飛田建人

とびた・たけひと 1983年生まれ。岡山県出身。

飛田建人

とびた・たけひと 1983年生まれ。岡山県出身。

マガジン

  • 書類上

    小説 約7万5千字 完結済

最近の記事

「書類上 〈第7回〉」に若干加筆しました

    • 「書類上 〈第6回〉」に若干加筆しました

      • 文体練習  鏡

         おまえはひとりでそこにいる。だれも助けには来ない。  周りは壁だ。家具はない。部屋の隅に穴がある。小さな深い穴だ。穴に耳を近づけると悪臭とともに水の流れる音がする。つまりそういうことのための穴だとわかる。窓はある。自分の影が床にできている。ふり返れば上のほうに小さくて細長い窓があった。開きそうにない。天井には細い溝のたくさん並ぶ四角形があって、それはおそらく換気口であろう。立ちあがっても窓や換気口に手は届かない。跳びはねてみたところで無理だろうと思える高さの天井だ。つまり

        • 文体練習  ゆらめき

           旅行先で耳にしたのがその噂というか怪談めいたものだったのだが実際のところそれは単にひとが道を踏みはずしてしまうさまの描写であって、どこにでもあるといえば確かにどこにでもある、人がそこに複数いるかぎりかならず起こりえるような事故あるいは事件の話だった。  車で橋を数分かけて渡ればすぐに山が始まって曲がりくねった道を前の車や後ろの二輪車とピストン運動のように追いつ追われつしてのぼってゆく。そのあいだわたしの車のなかでは大きな音でテンポの速いジャズをかけていたのだが意外とそれは

        「書類上 〈第7回〉」に若干加筆しました

        マガジン

        • 書類上
          8本

        記事

          文体練習  カフカ 逃走 リズム

           それが謎だった。どうしてもわからないものが頑として僕の目のまえに存在していて、なにをするにしてもその謎が邪魔をしてうまく生活ができないのだった。謎がなければうまく生きてゆけるかと問われればそうでもないのだが、でも僕の生活におけるさまざまな障害のうちでそれこそが最も大きくて硬いものであるのは間違いないと言うことはできる。なにしろああいうことをされてしまっては常人はとまどうばかりだろうし、僕だって動揺した。これで自分の人生は終わりかと思う瞬間さえあった。結局終わりではなかったし

          文体練習  カフカ 逃走 リズム

          書類上 〈最終回〉

           それから数年が経った。そのあいだに私は自分なりに努力をした。できることを探し、それを見つけたら実行した。そのできることというのは往々にして世間という表舞台においてできることではなかった。裏の世界で行う作業だった。それらをひとつひとつ並べ立てたところでたいして意味はない。どうしてもその内容を知りたい者がいればB級映画を見ればいい。硝煙のにおいのする映画を見ればだいたいのことが描写されている。  例の容疑者は無事有罪となって物語は完結した。どういう理由で殺人を犯したかが明晰な

          書類上 〈最終回〉

          書類上 〈第7回〉

           プログラミング言語とはコンピュータに行わせることを記述するために開発された人工言語である、とそのウェブサイトには書かれていた。わかりにくいので他のサイトでの説明も見た。プログラミング言語とはプログラムを書くための、言語のかたちをした約束事の集まりである。そしてプログラムとは計算機への指示・命令の構成物である、と書いてあった。計算機とはコンピュータのことだろう。指示・命令の構成物とはなにか? 私は混乱してきたのでコーヒーを飲んだ。しばらくぼんやりしているとディスプレイが暗転し

          書類上 〈第7回〉

          書類上 〈第6回〉

          「もしもし、わたしです。別のだれかじゃない。わたしがこれを喋っているんです。聞こえてますか? 理解していますか? わたしにはわからない。わかることなんてないんですよ。ひとまず喋ってみて、とりあえず実行してみて、それで初めて理解するんです。というか理解したふうなふりをします。理解するってことはそれの深みにはまるということでもあるんです。それの領土を承認するということです。なにか理解されたがっているものがあるとして、それのことがわかるというのはそれに割り当てられた境界線を認めて、

          書類上 〈第6回〉

          文体練習  リズム 海 メロディ

           ひとを殺した。  もちろん嘘だ。と書いておけば安心するだろう。だれが?  ひとまず逃走のことを考えねばならない。冷静に考えることができているように見えるかもしれないが、それはもちろん後になってからこれを書いているためだ。つまり今はすでに殺害直後ではない。直後の自分はひどい状態だった。まともではなかった。考えることが困難であった。首をしめたときの感触をどうしても反芻してしまうのだ。反芻とは一度体内に取り込んだものをふたたび咀嚼すること、だったかと思う。正確な意味は知らない

          文体練習  リズム 海 メロディ

          書類上 〈第5回〉

           私は受話器を置いた。知らない男の声だった。事務所の電話番号は公開しているので見ず知らずの人間から電話がかかってくることはめずらしくない。そもそも今のはある種の間違い電話のようなものであって、本来あの男が語りかけるべき相手は私ではないはずだった。社会の隅に取り残された孤独な男が空中へ石を投げるようにしてでたらめな電話番号へかけてきただけかもしれない。あるいは病人を演じながら他者に襲いかかることで自分の中のある種の堆積物を昇華させようと試みたのかもしれない。いずれにせよ何も気に

          書類上 〈第5回〉

          書類上 〈第4回〉

          「地下?」と私は言った。ドア付近の女が「そうです。ここは違います」と言ってまたコンピュータのキーをたたき始めた。私は混乱した。《彼》が勤めていた会社のオフィスはなぜ地下に設置されたのか? 通信回線を引くのに不便はなかったのだろうか。なにか特別な理由があるのかもしれない。あるいは何も不可思議な理由はなく、ただ空いている物件と起業の時期の関係でそこに決める以外なかったのかもしれない。しかし実際、そこが地下である理由はどうでもよかった。私はとにかく《彼》のオフィスへ行く必要があった

          書類上 〈第4回〉

          書類上 〈第3回〉

           詩はあまり読んでこなかった、と私が言えばすぐに彼女は「終わってるね」と言った。「なにか欠落してるよ、それは」  欠落、と私は言った。「それを言うなら僕は古典的な音楽にも美術にも触れてこなかった。これも一種の損失かな」  そうだよ、と少女は答えた。「だからわたしだって損してるわけだ」わたしの損失、わたしの連続、などと彼女はつぶやいた。継続するわたし、接続するわたし。それからまた例の赤い手帳を取り出してなにごとか書き留めていた。私は貯水槽のそばから離れて手摺のほうへ歩いてい

          書類上 〈第3回〉

          書類上 〈第2回〉

           階段を降り切って左に曲がれば、簡素な金属製のドアがあった。いかなる装飾も標示もない灰色のドアを開けて、私はそのビルの中に入った。左右に廊下が伸びていた。片方は行き止まりになっているのが見えた。背後でドアが閉まる。その重い音は冷えた空気の廊下に響きわたった。私は進むべきほうへ歩きはじめた。  私の事務所へあの男が入ってきたとき、彼は私の生活の範囲内へ入ってきたことになる。私がつまらない習慣と平凡な方法で築きあげた秩序のなかへ侵入してきた。過去の私があちこちへからだを接触させ

          書類上 〈第2回〉

          書類上 〈第1回〉

           そしてドアが開いた。ひとりの男が現れた。彼は名乗らなかった。おのれの出自も職業も目的も言わなかった。なにかしら語るべき言葉をほかにもっていたのかもしれない。だが語りはじめることはなかった。それは不可能だった。私が彼を招き入れ、座るべきソファを指し示しているときにはもう彼の姿は捕捉されていたのだろう。彼が腰かけて両手の指を組み合わせ、ひと呼吸おいた時にはすでに彼の頭部は見られていたのだ。小さな破裂音とともに私の部屋の窓ガラスと彼の左耳の上あたりに穴が空いて彼の物語は終わり、ふ

          書類上 〈第1回〉