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文体練習  鏡

 おまえはひとりでそこにいる。だれも助けには来ない。

 周りは壁だ。家具はない。部屋の隅に穴がある。小さな深い穴だ。穴に耳を近づけると悪臭とともに水の流れる音がする。つまりそういうことのための穴だとわかる。窓はある。自分の影が床にできている。ふり返れば上のほうに小さくて細長い窓があった。開きそうにない。天井には細い溝のたくさん並ぶ四角形があって、それはおそらく換気口であろう。立ちあがっても窓や換気口に手は届かない。跳びはねてみたところで無理だろうと思える高さの天井だ。つまりこの部屋の天井は意外と高い。おまえがイメージする監獄の独房よりも、都内のマンションの1LDKよりも高い。おまえは都内を知っているのか? 監獄を見たことがあるのか? それは重要な情報かもしれないし、違うかもしれない。

 動きをとめて耳をすませる。鳥や人の声が聞こえてくることはない。沈黙している。そこにいる誰もがかたく沈黙を守っているか、もしくは黙っているのはおまえだけであってほかに声を発する存在はいないということだ。おそらく後者だろうとおまえは思う。確証はない。耳を両手でふさいでみる。手をはなす。もう一度同じことをする。そして気づく。なにか人工的なノイズが間断なく続いているということに。低い、なにかの細かく震動し続けているようなノイズがずっと続いている。換気口があるのだから、それは換気扇の音だろう。電気は通じているということだ。これで一安心だ、というわけでもなくおまえの状況がひとつの危機であることに変わりはない。

 自分がなにをしたのか、または何をしなかったのかを考えてみる。そして気づく。なにか記憶に不可思議なところがあるということに。もしくは、あるべきものがない、ということにおまえは気づく。平凡とされる生活、ごく普通と表現することが可能な日常生活を送っていた記憶はある。その日々からこの部屋に至るまでのあいだを埋める記憶がない。ふと気づいたら、おまえはここにこうして存在している。だれがおまえをここへ連行したのか? それをおまえは知ることができない。

 かつて日常生活と呼ばれていた時間において、おまえはひとりだった。生活を送るために必要な手続きはぬかりなく実行していた。手続きのために必要なコミュニケーションをとることは可能だった。それ以外の交流、つまりおまえ以外の人間との交流をおまえはもたなかった。おまえはひとりだった。今の状況と同じように。おまえはひとりでそこにいた。

 おまえは社会の中に存在していた。その共同体の中で労働することで毎月一定の金銭を得ていた。食事には困らなかった。多くの人々が労働し、生産し、消費しているなかで、おまえもまたそのうちの一人として生活していた。そして仕事が休みの日には何をしたか? おまえは何もしなかった。おまえはひとりでそこにいた。

 助けを呼ぶための手段をおまえは持っていない。そもそも助けを求める相手がおまえには思いつかない。かつておまえは自らの手で周囲の人々とのつながりを切った。いつのまにか一緒に行動することが多くなっていた数人、生まれた時から周りにいた数人、それらの人々との接続を切断した。何がおまえにそれをさせたのか? その答えを言おうとするとおまえはどうも苦しくなる。それをすることによって、おまえが大きな共同体の中で生活してゆくことに変わりはなかったが、大きな共同体の中の小さなそれからは出ていくことになった。かつておまえは自分からひとりになったのだ。

 そして今おまえはここにいる。昔とはまた異なる方式でひとりここで存在している。なにがあったのか。いったい自分に何が起きたのか? それをおまえは知ることができない。

 物思いにふけっているあいだもずっと目の前にあったしこれからもあり続けるだろう、と言えるのが先ほどからおまえの目をとらえてはなさないもの、すなわちドアだ。窓と反対側の壁の中央にそれはある。金属製の、灰色のドアだ。ドアノブは丸くて銀色。鍵はノブに差し込むタイプのものだ。もちろんおまえはそれを回してみる。遊びはいくらかあってがちゃがちゃと左右に回せはするが、鍵がはずれる気配はない。ドアをノックしてみる。室内にノックの音が響く。もう一度ノックする。次に拳を握ってドアをたたく。殴る。蹴る。反応はない。自分の息づかいをおまえは聞く。

 少々の運動をしたことによって、腹が減っていると気づく。おまえの食事はどのように用意されるのか。ほぼ間違いなくおまえが自力でそれを調達することはできないだろう。不安がおまえを襲う。動悸がはやまる。おまえをここに幽閉した何者かがきっと食べるものを何らかの手段でこの部屋へ届けてくれるのだろう。どのような手段によるのかは不明だ。そしてその何者かとはいったい何者なのか。それも不明だ。

 おまえは不安に思う。けれども内心どこか落ちついてもいる。なぜならここにおまえを幽閉した何者かはなにか目的があってこのようなことをしているだろうからだ。その目的が果たされるまではおまえが餓死させられることはないだろうと考える。おまえの餓死こそが目的である場合のことは考えたくない。

 床へ横になる。体力を消耗すべきでない。下手に運動すべきでないと思う。いや運動しておくほうがいいのかもしれない。体力を衰えさせるべきではないのかもしれない。おまえにはわからない。かつておまえにわかるものは何ひとつなかったし、おまえが知っていると言えるものは何もなかった。それはこの状況でも変わらない。おまえは無知である。おまえに知ることができるのはこの部屋の中のことだけだ。この部屋で過ごす時間だけがおまえに残されているのかもしれない。

 おまえは目を開ける。自分が床に寝ていることを確認する。からだのあちこちに痛みがある。おまえは眠っていたらしい。起き上がったとき、ドアの前の床に置いてあるものが目に入る。銀色のトレイが床にある。その上にいくつか皿が置かれている。近寄ってみればどうやら口に入れても良さそうには見える。皿のひとつに水が入っている。おそるおそるなめてみるとか匂いをかぐといった行為を抜きにしてすぐ飲んだ。おまえは急にのどの渇きを自覚したのだ。その水はぬるく、まずい。まずいと思いながら全部飲む。ほかの皿にはいずれも固形の何かが乗っている。それらが何かをおまえは知らない。見た目は茶色やクリーム色の、スポンジのような立方体である。それをおまえは食べる。固い。味はない。まずい。しかし餓死の可能性が低くなったことにより、おまえはいくらか安心する。

 おまえの動向をだれかが監視している可能性について考える。十中八九そうだろう。おまえが眠ったのを確認してからドアを開け、トレイを差し入れたのだ。どうやって確認したのか。どこかに監視カメラが設置されているのかもしれない。おまえは頭を振らずに目だけを動かしてあちこちを見てみる。コンクリートの壁。床。金属製のドア。小さな細い窓。高い天井に換気口。それが世界のすべてである。カメラらしきものは見つからない。おまえに知ることができるのはこの部屋の中の状況だけ。だが部屋の外にいる者は違う。室外の状況を知ることができるし、室内に関する情報も得られる。おまえと外の者とのあいだには大きな差がある。おそらく外の者はおまえのことを知っている。おまえは外の者のことを知らない。

 おまえは自分がなぜここにいるのかを知らない。知っていることは少ない。過去のことだけだ。今のことはよくわからない。未来のことも知るすべはない。おまえはもうここで一生を過ごすのかもしれない。思い出におまえはすがる。

 大学生だった頃、すでにおまえは未来に希望をもっていなかった。平凡な幸福な生活というのは自分に訪れないだろうし、自分の手で獲得することもできないだろうと考えていた。いま思えばなぜそのように考えたのか不明だ。思春期という言葉で片づければよいのだろうか。思い切って行動してみることもしないで最初からあきらめてその場にじっとうずくまっている。それがおまえだった。

 思い切った行動といえば、退学の手続きをしたことだった。4回生になった4月、大学の事務室へ行って退学届を提出した。対応した事務員は驚き、ため息をつき、別室へおまえを招いた。おまえたちはソファに腰かけて話した。主に事務員がおまえを説得し、おまえがそれに対して首を横に振るというかたちだった。「やけになっていると思うんです」と事務員は言った。「なにか思うところがあったのでしょうけれども、今このタイミングでこの届を出すというのは、ねえ。もったいないですよ。授業料が。なぜ今なんです? あと1ヶ月早ければ。なぜ今なんです?」それに対しておまえはなにも答えなかった。「なにか他にやりたいことが見つかったんですか?」と事務員は訊いた。おまえはうなずいた。「それは、音楽とかですか?」おまえが当時やりたいと思っていたことに関しては何も話していないのに、事務員はいきなりそれを言い当てた。たぶん今までにも似たような学生が大勢現れたのだろう。慣れていたのだろう。「そうですか」と言って事務員はため息をついた。退学届は無事受理されて、おまえはどこにも所属していないことになった。自由だとは感じなかった。音楽と文学に身をささげるのだと考えていた。結果、なにを生産するでもなく、ただ消費するだけで時間を過ごした。おまえは何も生み出せなかった。おまえはゼロだった。

 なぜ自分がここにいるのか。それをおまえは考える。思いつくのは二つの可能性である。ひとつは社会の規範に反することをおまえがした、その結果ここに幽閉されることになった、という可能性。もうひとつは、部屋の外にいる何者かが社会の規範に反することをいま現在行なっている、という可能性だ。その場合おまえはなにも悪とされる行為を行なっていないのに理不尽にここへ閉じ込められていることになる。厳重に抗議すべきだ。だれに? 自治体だろうか。警察か。それらへ連絡する手段がないということだけでなく、そもそもそれらの組織はおまえの言うことに耳を貸してくれるのかという不安があった。おまえは自分の今置かれている状況を考えてみて、自分が狂人扱いされるのではないかと危惧する。もちろんどれほど危惧したところで外への連絡手段がないかぎりは杞憂でしかないのかもしれない。

 自己を表現する手段としておまえは文章と音楽のふたつを考えていた。ひとつはヒップホップと呼ばれる音楽に影響を受けて作りはじめたもので、コンピュータを使ってトラックを作成した。アブストラクトなどと言われるジャンルに分類することができそうだった。人間の声が入っていない、シンセサイザーとリズムマシンの音声のみで構成されたものだった。おまえは睡眠時間をけずってそれを作った。おかげで大学の授業が途中からわからなくなった。ついていけなくなった。作った音楽を国内のインディーズ・レーベルの事務所へ送った。ときにはデモや契約内容をやり取りするまでに発展することもあった。たいていおまえの創作のレベルや意欲や時間が足りなくて契約までには至らなかった。

 文学に関してはとにかく「わからない」ことこそ正義だとおまえは考えていた。わかりやすい小説は唾棄すべきものだと若いおまえは考えて、ひたすら難解なものを作ろうとしてもがいていた。難解で晦渋な文学に対しておまえは真に向き合うことができていたか? 否。なぜ晦渋な文体にならざるを得ないのか考えてみたことはあるか? 否。ただファッションとして難しそうなものを追い求めていただけだった。マラルメやブランショの書いたもの、あるいはヌーヴォー・ロマンまたはアンチ・ロマンと呼ばれる作品群をヒントにして自分の創作を進めようとした。挫折した。おまえにはその能力がなかった。資質もなかった。文芸誌に応募したことはある。選考を通過したことは一度もなかった。ただとある編集部から一種の雑文を依頼されたことがあった。それに応じ続けていれば書き手として活動してゆく道もひらけたのかもしれない。おまえは途中から編集部への返信を怠った。なぜ自分がそうするのかもわからないまま、書き手としてのおまえを消した。その頃から現在に至るまで、おまえにはなにも生み出すことができなかった。

 今おまえはなにか書いてみたいと思う。このような状況にあって、現在のおまえには何事かを書くことができるのではないかと思う。しかしここにはコンピュータもなければボールペンやメモ帳さえない。おまえはかたい床に寝転がって時間の過ぎるのを待つ。おまえはなにをすればいいのか? おまえがすべきこととは何か?

 すべきことを提供する組織は世の中にいくつもある。大学や企業に所属すれば、その組織がやるべきことを提示してくれる。むしろその課題をこなさなければおまえはその組織にいつづけることができない。日々そのような課題をクリアすることだけを考えて生活することができる。おまえにはやるべきことがある。それをしながら生きていればいい。場合によっては、自分はそれのために生きているのだと騙ってもいい。そうすることでおまえを批難する者はたいして多くないだろう。

 おまえの家はある宗教団体に所属していた。おまえは生まれた時から団体に属していることになっていた。その団体の提供する本をよく読んだ。文章が稚拙だと感じた。ただ、それは古来より存在する宗教の教義をもとにしているため、ある種の深みがないわけではないのだった。古代哲学の一般向け解説書を読んでいるような心地で読むことができた。物心ついたときには身の回りの他者を団体へと引き入れる勧誘活動をしなければならなくなった。おまえはそのような活動をしなくてはならないし、していれば幸福になれるとされていた。おまえはそのために生まれてきた、と定義されていた。おまえはそれを聞いて、人生のうちで数少ない経験のひとつとして、心の底から笑うことができた。そして身の回りの人間とのあいだの縁を切った。おまえはひとりになった。すべきことを自分で探さなければならなくなった。

 穴に向かって用をすませる。また横になる。からだの向きを調整して骨が床にあまり当たらないようにする。各所が痛むけれども慣れてきた。腹にものが入ったことにより、眠気が襲ってくる。おまえは眠ることができるかもしれない。しかし眠って、目が醒めて、それからどうするというのか? なにもすることがない。すべきことがない。

 もしかしたらこう言えるのかもしれない。外にいる何者かが運営する共同体の中におまえはいる、と。おまえはこの狭い部屋の中にいる。この部屋が、全貌はわからないものの、ひとつの大きな建物の一室であるとすればそれと同様に、おまえは正体不明の存在たちが作る共同体の中へと強制的に引き入れられたのだ、と。だとすればこの共同体がなにかを提供してくれるかもしれない。すでにおまえがここへこうして幽閉されている以上、ここにはある種の秩序が存在するわけだ。寝起きする場所や食事をほんとうにただ無償で提供するばかりであるはずはない。なんらかの目的があるはずだ。それはなんだろう? それがおまえに明かされる日は来るのだろうか? なんとなくそんな日は来ないような気がする。おまえは今までの、つまりここへ監禁される前の、どうでもいい日常生活を思い返してみてそう思う。あらゆることの意味が解き明かされ、説明される瞬間というのは永遠に訪れないだろう。いつ・どこにいても、何をしていようと、おまえはここにこういう理由で存在するのだ、おまえはここでこのような作業をすべきだ、などと説明する存在は現れないだろう。それはおまえが自ら探し、見つけなければならない。見つけることはできるのか? きっと不可能だろう。おまえの手で眼前のドアを破れないのと同じように。それは見つからないだろう。おまえにできることは何もないのか? ただ床に寝転んで眠ることしかできないのか? そのような問いに対する答えなどどこにもない、ということを再確認しながらおまえは眠りの中へ落ちてゆく。

 室内が暗い、と気づく。自分が今まで眠っていた、昼が終わって夜が来るほどの時間、眠っていたのだと気づく。夜が来ている。今は午後何時だろう? おまえにとっては何時でもない。おまえには時刻を確認するものがない。ただ窓の明るさによって朝、昼、夜を大まかに見分けられるだけだ。おまえがここへ来て1日目の夜、と考えて、そうでもないかもしれないと思う。自分の記憶に自信はない。なにしろ途中の数週間か数時間か、あるいは数年の記憶が失われている可能性があるのだ。おまえは自分の記憶に自信を持てない。今まで思い出したことは本当にあったことだろうか? 事実を思い返したのだろうか? おまえの記憶は、おまえの今までの人生は、本当にそのようなものであったのか? それを確認することはできない。おまえは極度に心細いと感じ、なんでもいいから何かないか、と周りを見てみる。具体的な何かを期待したのではない。この状況を打開する道具が都合よく転がっていると思ったのではない。ただこの時の自分の心許なさを解消する要素を探したのだ。するとドアのそばに一冊のノートとボールペンが置かれてあった。というわけでもなくそこには何もない。おまえがそこに何も書かれていないノートと新品のボールペンがあることを夢想した。ただそれだけのことだ。

 おまえは想像の中で文章を書く。白い表紙のノートを思い描いてそれをひらき、存在しないボールペンで文章を書きはじめる。「俺はひとりでここにいる。周りには壁しかない。」といったように。ある程度書いたところで自分の文章を読み直そうとする。最初のほうをもう忘れている。もう一度最初から始める。「俺はひとりでここにいる。周りを壁で囲まれている。ドアには鍵がかかっている。それを開けることはできない。」といったように。思い出したことを脳裡のノートに記録してゆく。生まれた時から始めて時系列で語っていくわけではない。そのとき思い浮かんだことをそのまま書き連ねてゆく。編集はできない。それほどの記憶力がおまえにはない。すでに最初のほうを忘れている。だからもう一度最初から始める。以前に書いたことを忘れながら、ただ今思いつくことを書きつづける。何をめざすわけでもなく、ただとにかく次のページへ、また次のページへと進んでいく。すでに以前の文章を忘れている。書いた端から失われてゆく。まるで時間のようだ、とおまえは存在しないノートに書き記し、その一文は忘れない。

「俺はひとりでここにいる。周囲を壁に囲まれている。ドアはひとつで、鍵がかけられている。俺にはそれを開けることができない。なぜ俺はここにいるのか。だれが俺をここへ連れてきたのか。この部屋の外はどうなっているのか。それを教えてくれる者はいない。俺が自分で考えるしかない。このような状況に置かれれば、確かにある種の神話や宗教も生まれざるを得ないだろう。無理はない。人にはなんらかの物語が必要になる。部屋の中と外をめぐる物語が。場合によってはそれは哲学であったり文学であったりする。いま俺の能力によって何が可能か? この状況に立ち向かうことのできる哲学や文学を構築することはできるだろうか? それは難しいと俺は考える。俺の記憶は不確かだ。学問のためには記録が必要になる。あるいは脳内で完結させようとしないで、口頭で言葉を語ってゆけばよいのではないか? 記憶しやすいように一定のリズムで、一定の間隔で韻を踏みながら、物語を、詩を構築すればよいのではないか。それなら今の俺にもできるかもしれない。時間はある。試す価値はある。次の夜、それをやってみよう。希望とはこのようにして作るものだ。今夜はもう眠ろう。疲れたから。韻文のほかにもうひとつ思いついたことを試すだけ試してから眠ることにする。そのもうひとつの選択肢とはつまり例のあれだ。ここには何もない。ただ俺の身体と声がある。ここに楽器はない。ただ俺の身体と声がある。このような状況にあれば、無理もない、そこに音楽が生まれずにいられようか?」

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