封筒のように折るアレ)という手段でお互いの気持ちをやり取りしたことは1度もない。なぜなら、私達が高校生の時には既にメッセージアプリ(LINE)という文化が発達していたからである。(歳がバレるね)
だが彼女とフェイストゥーフェイスで交わした言葉の数々や、LINEでのメッセージの山、長電話の回数は記憶として今日の私を生かしている。そんな訳で2021年の今日までを過ごしてきたのだが、私は彼女に手書きの文字で気持ちを伝えたことが何回あるのだろうか? とふと思い返したのである。

私が彼女にきちんとした手紙を書いたのは、記憶の限りだと1度である。彼女が就職する時だ。高校から当時までを振り返り感謝の気持ちを述べた内容の手紙であった。

少しだけ話が脱線するのだが、私たちは手紙の他にもう1つ手書きの文字で気持ちを伝え合う手段がある。卒業アルバムだ。私は元来友人を多く作るような社交的な人物ではなかったため(彼女も似たような気質であるだろうと思う)、卒アルのページを余し、門出を迎えることとなった。卒業式当日の夜、クラスメイトが大規模な打ち上げを行う中、私達は2人きりでこっそりとファミレスで小さな打ち上げをした。そこで私の方からか彼女の方からか忘れてしまったが、「卒業アルバムに、大人になってからメッセージを書き込むページを作ろう」という提案があった。
ここでいう大人になってから、というのはすなわち「所定の年齢を迎えたら」という意味である。それはキリのいい数字で区切られており、その間の空白は、高校時代のように直接かLINEかという手段で埋めることになる。その分設けられた空白のスペースが私の心を映し出しているようである。

数年前に、スマホの機種変をしLINEを引き継いだら、「メッセージを表示できません」という表示で埋め尽くされていた。さながら映画「君の名は」で起こった瀧のスマホから三葉の書いた日記が次々と消されていくシーンのようだ。
私たちの交わした気持ちを、記憶を、どうにか可視化できないものか。
随分と私のひとりよがりではあるが、黙読中にそう思ったのである。

思い返せば私は過去(小学生時代)に文通や手紙交換でもらった手紙の数々を未だに保管している。この小説に出てくるののやはなのように。
きっと私は“手紙”が好きなんだと思う。
相手が紡ぐ言葉の一節一節を噛み締めて紐解いた時に、筆を執り机へ向かい合った瞬間の緊張感や熟考が便箋越しに伝わってくるからであろう。そしてそれに賞味期限が無いことも好きな理由のひとつだ。いつ読み返しても喜怒哀楽が込み上げてくる。
(そうか、レターセットを集めるのが好きな理由もここから来ているのかもしれない…)

だから私は改めて、出会った日から今日までを思い返しながらしたためることにした。

私は普段LINEや電話であらゆる出来事を彼女に話している。彼女もまた、彼女自身のことや彼女の周辺で起こった出来事を話してくれる。
だが無情にも人は忘れゆく生き物である。
「そういえばあの事って話したっけ?」「この間からいってた話の結末はどうなったの?」と電話で問いかけることもしばしばだ。だがその一方で、二人の身に起こった星の数ほどの出来事も覚えている。
彼女と迎えた出来事は、作中の表現をお借りするならば「築いた神殿」であり「砂に埋もれた遺跡」として、私の記憶の中で息を潜めている。私はそれを掘り起こし蓋を開けて見てみるとどれもキラキラと煌めいている。記憶に生かされているとはこのことなのだろうか。五感を刺激されるような楽しかった思い出たちが私の日々を彩ってくれている。
私は脳内での記憶を頼りに、私たちの身に起こった様々なことを振り返る。一緒に行った場所も、共有しあった好きな人の名前も。
そうして思いついたものを次々と文面へ書き起こしてみた。
彼女はこの手紙を受け取ったらどんな反応を示してくれるのだろうか。「懐かしいね〜」と笑ってくれたらこの上ない喜びである。

私は「ののはな通信」と出会い、改めて友人と連絡を取り合える環境や、こんな時代だからこそ手紙という手段で気持ちを交換し合うことの大切さに気づいた。

私は高校を卒業してから彼女と別の道を目指し、当然進路も別となった。その時に初めて毎日同じクラスで顔を合わせられないことの寂しさを痛感した。だからこそどのような手段にせよ連絡を取り合える環境の素晴らしさに感動をしているのである。

そして、紙面や癖字が紡ぐやりとりが一時代(というのも中々に大袈裟だが…)の思い出を風化させずに遺してくれていることで私は今日まで美しい記憶を持ち生きてこられたことを痛感した。

彼女との出会いで私の人生が大きく変わった。
様々な感情を刺激してくれた彼女には感謝してもしきれないくらいだ。
私はそんな彼女とこれからもLINEや電話、そして手紙でもやり取りを続けていけたらと思っている。そして、「ののはな通信」ではながののへ年賀状を送り続けたりののがはなへメールを送信したりして空白期間を埋めたように、私も彼女と連絡が取れなくなったとしても、一瞬で空白を埋められるような関係でいたい。


最後に友人へ
伝えたいことは手紙に書いたはずなのに、こうして文章化するとまだ溢れてきてしまいます。
突然手紙を送ってしまってごめんね。
手紙を書いた理由はこんな感じなんだけれど、また改めてあなたに伝えようと思います。
この先の卒アルのスペースも埋められたら嬉しいです。また会いましょう。
こんな時代だからこそ、敢えて文通なんてしてみませんか。
もしもあなたが首を縦に振るなら、私は可愛いレターセットを調達しに行こうと思います。


#読書の秋2021

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