Q.ホットケーキは冷めたら、ホットケーキじゃなくなりますか?
A.冷めたのは、ほっといた結果のことなので、ホットケーキです
(Yahoo知恵袋より)
・・・さて
『心理的安全性のつくりかた』という本を今読み進めています。
自分が今属する組織にとって、必要なことは何かを模索している中で出会った「心理的安全性」という言葉。
なぜかピンと来たのでとりあえず読んでみようと購入。
さて、心理的安全性とは何なのか。
ハーバード大学のエドモンドソン教授が1999年に「チームの心理的安全性」という概念を作り、その論文の中で『チームの心理的安全性とは、チームの中で対人関係におけるリスクをとっても大丈夫だ、というチームメンバーに共有される信念のこと』と定義しました。
本書の中では、この定義をもとに心理的安全なチームについて
❝メンバー同士が健全に意見を戦わせ、生産的でよい仕事をすることに力を注げるチーム・職場❞
と表しています。
僕はこれまで様々なチームに所属してきました。
部活動から、大学のゼミ、学生組織、自主的な勉強会、3つの幼稚園
その過程で、「メンバー同士が健全に意見を戦わせ」るということが、いかに難しいことか、経験から実感しています。
なぜか。僕なりの持論を展開します。
人と人が関わる時、そこには必ず大なり小なりズレが生じます。
例えば相手の言う『ちょっと』と自分が思う『ちょっと』は違うように。
一緒にいる友人に「用があるからちょっと待っててもらえる?」と言われ、あなたが待っているとします。あなたはほんの2~3分と思っていたら10分後に友人が戻ってきて「ごめんごめん」とへらへらしながら言われたとします。なんだかムッとしませんか?これは友人がへらへらしているからかもしれませんが。
他にも
このくらいの認識のつもりで話していたら、思っていたよりも物足りない感じで返ってきてがっかりした経験や
この程度でいいやと思ってお願いしたことが、想像の倍以上のクオリティで出来上がってきて相手に申し訳なく思った経験などが誰しもあるのではないでしょうか。
この認識のズレのようなことが、人と人が関わる時には必ず起きていて、
これこそが「メンバー同士が健全に意見を戦わせ」ることから遠ざけているのではないかと僕は考えます。
つまり、人と人との関わりの間に認識のズレがあることを我々はこれまでの人生の経験を通して無意識に認知していて(今僕がこれを言語化できているのもそういうことってあるよなぁと常日頃の経験からズレを認知できていたからです)、そのズレは時に面倒事やトラブルに繋がることも経験から学んでいるからです。(「そんなつもりで言ったんじゃない!」「なんだとコイツ」などなど)
そうならないためにはどうすればいいか。
簡単です。
意見を戦わせなければいい。
火のない所に煙は立たぬもとい、意見のないところに面倒事は起きぬ、です。
自分の意見を言わず、誰かの意見に流され、のらりくらりと生きていく。
これが平和的な生き方なのではないか。
でもちょっと待って下さい。
本当にそれで良いのでしょうか。
改めてエドモンドソン教授の心理的安全なチームの定義を見てみましょう。
❝メンバー同士が健全に意見を戦わせ、生産的でよい仕事をすることに力を注げるチーム・職場❞
先ほど僕が述べた平和的な生き方に当てはめて定義しなおすと、
"メンバー同士が平和的に生き、意見を戦わせず、非生産的でそれなりの仕事をそれなりのやり方でできるチーム・職場”
ということになってしまいます。居心地は良いのかもしれませんが、チームとしての成長は見込めません。ぬるま湯組織です。魅力をあまり感じません。
ここで、改めて本書に戻ります。
先ほどエドモンドソン教授は対人関係のリスクを大きく4つのカテゴリに整理しています。曰く、
無知、無能、邪魔、否定的の4つです。
無知だと思われたくないリスク・・・必要なことでも質問せず、相談をしない
無能だと思われたくないリスク・・・ミスを隠したり、自分の考えを言わない
邪魔だと思われたくないリスク・・・必要でも助けを求めず、不十分な仕事でも妥協する
否定的だと思われたくないリスク・・・是々非々で議論をせず、率直に意見を言わない
さらに、このリスクにはそれぞれ想定される罰があるわけです。
無知だと思われたくないリスクへの罰・・・相談することで「そんなことも知らないの?」と思われたり、言われたりすること
無能だと思われたくないリスクへの罰・・・ミスを責められたり、自分の能力を過小評価されたりすること
邪魔だと思われたくないリスクへの罰・・・相手の邪魔になってしまうこと
否定的だと思われたくないリスクへの罰・・・意見の対立によって、嫌われたり、自分の考えを否定されたりすること
こうした対人関係のリスクがあると、良かれと思って行動したところで罰せられてしまうのであれば何もしない方がマシだ、とリスクに怯え、行動しない人が出てきます。こういったチーム、職場こそ「心理的"非”安全な職場・チーム」です。
さらに著者はこの"非”安全な職場の問題点を「チームの学習」という観点から2つ指摘しています。
1 挑戦することがリスクとなるため、実践し、模索し、行動することから学ぶということができなくなる
2 個々のメンバーが気づいていたり知っていたりすることを、うまくチームの財産へと変えることができない
さて、ここまで読んで、1度自分の所属する組織を振り返ってみると、リスクだらけであることが良く分かります。
無知・無能・邪魔・否定的を恐れて、とてもチャレンジし成長する組織であるとは言えない状況です。もちろん、全てそうだというわけではないけれど。
もう少し本を読み進めたら、続きを書いてみようと思います。
眠くなってきたので今日はここまで。
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