カリブの島で生活を始めてから半年が経ちました

青年海外協力隊としてセントビンセントに派遣されてから半年、任期の4分の1が終わった。かなりあっという間だったなという印象。

みんなの憧れ、カリブ海の南の島での生活。

ぼくのような南の島に派遣される隊員は、一般に「リゾート隊員」と羨望と嫉妬を込めて呼ばれる。

常夏、透き通ったきれいな海、陽気な人々、トロピカルなフルーツ…。

そんなイメージがあったし、ネパールの山奥での凍えるような生活や、アフリカの僻地とは違って優雅で都会的な生活ができるんだろうなと思っていた。

それらはある意味では間違いではなかったけれど、もういろいろ一周した。

週末を利用してイメージしていた通りのリゾートに旅行もした。とても良かったけれど、同時にしんどいこともいろいろ遭遇した。小さな島国故に、大半を輸入に頼っていて、食の選択肢が少ないし、ぼくが日本で享受していたような類のものは日本以上の値段がして日本のクオリティの半分。それでも、それをありがたいと思って食べている。

蔑称で呼ばれ、からかわれ、人生で初めて人種差別を経験したし、今現在も経験している。

セントビンセントが嫌いになり、なんのためにがんばっているのか、がんばろうとしているのかわからなくなり、心底うんざりもした。

そういう時期が過ぎて、落ち着いてきたのが今というところか。

優しい人にもそれなりに出会った。

良い面と悪い面を一通り見聞きして体験して、ようやくフラットな目で見れるようになったかなと思う。

これまでの人生で3か月以上、日本を離れて生活したことがなかったから時々不思議な気持ちになる。

始めの方こそ、きちんと日本のニュースを追っていたけれど、それがだんだんヤフートップニュースだけになり、その頻度も下がり、今ではTwitterのTLで話題になっていることだけ一応チェックする程度になった。かといってセントビンセントのニュースを逐一全部チェックしているわけではない。

7年前、ぼくはセブ島に2か月間、語学留学していて、当時ロンドンオリンピックの時期で北島康介が金メダルを取っただの、「超気持ちいい!」が日本では流行ってるらしいよ、なんて日本人同士で話してたりしてたけれど、今はそんなことは皆無。数少ない日本人と会っても日本の話題はない。

それが良いかどうかわからないけれど、帰国がまだまだ先のことだからということが大きいんだろうなと思っている。

伝わらない英語にストレス溜まってるし、言い訳がましいけれど、しんどいことばかりだけど、よく半年がんばったなと思う。よく生き残った。

ぼくの好きな短編小説の1つにこんな一節がある。少し長いけれど引用する。

あの宇宙飛行士は、永遠のヒーローになったとはいえ、月にいたのはたった二時間かそこらだ。私はこの新世界にかれこれ三十年は住んでいる。なるほど結果からいえば私は普通のことをしたまでだ。国を出て将来を求めたのは私ばかりではないのだし、もちろん私が最初ではない。それでも、これだけの距離を旅して、これだけ何度も食事をして、これだけの人を知って、これだけの部屋に寝泊まりしたという、その一歩ずつの行程に、自分でも首をひねりたくなることがある。どれだけ普通に見えようと、私自身の想像を絶すると思うことがある。(ジュンパ・ラヒリ「三度目で最後の大陸」より)

インドで生まれ、イギリスで学び、アメリカに移住したインド人の男が新たなスタートを切ろうとする息子を微笑ましく眺める一節。

ぼくはことあるごとにこの一節を思い出す。

初めて一人旅をしたとき、東京に引っ越した時、一人で海外出張したとき…。

それぞれの瞬間で、ぼくは最初の人ではないし、誰かに自慢できるようなものでもない。他の人から見たらよくあること、よく聞く話のひとつにすぎない。

日本を離れて半年、って学部留学してる人なら4年だし、もっと過酷な環境で活動してる隊員だっている。

けれど、ぼくの人生では初めてのことだったし、不安がないと言えばウソになる。ぼくはハーフでもなければ帰国子女でも、英語ペラペラでもない。社交性があるわけでもない。

ほんとよくやってると思う。

そろそろ、成果をだすためにギアを上げて活動しないといけない時期を迎えたけれど、今日は、今夜は、報われない中で心折れずに耐えてる自分を褒めたい。


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