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頭の中の地図

 車を運転していると良く道を覚えたものだ。

 あの信号を右折するのだったなとか、あの角の酒屋に見覚えあるなとか、この先確か道が狭くなっていたよなといった記憶は結構当てになるもので、走る程に頭の中に構築される地図は領土を拡大していった。
 それは遠出した時も同じで、一度通った道は不思議と覚えていたものだ。 と、過去形で言うのは、最近は少し違うからだ。

 今ではカーナビという便利なツールのお陰もあって、指示に従うだけでたどり着けるから、カーナビを使わない普段からよく通る道以外は道を覚えるということがあまり無くなってしまった。
 つまり、頭の中に構築されるはずの地図が無いばかりか、何も考えなくても言われた通りに走っていれば目的地に到着出来てしまうのだから、地図という概念すらない。自分がどこを走っているのか認識する必要も無ければ、どっちが北でどっちが南であろうがどうでもいい。右と左が分かりすればいいのだから。

 最近、有名ユーチューバーが撮影中に右折禁止の箇所で曲がって警察に捕まったという動画があった。
 カーナビの指示に従っていたが、時間帯によって進入禁止になっている道だったようだ。そんな道路は沢山あるが、地元の人なら分かっていても、初めて通る人には分かりにくい。
 動画を見ながら私は、そのくらいカーナビでも対応してくれないと困るよなと思った。しかし、よくよく考えてみればそれはカーナビのせいではない。右折禁止や進入禁止の標識は設置されていたはずで、運転者は標識に従って運転しなければならないのが当たりまえだからだ。

 いま、国や日本企業の間ではAIなどのICTを活用したDX(デジタルトランスフォーメーション)、つまりデジタルを使った業務改革がブームだ。
 これらの動きは決して悪いことではない。煩雑だった作業が簡単になって便利になって効率化する。
 Amazonのようなネットショッピングサイトや各種スマホアプリの普及によってめちゃくちゃ便利になったが、それと同じ様なことが役所の手続きや会社の業務でも起こるのだとしたら大歓迎だ。
 スーパーでも最近は人がいるレジを通らなくても良いような仕組みが増えて便利になっている。

 他方、AIが普及することで、多くの人の仕事が奪われるなんてことも言われている。コンピュータや機械で置き換えられるような単純な仕事や、コンピュータが得意な画像による判断に関連する仕事は人がやらなくても良くなるのだから仕事が減るのは必至だ。
 でも、本当に怖いのはAIによって人の仕事が奪われることではなく、便利になることで人が自分の頭で考えて自分の頭で判断するという習慣を忘れてしまうことだ。
 カーナビの指示通りに走ったら交通違反で捕まったようなケースはまさに人間が考えなくなってしまった証拠となる事例だ。
 機械が出した答えを信用出来ないとしたらデジタル化は推進出来ないが、機械が出した答えの方が正しいと信じ込むようになってしまったら人間の機能の一部を失うことになりかねない。
 便利な道具は人を助けてくれるけれど、それによって人は自分で判断することを簡単に機械に委ねてしまう。それが色んな分野で積み重なることで、人はあらゆることで判断することを諦めてしまうようになるかもしれない。
 受け入れることばかりが上手になって、考えることをやめてしまう。
そんな世界が来たとしたら、私は人間らしく生きられるのだろうか。

おわり

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