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《小説》文体練習  ゆらめき

 旅行先で耳にしたのがその噂というか怪談めいたものだったのだが実際のところそれは単にひとが道を踏みはずしてしまうさまの描写であって、どこにでもあるといえば確かにどこにでもある、人がそこに複数いるかぎりかならず起こりえるような事故あるいは事件の話だった。

 車で橋を数分かけて渡ればすぐに山が始まって曲がりくねった道を前の車や後ろの二輪車とピストン運動のように追いつ追われつしてのぼってゆく。そのあいだわたしの車のなかでは大きな音でテンポの速いジャズをかけていたのだが意外とそれはしっくりとはまるようで霧の濃い山あいのある種の狂気、たとえばそれは古い民間伝承によれば鬼に姿を変えたかつて人であったもののそこかしこにおける殺害の様子に現れたりもする、山の奥深い位置にある集落でくすぶる人々のやり場のないどす黒い憤りを表現しているようにも思えた。わたしはといえばそのようなどす黒さとは無縁の気楽な旅人を装ってこれからそういった村へ出向くのだった。空は晴れていた。道のカーブのぐあいによって垣間見える遠い山の先端は白い濃い霧によって隠されていた。

 最終的に道はゆるやかなくだりになってその頃にはたくさんの普通車によって長い列ができていた。それらは皆この集落へつかの間の休息とかゆく当てのない怠惰な時間とかを過ごしに来ているのであろうと思われた。この辺りには民宿が乱立していて旅行会社のコーディネイトはこんな山奥までも人々を連れ込むのだ。長い坂道をのぼってくる車は皆無であってなだらかな下り坂をわれわれの白や黒や緑や青の自動車が徐々に徐々に集落の中心へと降りてゆくのみだった。くだるにつれて古い時間を保存している共同体ならではの厳かな雰囲気が増してゆき人々はふと怖気を覚える、などということもなく目当ての宿のそばにはたいてい迎えの従業員が立っていて大きな声で出迎えの挨拶をしてそこはもはや立派な観光地なのであった。わたしが宿泊する予定の民家の玄関にも中年のやせた男が立っていて「お待ちしておりました」といったような定型の言葉を述べてわたしを歓迎し、狭い駐車場にわたしの代わりにわたしの車を運転して車庫入れし、早速「夕飯の支度にかかります」と言って台所へ消え、それからはなかなか顔を出さないのだったがわたしはその寡黙な家主がわりあい気に入った。

 案内された部屋は縁側のある、窓の大きな部屋だった。煙草は外で、ということだったのでわたしはすぐに縁側から外へ出てみた。目のまえには山の端の緑がせまっていて下方には細い川がゆるく流れている。川のあたりには仄かに霧が漂っており、コンクリートの護岸工事などされておらず、背の低い木々が川辺にちらほらと立ってその背景には濃い深い緑のしげみが視界の端から端までずっと続いているしその奥は完全に見通せない奥深さだったのでわたしはずいぶんそこを気に入った。このような場所へひとりで来るのも色気のない話ではあるのだが、すでにわたしの連れは病に負けて他界したから女といえば新しいひとを物色してこなければならなかったのにそんな気力がいまさら湧いてこようはずもなく、ひとりこそこそ隠遁の真似事をしに来たのである。

 室内へ戻ってすることといえば読むか書くか、それ以外にないのがわたしというつまらない人間で、ただし世の書き手にはおもしろい物語を湯水のように書いて捨てる人々があるからそういった話をつまみ食いしながら酒を飲めばわたしでもつまらなくない時間を過ごすことはじゅうぶんに可能だった。はじめは持ってきた携帯プレーヤーで音楽を聴きながらいつものノートに思いつく言葉を片端から書きつらねていたけれどもじきにこれでは無駄というものであることに気づいてイヤフォンをはずして風の音を聞きはじめた。そうやって静かな木々のさざめきを聞きながら語を連ねてゆくとこころが沈んでゆく。平凡な言い方でいえば雑念がどうとかいった心地であろうが、そのような説明はここへくればもう不要でただしずまりゆく時間を見るともなくみて何を聞くでもなく聴いていると普段の生活において溜めてきた澱が音もなく消滅していくかのような錯覚におちいるのだった。

 夕飯ができたと聞いて部屋を出る。キッチンの見える部屋には魚の焼けるにおいや米の炊き上がるかおりが漂っていてわたしの腹はぐうと鳴った。それを聞いて家主はくすりと笑ってから支度を続けた。食卓に並べられたのは鮎の塩焼き、わらび等の山菜の漬物、絹ごし豆腐は薬味をのせただけでそのまま、肉も玉子も入っていない単純な温かいそば、きらきら光る白めし。わたしが無言でむさぼるように食べたことから家主にもわたしがどう感じているかは伝わったように思う。この削ぎ落とされた単純なめしのうまさを描写することが今のわたしにはできないからわたしの筆力もたいしたことはない。満足して部屋に戻った。

 このような集落における夜の暗さをあらためて説明するまでもないだろう。それはほんとうの夜に近い夜だった。観光村といえども深夜まで酒盛りする集団はなかったようでどの家からも人の声が立つことはなかった。わたしは縁側に座ってうとうとした。このとき遠い山の端からぼうと光るたまがゆらゆら近づいてこようものならわたしの旅も怪談として分類することができて楽なのかもしれないがそのような出会いはなく自分のくしゃみで目をさました。煙草に火をつけた。静かに夜の山の奥深さに相対していたら、それらとわたしがなんらかの方法で通信できるのではないかと思えてきたが実際そこまでの境地に達するには経験不足というものだった。ただ山の真暗闇を見つめていたら日頃の他者との摩擦によって心中に折り重なった汚れた紙がするするとひらかれてゆきその白さを恢復していくかのような思いに襲われた。肩の力がぬけて自然とまぶたがおりた。ゆるやかに眠りが訪れた。

 縁側で寝たことによって風邪をひき、滞在をのばしてもらえたのはよかったものの、あの渓谷へ、あの湖へ、と思い描いていた計画がすべてなしになって一日中寝ていることしかできなかった。家主は時々様子を見にきてくれたが苦笑していた。本を読むこともできないのでわたしはずっとイヤフォンを耳にはめて寝床で好きな音楽を聴いていた。ぼんやりする頭で、だるい身体で横になってうつらうつらしながら攻撃的なくらい速くきざむジャズを聴いていたら昨夜の山の闇が目のまえに迫り来るようでなかなか面白かった。妻とのあいだに子をもうけていたら俺の人生はもうすこし違うふうになっていたのだろうかなどと考えた。

 だれかがわたしの名前を呼んでいる、と思えばわたしは眠り込んでいたようで、枕元に家主が座り込んでこちらを見ていた。うなされていましたよと言う。これは恥ずかしいところを云々とわたしは言った。夢の中でなにやら怪しいものに出会えばあのようにうなされるのです、と彼は言うのだったがそれは長らく観光業をやっている彼ならではの旅客への娯楽の提供ではないかとわたしは思って、ああそうなんですかといいかげんな返事をした。それを聞いて家主は機嫌をそこねたのかもしれない、次のようなことを語りはじめた。


 うちのあたりではね、眠ることは「いぬる」といって、その言葉にはここではないどこかあちらのほうへゆくことの意味があるんです。ねえ、そうですよ。いわゆる彼岸です。あの世といわれる場所なんですけれど、ここらの場合ね、それは河辺とかではなくって山なんですよ。深い山。そこは一度はいれば戻って来られない場所なんですね。まあ今ではどこも開発が進んで、安全のための工事とかもあって、真の闇というのはほとんど失われてしまったけれども、それでもまだ山の神性が衰えたわけじゃあないと思いますよ。そこは人を迷わせる場所です。ひとたび山中にはいればどちらを向いても同じような樹々が立っていてね、右も左もわからなくなって前後も不覚になって、つまりそれは自分がわからなくなるってことなんですよ。深い森の中に立ちどまって、自分って誰だっけ何だっけということになってしまう。これがうちらのいう立ち往生で、これは怖い現象ですよ。その場で往生してしまうんだから。いってしまうんです。あちら側にね。このへんで残っている伝説にはそういうのがいくつもありましてね。本にもなっているから買ってみるといいですよ。しっかり調べて書いてあります。

 伝承というのはそもそも口伝えで伝えられてゆくものです。夜更けに眠れない子がいれば、その家の老人が語りはじめる。明かりを落とした部屋でぽつぽつと、その土地のことばで。だからかんたんに失われてしまうんです。語り手がいなくなればその物語を保持する人がひとりいなくなるということです。そして残された子供たちがまた次代へ語り継いでゆけばいいが、そううまくはいかない。もう今の時代に語り手というものは自然発生的に・日常的には存在しなくなっている。だれかが強く意識して語り手であろうとしないかぎり、それはもう存在しない。できない。語ることのできるものもほとんどいないし、語りを聞く土壌もないんです。だからそれは失われる一方だ。そこでうちの親類が、といってもここらの者は多かれ少なかれ親類ですが、語りを保存しようという運動をやったわけです。観光のことも考えていたのかも知らんが、その人の書いたものを読むとどうやら発起人には物語的な興味が多くあったようですね。伝承に興味があったんでしょう。

 運動は村の金を使ってやろうという話になったから、当然反発の声もありました。自分らのかせいだ金ですからね、興味のない人からしたらなんでそんなものに俺たちの金を、という話だったでしょう。それでも発起人はあきらめなかった。根気強く根回しを続けてひとりまたひとりと支援者を増やしていった。そうなれば面白くないのは反対派の者たちです。こちらも小さな村の中であちこちへ声をかけて反対派閥を強化してゆこうとした。あらぬ噂を立てて発起人を追い出そうとまでした。なぜそこまでするのだったか? 山の所有権がそこには絡んでいたようですが、ここではそのへんの話には触れません。よくある金と政治の話です。

 ともかく発起人たちと反対派の対決はいよいよ直接相対して決着をつけざるを得ないまでになった。それが毎年行われる祭の中に持ち込まれた。この祭は山で獲れたものをおそなえして山の神に感謝するというものです。主な儀式は山中でとり行なわれます。その日、発起人は呼び出され、儀式のために集まった人々のまえで説明会をしろということになった。反対派の差し金です。まあ陰湿ですよ。村社会ですからね。もちろん野次が飛ばされる準備は整えられているわけです。

 発起人たちはほかの人々にくらべて遅くに山中へ向けて出発した。こちらも準備を整えていたんでしょうね。資料なんかを用意してね。登山道は一部は飾り立てられていたが、ほとんどはそのままだった。祭の屋台等はふもとに設けられてあったが、儀式の行われる場所へはなかなか険しい道のりで、獣道を通らざるを得ないところまであったといいますよ。そういう道をのぼってゆく途中で発起人がひとり別行動をとると言い出した。周りの人らはあわてます。なんでも伝承に関わる重要な証拠を取りに行ってくるのだと。なにも今でなくていいじゃないか、と人々はとめましたが聞きません。強情な発起人に押されてとうとうひとりで行かせてしまいました。

 日の落ちる頃合いですよ。彼はひとりで行った。そして帰ってこなかった。いやもちろん帰ってきたんですが、彼の本体はね、もうそこにいなかったんですよ。発見した人の言葉によれば、獣道の途中に立っていたそうです。闇の中で。猫背になって立っていた。そして目を閉じていた。意識を失っていた。病院へかつぎ込まれていろいろ手をほどこされたそうですが、もうそれは元通りの祖父ではなくなっていたと聞きます。ええ、発起人は自分の祖父です。言葉を話せなくなっていたんですよ。ああとか、ううとか以外はね。

 そのことがあってから、むしろ伝承のもたらす恐怖が大きくなったんでしょうかね。反対派の声は小さくなっていった。そして残された賛成派たちが結集して伝承を口伝形式から書物のかたちへと移しかえたわけです。ここへ来る途中、坂道の真ん中あたりに白い看板が出てたでしょう。あそこが古書店なんですけれど、そこで買えますよ。いい本です。


 まだ寒気は軽く残っているものの起き上がれるようになったので早速わたしは縁側へ出て煙草を吸った。耳をすませたら鳥のさえずりだけでなく川のせせらぎが仄かに聞こえるのでこれはいいと思って目を閉じていた。いぬる、という単語がふと脳裡によぎって目をあけざるを得なかった。

 あなたのおじいさんは、と病床のわたしは訊いた。なにかに出会って、意識というか魂をもっていかれた。そういうことですか。
 それはわからないんですね、と家主は言う。なぜ、どのような理由でああいう状態になったのか。それはだれにもわからない。
 たとえば反対派が血迷って、おじいさんに薬を盛ったという可能性はありませんか。あるいは、と言ってわたしは躊躇した。
 祖父が自分で薬を飲んだ? と家主はわたしの考えを言葉にした。
 わたしは少しのあいだ黙っていたけれども今更とりつくろっても仕方ないと考えて言った。伝承の信憑性を高めるために、自らの意識をどこか知れぬ場所へ追いやってしまったという可能性はありませんか?
 さあ、わからないですね。家主は言った。祖父はね、と少し経ってから彼は言った。意識を失っていたわけですが、医師の話によればただ眠っているだけの状態だったそうですよ。それ以外におかしな症状はなかったと。
 山のまんなかで不意に眠ってしまったということですか?
 ええ。客観的にはそういうことです。
 そしてあちら側へ魂をもっていかれた?
 そうかもしれませんね。魂というものがあるのなら。

 頭のぼんやりする状態でわたしは煙草の煙をながめていた。それを通して山の緑が見えたけれどもその色濃い森のしげみの陰と白いゆらめく煙が重なって、森が微妙にゆれ動いたかのように錯覚した。わたしはいくらか動揺して煙草を灰皿に押しつけて、イヤフォンを耳にはめた。いつものジャズを聴きはじめる。ピアノによるコードとメロディが山あいの微細で深い陰から立ちのぼる何かの気配を表現しているように思えてわたしは一層聴き入った。ウッドベースが描く線は躍動してうねり、切迫した調子のドラムが霧のように繊細な音を鳴らした。それはある種の狂気を音にしているように思えた。あちら側へ行き、そしてその後こちらへ帰ってくるという作業はそのような音楽によって可能となる。

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