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過去の自分が恋敵。タイトル表記の謎から読み解くツギハギだらけの大人恋愛ミステリー『九龍ジェネリックロマンス』

【レビュアー/おがさん

ジェネリックとは
ジェネリック医薬品は新薬と同じ有効成分で作られ、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」にもとづくさまざまな厳しい基準や規制をクリアしたお薬です。
効き目や安全性が新薬と同等であると認められてから発売されます。開発にかかる期間が新薬と比べて短い分、費用が安くて済むため価格を安くすることができます。
(沢井製薬株式会社「ジェネリック辞典」より引用)

今回は、そんな「ジェネリック」という言葉をタイトルに冠する『九龍ジェネリックロマンス』を紹介したい。

『恋は雨上がりのように』等で知られる眉月じゅん先生によって描かれた本作は、「このマンガがすごい!2021」オトコ編3位に選ばれた。

事前にお伝えすると、本作には物語が急展開するシーンがある。

そして、その展開の先にこそ、私が伝えたい部分がある。

このシーンは衝撃的なものだが、本作はこの仕掛けのみに終始するものでは全くない。

作品の魅力を伝える為に、ここから先はネタバレを踏み超えてレビューすることをご了承いただきたい。

あなたの忘れられない人は、どこにいますか?

ちょっと話は変わるが、あなたには過去の恋愛において忘れられない人がいるだろうか?

両思いでも片思いでも良い。その人との思い出を思い返してみて欲しい。

辛かったり、苦しかったりする思い出もあったはずなのに、楽しかった部分を思い返す人が多いのではないだろうか。これは脳のメカニズムで説明できる。

「じつは、美しい記憶もイヤな記憶も、最初は同じレベルで脳の中に記録されています。ところが人間の脳はうまくできていて、イヤな記憶には意識的に抑制がかかり、思い出しにくくなっているのです。一方、美しい記憶は思い出すこと自体が快感です。その結果、美しい記憶ばかりを思い出しやすくなり、そのたびに都合よく変化させながらまた脳にしまわれていくのです。こうしてイヤな記憶の方はほとんど思い出されず、美しい思い出だけがどんどん美化されていくのです」
(「思い出が美化されるのはナゼ!?記憶を操る脳のメカニズムに迫る!」より引用)

思い出が美化されていくのは、作中の工藤発(くどう・はじめ)も同様だ。

工藤はかつての婚約者のことをいまだに忘れられないでいる。

なつかしさと共に思い出される感情を恋と同様に感じている。

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『九龍ジェネリックロマンス』(眉月じゅん/集英社)1巻より引用

そんな工藤に恋をする九龍城砦の不動産「旺来地産公司」に務める主人公・鯨井令子(くじらい・れいこ)。

工藤との距離を縮めたいが、近づくほどに工藤は誰かの面影を追っていることを感じ取る。

ある日、鯨井は工藤のデスクの引き出しに1枚の写真が挟まっていることに気づく。

自分と同じ癖を持っていると聞く、かつての婚約者と撮ったであろう写真。

興味本位で恐る恐るのぞいてみると、

そこには、鯨井自身が写っていた...。

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『九龍ジェネリックロマンス』(眉月じゅん/集英社)1巻より引用

この写真から物語の根幹が大きく揺らぎ始める。

鯨井自身には写真を撮った記憶もなければ、工藤と婚約をした記憶もない。

そして、鯨井は自身の過去の記憶がないことに気づく。

工藤にとって、婚約者は忘れられるはずがなかった。忘れられない人は、目の前にいるのだから・・・。

「クーロんジぇネりッくロまンす」という表記の考察

ここで一度、タイトルの表記について考えてみる。

『九龍ジェネリックロマンス』のタイトルは、「クーロんジぇネりッくロまンす」とカタカナと平仮名が一文字置きに入り混じった表記でも表される。

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※画像のアルファベット上のふり仮名『九龍ジェネリックロマンス』(眉月じゅん/集英社)1巻より引用)

ひらがなとカタカナのどちらにも統一されていない表記は、無秩序に建築された香港のスラム街、九龍城砦を彷彿とさせる。

無法地帯となり、建物が勝手に乱立するツギハギの街並み。一括りにできない九龍城砦を想起させるだけでなく、もう一つ「過去と現在」の対比を意味しているのではないかと私は考えている。

過去の記憶がない、現在を生きる鯨井。

鯨井は断片的に過去の記憶を思い出すことがあるが、その記憶が自分自身のものなのか分からない。工藤も同様に、鯨井の中に過去の鯨井との思い出を重ねている。

つまり、交錯する過去と現在の記憶の対比を表しているのではないだろうか。

そして、近くにいながらもすれ違い続ける鯨井と工藤。二人の心が交わるのは、過去の記憶を取り戻した鯨井と過去を愛する工藤なのか、現在を生きる鯨井と、過去を振り切った工藤なのか。

そんな二人の「過去と現在」のすれ違う想いがタイトル表記に込められている気がしてならない。

過去の自分と比較されることほど、残酷なことはない

恋愛においては、「比較できる何か」を多く持つことで、その人物をより鮮明に思い浮かべることができる。

何気ない癖や仕草。

匂いや声質。

価値観やモラル。

容姿や佇まい。

それらを比較することで、その人ならではの良さを知ることに繋がる。

では、もしその忘れられない人物と外見や仕草が全く同じだったら?

否が応でも内面の部分を常に比較され続けることになる。

自分の恋愛のライバルは過去の自分自身なのだ。懐かしいという感情と共に蘇る、美化され続ける記憶との闘い。これほど残酷なことはない。

鯨井が工藤の為に良かれと思って、過去の鯨井がしていたようなピアスを探してつけるシーンがある。ピアスをしている鯨井を見て、過去の記憶が戻ったと一瞬思った工藤は、心ない声をかける。

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『九龍ジェネリックロマンス』(眉月じゅん/集英社)2巻より引用

愛した人の眼差しが今の自分に向いているのか、過去に恋した面影を見ているのかが分からない。

自分の恋心も、今の自分の意思ではなく、過去の経験に基づいただけのことかもしれないという恐怖すらある。

それでも、傷つきながらも前を向き、自分の気持ちを正直に伝える鯨井に、工藤も徐々に変わり始めるが・・・。

未だに解明されてない謎も多く、単純な記憶喪失という訳ではなさそうな本作。過去の鯨井を深く知る人物も登場し、先の読めない展開も見所である。

話は冒頭に遡るが、ジェネリック医薬品は、新薬と同じ有効成分を同じ量使用して作られる。

同じ容姿や名前、クセをもつ現在を生きる鯨井は、さながらジェネリック医薬品のようである。しかし、単純な廉価版という訳ではない。

過去の記憶をなぞるだけではなく、新たに触れ合う周りの環境や経験により、過去とは違う選択肢を選ぶこともある。

新たな自分を受け入れることと、そして現在の自分を愛してもらうこと。

過去の自分自身がライバルとなる恋の行方を、今後も見守っていきたい。