③ 「学習指導要領」に示された指導事項2 ー 描写1

②において、「自然と身についてはこないもの」としての「文学の言語」は、「知識及び技能」として教えていくのではなく「思考力、判断力、表現力等」を働かせて解釈できるように指導していくものであると述べました。
「思考力、判断力、表現力等」の「読むこと」領域における物語などの文学的な文章に関する指導事項は以下の通りです。

<第1学年及び第2学年>
イ 場面の様子や登場人物の行動など、内容の大体を捉えること。
エ 場面の様子に着目して、登場人物の行動を具体的に想像すること。
<第3学年及び第4学年>
イ 登場人物の行動や気持ちなどについて、叙述を基に捉えること。
エ 登場人物の気持ちの変化や性格、情景について、場面の移り変わりと結び付けて具体的に想像すること。
<第5学年及び第6学年>
イ 登場人物の相互関係や心情などについて、描写を基に捉えること。
エ 人物像や物語などの全体像を具体的に想像したり、表現の効果を考えたりすること。

これらの指導事項をよく読んでみると、「文学の言語」については「叙述」とともに「描写」という文言が使われていることがわかります。この「描写」も「登場人物の心情」を捉えるための根拠となる表現であることになります。『学習指導要領解説 国語編』には「登場人物の心情」は「行動や会話、情景などを通して暗示的に表現されている場合もある」と示されています。
では、なぜ「叙述」と「描写」という異なる文言を用いているのでしょうか。どのようにこの両者は違うのでしょうか。『解説』からでは「暗示的」という違いしかありません。このマガジンでは、「暗示的」ということを基にして、「暗示的に心情を想像させる表現」を「描写」と考えていきます。つまり、「叙述」の中でも特殊なもの(暗示的なもの)を「描写」と名付けることにします。
『ごんぎつね』で言えば、増水して危ない川に兵十が入っている表現があります。具体的には「着物をこしのところまでまくしあげて」「こしのところまで水にひたりながら」魚をとる兵十が表現されています。この表現からは「どうしても魚がとりたい」という兵十の心情が想像できます。危ない川に「こしのところまで」入って魚をとるということは「どうしても魚がとりたい」という心情と直接結びつきます。ですから、これらの表現は一般的な「叙述」であるということができます。
さらに、この後には「円いはぎの葉がいちまい、大きなほくろみたいにへばり付いていました」という「叙述」もあります。この表現からは「大きな葉っぱが顔についているのも気にならないくらい」「どうしても魚がとりたい」という心情が直接的に想像できます。
③でも書いた「うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして、あなの外の草の葉の上にのせておきました」という表現も一般的な「叙述」であると言えます。わざわざ「頭をかみくだ」くことはたべられる腹の部分を残したいという心情が、「草の上にのせておく」ことは容易に見つかるようにしたい(うなぎを返したい)という心情が直接的に想像できるからです。
では、「暗示的」な「叙述」である「描写」とは具体的にはどのような表現なのでしょうか。それを④で示していきます。

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