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この10年が激動すぎた話_その1【復職編】

四十を手前に悩む私のこの10年は、今振り返っても激動すぎました。
中国伝統芸能の変面くらい(よくわからんけど…)

今からちょうど11年前、2人目を出産して、一歳になるしそろそろ働こっかなのタイミングを迎えた私は、専業主婦からの就職、いわゆる復職を目指し、職探しを開始。
当時は待機児童が多くて保育園にもすんなり入れない。。。
かといって、幼稚園という選択は私の中にはなく、
自分が保育園育ち、両親共働き、幼稚園=お金持ちが行くところ(田舎者の思考で申し訳ない、、、)と思っていました。

年少の長女と1歳になったばかりの次女を抱えながらの、保活&就活。
スーパーに置いてあるフリーの求人誌を毎週持ち帰り隅から隅まで漁るように職を探す日々。

大学を出て、某一部上場企業へ就職し、結局2年足らずで寿退社。
親には、「せっかく大学出たのに。。。」なんて愚痴を言われる始末。
だって、仕事きつかったんだもん・・・

そんなこんなで、キャリア、スキルなんて、PC使える!くらいだから、

スーパーのレジ?
飲食店の定員?
倉庫でピッキング(結構時給よい)?
事務?
選択肢は意外と限られとるな、からの就職活動。

そんな時、たまたま目にした求人誌で見つけっちゃったのです。
正確にはビビっときたのです。

通販のカスタマーサービス、パート、家から激チカ案件。

早速電話して、面接、その日のうちに内定をいただき無事に再就職を果たしたのです。

実は私、当時電話が超苦手💧
出前、問い合わせ、予約、ありとあらゆる電話(かける)のが苦手で、基本そういうのは旦那任せ。
それなのに、カスタマーサービス(コールセンター)で仕事をし始めちゃったのです。

無謀ともいえる選択をして働き始めた会社。
まだ、当時は創業数年のベンチャー企業。
忙しい時には、子どもを保育園に迎えに行ってまた会社に戻って出荷の手伝いなんかもよくやってました。

扱っていた商材が女性向けの商品で、でも社員は全員男性。
お客様に対する対応やサービスはパートである自分たちが色々意見を出して、というより、「もう!なんでわかってくれないの?」って感じで半分愚痴を含む意見をバンバン言って改善していった感じでした。

この時からでしょうか。
「なんで?」
と思うことに対して、意見を言いたい(言わないとやってられない)と思うようになったのは。

この復職をきっかけに私の人生が大きく動くことになります。

つづく。



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