見出し画像

え、ぼくバスケのプロポーザルの添削もやってるんだけど…これ厳しいなぁ

セントビンセントの朝は早い。

多くの仕事場の始業時間は朝8時から。

スーパーだってその時間から開いている。

朝6時半、WhatsAppにメッセージが届いた。

バスケ教室のプロジェクトをやっているウィリアムだ。

あいかわらず、ぼくは律儀にバスケ教室に顔をだしていて、プロジェクト自体も順調でジョージタウンから始まり、グレッグズでの教室も子供たちもコーチも数が集まって、地元のコーチに教室の運営を任せ、ぼくら本営は3つ目の地、つい最近リッチランドパークで教室を始めたばかりだ。

順調にバスケ教室の開催場所を増やしているといっても良い。それは上記のリンク内でも述べているけれど、順調にことが運んでいると考えてもよいと思う。

この時間にくるメッセージというのはぼくの経験上ろくなことがない。

遊びの誘いなら夕方か夜だし、朝の時間ってみんな小忙しいはずだから。

内容は、プロポーザルの添削をしてくれというものだった。

こういうことをやろうと思っているんだという共有とかではなくて、添削なのか、完全にバスケ隊員だな、ぼくは。

しかもめっちゃ難しい単語ばっかり使ってて読めない。知らないから。

ぼく、英文の契約書は何度か扱ったことあるけれど、それよりも難しい。

日本語でいうところの、「本提案は、我が国における恒久的なバスケットボール競技の発展のための個別具体的な定性的施策案とその意義を説くものである」的な背筋伸ばして読むタイプの文章になってる。

うげぇー、きっつーと思いながら朝はスルーして、お昼にちゃんと読むと、先週の活動のときに露呈した問題の解決を図るための提案だった。その問題の懸念は当初からあったから、もっと前から練っていたのかもしれないけれど、タイミングが良かったので仕事が早いなと感心した。

その問題というのは、地方の地元コーチに任せたバスケ教室が開催されてなかった問題。

先々週、リッチモンドパークでの2回目の教室を少し早めに終えた後、ぼくらはグレッグズに向かった。託したバスケ教室がきちんと運営されているか確認するためだ。

で、案の定開催されてなかったというわけだ。

4カ月ほど、この国で生活してきての体感だから、独断と偏見に過ぎないけれど、所得格差が結構あって中間層が少ないんじゃないか説を以前唱えたけれど、それと同時に、いわゆるエリート層と一般層の間で仕事とか責任感に対する価値観に大きな溝があるように思う。

前者はいわゆる日本とか先進国の仕事に対する考え方と同じで、任された以上はきっちりやる、責任感持ってやるというのが当たり前にある。

それは資本主義社会っていうのは、信頼がものを言う世界だから、責任感がないっていうのは信頼できないというのとほぼ同義だから、みんな信頼を築いたり壊さないように約束したことはやるっていう価値観が意識的にしと無意識的にしろみんな持ってる。

例えば、映画でやくざやギャングが「You owe me!(お前は俺に借りがある)」ってセリフが発せられると、言われた方は「くそっ‼」って言いながらもそのイヤな仕事を引き受けたりする。筋を通すというのも、道から外れた人たちも、この裏の価値観で生きているという信頼を対外的に示さないと生きていけないから、その世界観を壊さないために、むちゃくちゃな奴でも裏の世界の共通の価値観で生きてる、そこはむちゃくちゃじゃない、信用できると信じてもらうために引き受ける、筋を通すわけだ。(たぶん。知らんけど)

で、その一般層というのは、そう任された仕事(依頼されてOKしたこと)に対する責任感がキツい言い方をすると希薄なように思う。

その責任感というのは、与えられた仕事の結果を出すとか、目標達成の鬼なる!っていうレベルの結果に対する責任ではなくて、とりあえず出社するっていうレベルからの責任感の話。

これは日本でよく言われる、ワークライフバランスだとか、海外の人は会社よりも自分の人生を優先してる…みたいな話とはちょっとベクトルが異なると思う。

これ、たぶん長年その価値観でやってると、そうそう簡単に変わらないし、そもそもやることに対するインセンティブがなければ変わることはないと思う。叱責するだけ虚しいだけ。無駄。

性善説、性悪性ってあるけれど、性善説を唱える人って教養ある豊かな社会とかコミュニティで育った人で、性悪説を唱える人ってそうじゃない場所で育った人説というのをぼくは持っていて、この場合はルールと仕組みでがっちがちで固めて縛らないといけないところだと思う。

実際、ここの省庁は始業8時でタイムカードを押さないといけない仕組みだから、遅刻すればすぐばれてしまう環境だからみんなきちんと8時前に来てるらしい(出社後きちんと仕事してるかどうかは別)。

ぼく、キングダムっていうマンガが好きでよく読むんだけど、その秦の始皇帝が中国を統一したあとに、文書行政でがちがっちに官僚を縛ってをやったかって、彼の考え方として、中国は大きくていろんな考え方を持った人がいるから、普通はこう考えるだろう、みたいなことが通用しない。勝手にめちゃくちゃやられたら困るから、ルール作って厳格に管理運用するってスタイル。

「同じ価値観でいるはずだ」という前提でいるか、そんなわけないと考えるかの差なんだけど、ここセントビンセントの場合は、国民に共通の責任感の価値観というのがないので、期待するだけ無駄なことが多いんじゃないかと思う。

*****

話がとんでもないところに逸れてしまったけれど、そのプロポーザルの内容はコーチを育成するカリキュラムの提案だった。教え方とモチベーション、責任感。

提案自体はすごく最もなことだし、間違いではないけれど、少しもにょる。

総論として、責任感を持ったコーチを育成してセントビンセントのバスケの競技人口増と選手層を厚くするというのは正しい、圧倒的に。

けど、いざ実際に実行するとして、各論でプロポーザルの内容をみたときに、具体的に欠けるとは言わないまでも、上記でつらつらと述べてきたようなインセンティブ設計というか責任感あるコーチっていう属人的なものに頼るよりも、うまくまわる仕組みを冷徹に考えた方が良いのではないかぁ、現実的なんじゃないかなぁと思う。

まぁ、どっちも足りないんだけど。

そんなことを言い始めると、そもそも教育が…という話になるし、この国失業率が25%超えてて、10代や20代の若者に限ると40%とかになっちゃうんだけど、実際景気は悪いんだけど、でも現場は人材不足に悩んでる。

難しいね。

サポートはいつでもだれでも大歓迎です! もっと勉強して、得た知識をどんどんシェアしたいと思います。