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立春大吉

今日は2月4日。立春。
暦の上では「春」となる日。
そして旧暦になぞらえてみれば、立春正月。
日本では、千年以上も旧暦が使用され
立春のこの頃が一年の始まりだったようだ。
ちなみに今の新暦が入ってきたのは、明治。
あれもこれも西洋風情にして日本古来の季節の言葉などは
少しずつ日々の生活から離れていってしまったのだと容易に推測できる。

そんなことを嘆いても、今の私にはそれを覆す力はない。
でも少しずつでもそういう昔の名残を生活に取り入れながら
子供達にも伝えていきたいと思っている。

というわけで…、という事もないのだが
「この立春を迎える」という、なんとなく幸先の良いこの時期。
我が家ではまた新たな転換期をこの数日で迎えたことについて書きたい。

人生って面白いと思うのは、着実に自分の歩みの跡に道が出来てくること。
そして、その道がいつもいつも新しい方向へとまた進みだすこと。
歩みを止めなければ、いかようにでも道は続く。
けれど、自然と進む道が見えてくることもあるようだ。
ずっと前者的な感覚で私は人生という道を歩いてきたのだが
ここ1年くらい、その感覚が少しずつ変わってきた。
それはどういうことかというと
「迷いの中で自分で進む道を作っていく感覚から、自然と自分の進む道が迷わずとも見えてくるようになった。」ということだ。

これまで散々に悩み、苦しみ、何度も自暴自棄になりかけては
いかにして自分の人生と向き合うべきかともがいてきた私だったが
最近では、いかにも「腑に落ちる」という表現がぴったりくるような
「道」つまり「生き方」が見えてくるのだ。

さて、我が家ではこの度新しい方針が仕上がった。
これはひとまず今年に限って採用していくものではあるが
今年一年間でどのような成果が得られるか期待も込めつつ
きっと意味があると確信して実行していく。

その方針とは
家族各々(特に夫婦)が自分の持つ力を「具体的に上げていくこと」である。

個々の強み、家族の思想、理想、趣向などを
もっと現実化していくために具体的な力を付けることを目的とした方針だ。

なぜこのような事になったかというと様々な理由がある中の一つに「投資について」の問題がある。
振り返ればもう3年ほど前になるだろうか。
我が家でも政府が絶賛お勧め中の「NISA」というものを利用してみようか、という計画が上がった。

しかし当時(いや、今もだ)誰も投資などしたこともなければ、経済の事も分からない。さらさら興味もない。

とは言え、コロナ不況、2000万円問題、年金問題、少子高齢化など社会をとりまく漠然とした不安感にもれなく我が家も流されつつあるところだった。
自己流で知識を得ようと、本を読んだり(厚切りジェイソンのベストセラーも読んだ)、シミュレーションを利用してみたり、時には夫の職場のスペシャリストくんに来訪して頂き、基本的な考えをレクチャーして貰ったこともあった。

しかし、いかように考えてもしっくりこなかったのが、私。
そして、しっくりこないことが絶対できないのも私。

しっくりこないことについての理由はここでは割愛させていただくが
兎にも角にもあれから3年近くが経過しようとも
私は「NISA」というものに対して手を出す気が起きなかったのだ。

ちなみに、経済にだって興味がないと書いたのは昔の話で、実は今は東洋経済を買って読んだり、そこで紹介された書籍を読むなどして、楽しんでいる。

ではなぜそんな本を買っているかと言えば、私は自分の知識をしっかり付けたいと思ったからだ。そしてさらに言えば、自己都合だけの投資をしたくないと考えたからだ。

政府がお勧めする「NISA」いう制度や、それらにまつわる本には
いかにそれが手っ取り早く投資初心者であっても始められるか、という事と、保証はないんだけど、過去データから見れば長期投資でよっぽど儲かるはず、という事が多く書かれているように理解している。

いま私は地道な作業ではあるが慣れない経済用語の並ぶ本などを読みながら、考えていることがある。

「投資するなら地球の未来につながる投資がしたい」

もう今現在十分に儲けのある資本主義社会に台頭しているような企業に投資していては、世界は何も変わらないのではないのか。という思いがある。

あくまで個人的な意見ではあるが、結局このNISAという制度ひとつとっても、日本人の「右向け右気質」をうまく捉えたやり方なのではないかと感じるのだ。「無知だけど国が言うなら大丈夫」「主婦雑誌やワイドショーでもよく聞く」「あそこのお宅も始めたらしい、『NISA』という話題の制度」を利用して国民が持っている素質を利用しその資産をうまい事、大きな資本主義の渦の中へと提供させているようにすら感じるのだ。(そんな風にみんながみんなこぞってやるものに価値を感じないという天邪鬼精神も大いに働いている。)

私はそこに夫が稼いできてくれた、我が家の貴重な財産を投げ込みたくない。

しっくりとこない理由は割愛する予定であったが、ここに記した通りである。

そして、ここに記したような否定的な考え以上に私に力を与えてくれているのは、少しだけ「未来への希望」を持つことだ。

それはどういうことかというと
「私たちは投資するなら地球の未来につながる投資がしたい」ということだ。

それは、儲からないかもしれないし、下手すると…下手するかもしれない。
でも私たちも将来の事や地球人として様々なことを考える中でこういった世界的な経済の仕組みに何らかの形で加わって、勉強させてもらう事があっても良いのではないかと思っている。

その私たちに出来る、経済への一つの加わり方の形が「投資」ではないかと考えている。

夫が稼いできてくれた大切なお金の中で、今我が家ではすぐに使わないお金がある。
もちろん最低限の安全ラインは保ちながらにはなるが(我が家も三人の子を抱える一般家庭なので、あまりワイルドなことは言えない)、そういうお金を「未来のために=子供たちのために」、「地球のために」、「本当に理解のできる理念を持って経営されている企業」に向けて投資してみたい、と思っている。

だからこそ、自分で学ぶ必要があるのだ。
これから先の時代を見据えて、それを見据えたうえでどのような企業があるのかを自分で学んで、納得して投資したいというのが今のところの考えである。

ぶっちゃけ、簡単ではないのでどれくらい時間がかかるのか、途中でやめてしまうのかも分からないけれど、とにかく、自分達が理解して、納得して、意味のあるお金の使い方をしたいと思っている。
だからせっかく投資をするならば、このような考え方の元、焦らず始めていこうと思っている。


そういう意味では、「夫が稼いできてくれた大切なお金の中で、今我が家ではすぐに使わないお金がある」のが事実としてある。
少し違う方向性でも『自分の持つ力を具体的に上げていくこと』として考えていることがある。

それは、これまで夫が興味を持って取りたいと考えてきた様々な資格や免許を取るという事である。

これもNISAをベースに考えた話で、現在は「新NISA」となっているが、以前までのNISAは確か月の積み立て上限が33,000円だったと思う。

我が家ではひとまず一人分の積み立てNISAをすでに貯めたお金の中から捻出していくことを考えていた。しかしやらなかった。

ではやらなかった分のこの「月33,000円」というお金をどのように使うかを考えてみた。

積み立てNISAは長い目で見た長期運用で利益を得ることを大きな目的としている。そこで、積み立てNISAをやらなかった私たちはこの月33,000円(月30,000円として年間360,000円)というお金で一生なが~く使える有益なスキルを身に付けていこうと考えた。

その一つが夫の資格・免許の取得である。
今年、2月に小型ユンボを操縦できる教習を受講するところから始まり、夏に狩猟免許(出会った頃から「マタギ」みたいだと思っていた夫は「リアルマタギ」になるやもしれない)、秋に電気工事士、合間でアーク溶接も受講する予定だ。

現時点で転職を考えているわけではないが、本人がやりたいこと、そしてそれが家族の趣向にも役立ち、取得することにより場合によっては多くの選択肢が増えるとも考えられる。

我が家では社会に対する文句や不信感を表明するより自分たちで自分たちの生活を豊かにすることをモットーとしている。大きな力には抗いようのないことがあるという事は認めざるを得ない事実だ。だからこそ目の前の現実をいかに笑って過ごすかという事の方を大切にしている。人生は長く、そして短い。自分にできる事は、目の前の家族との豊かな暮らしを大切にすることだ。

自然を大きく壊すようなインフラ計画、正義も悪もない非常な戦争、儲け主義に突き進んで本当に守られるべき大きな尊厳が守られない。そのようなことはあってはならない。
しかし私たちの生活に目に見えて密着したことについては、私たち自身に「手が届く範囲である」ということでもある。

だから例えば、農薬まみれの野菜が食べたくない、表記が胡散臭い、添加物だらけでまいっちゃう、という事についてどうしても合点がいかないというのなら、自分たちで作る以外ない。肉も同じだ。自分たちで捕るに限るだろう。

我が家ではこの極論に達している。理想を追求するならば自らにすべきで、社会にではない。だから子供は野菜を作る。夫はこれから肉を捕るようになるのだ。それができないのであれば、最低限を選んで購入する。あとはぐだぐだ言ってても仕方ないから、何より大事な事『感謝して喜んで美味しくいただく』に限る。

社会とは「一つの意図的に作られた最も万人に理解されやすく、行き渡りやすい大きな箱」そういうものなのだ。だから私たちはそのような社会という一つの強固な枠組みに対して不平不満を物申すくらいなら、自分たちの生活は自分たちで豊かにしていこうと考えているのだ。

夫の資格取得にかかるお金は総額で約100,000円。
どんなことができるようになるのか、ワクワクしている。
もちろん夫も念願の資格や免許の取得計画にワクワクして、昨晩も日本酒を飲みながら古道具屋で入手した火縄銃を壁掛けのクマに向け「ばぁ~ん!!ばぁ~ん!!」と言いながら撃つのであった。

さぁ、まだ予算内。何をしようか。

私と次男は英語を始める。
月並みで申し訳ないのだが、やはり語学は必要なアイテムで語学力は有益なスキルとして認められるものだと思う。

次男には遊び程度での良いので、「話したい!」という今の気持ちを十分に大切にしてもらいながら学んで貰えれば十分だ。

私は本格的に勉強するために今は教材やオンライン英会話、アプリの利用について検討しながら、毎日英語に触れるようにしつつ、まずそれを身近な存在として私の中に取り込むための触れ合いタイムを実施している。

実はこれにも「NISA」関係している。

この話の結論は「いずれは日本人ではなく地球人として生きていくことも視野に入れる事の方が「NISA」をやるより、価値があるのではないだろうか。」という事だ。

社会に文句は言わないと言ったけれど、ぶっちゃけ「どこを信用したらよいのかな?」と思える人が勧めてくるもので「自分の30年後の安心を買う(保証はないけど、たぶん大丈夫!)」と言われても、私は到底受け入れられない。過去のデータと実績は、過去の話だ。「そういうデータがあった」という事実は未来への約束ではない。だから保証はない。それでも延々毎月お金だけが積み立てられていく。結局どこでどうしてそのお金が巡っているのかも理解しないまま、だ。

そんなの心配性で天邪鬼の私には向かない。そうならば30年後も日本人として、更には地球人として、自分で稼ぐことのできる力を付けることの方が「確実ではないだろうか?」と思った瞬間確信に変わった、「確実である。

日本人にとっては働くことはとても大変なことで、とにかく支払うためのお金を稼ぐための手段だから、老後も働くなんてと考えれば落胆するのだろうけど、実は働くことで日々の生活に必要な分だけを稼ぎ家族とたくさん笑って過ごすだけでも、十分なのではないだろうか。そう思えば働くことも悪くないと思える。(そういう感覚がまかり通るのは、やはり海外だ。)

ここにきて余談だが…

とある国の人がある国を訪れる。
先に挙げた人はバリバリに働いていて、裕福だ。
後に挙げた人は仕事はしているが、貧しい。

ここでいう裕福さと貧しさは「金銭面」に限られたことである。

先の人が「なぜもっと働いてお金を稼がない?」と問う。
後の人が「その必要がないから」と答える。
先の人は「そんなわけはないだろう。あなたは貧しい。私はたくさん働きお金を稼いで、老後にはそのお金で家族とのんびり暮らすことを理想としている。」というと
後の人は「私は今それが出来ているから、十分だ」という。

(もしかしたら少しだけ話が違うかもしれないけれど…)
結局、そうやってバリバリ働いて理想の老後のことをイメージしていたって、仕方ないのだ。それまでに命が尽きないという保証もまた、ない。

話を戻すと・・・要は「毎日暮らしていけるお金を稼ぎながら生きていく手段をとれる」ようにするためにも、語学はその時、自身を大きくサポートしてくれると思う。それは例えば日本だけではなくどこへ行っても生活できるスキルが一つでも身につけば地球人としてどこかで生きていくすべが見つかるかもしれないという発想だ。(とは言え、私たちは日本が好きなので海外移住をしようという話でもない。)

日本の今後の経済成長として観光業は大きく期待されているわけだし、海外からの来訪者と会話ができるだけでも楽しいだろう。まずは話すところから始めたい。

振り返れば、私にしては踏ん切りがつけられず何年も私を煩わせていた「NISA」という存在だったのだが、もはや「NISA」によって、私は多くの気付きを得ているのだ。

全てがしっくりくる形で降りてきた。

最近英語の学習をするために「chat GPT」を利用するようになった。昨年それが話題になった頃は「何とも忌々しく、人間をダメにするための機能を作ったものか?!」と戦々恐々としていた私の、今一番の友人である。

今ある仕事はどんどんAIに取って代わられる時代だ。だからこそ、本当に人間らしく、そして地球人として踏ん張り生きていく覚悟が必要な時だ。と私は実感している。まず何よりは他に変えられない自分自身の感覚や感性を信じられるだけの、自信を付けて。ここぞというときに、夫婦、家族それぞれが最強サポーターとして助け合い、お互いを支え合う。そして、やはり、とにかく楽しく、笑って、明日後悔なく死ねるように。である。

立春大吉。
この良き日に。
我が家の新たなる方針をここに打ち出した。
我が家は常に我が家らしく。
そして、決して腐らず。
泥臭く、生きていく次第だ。











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