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私が死んだら

Awich『Queendom』

 Awichという沖縄出身の女性ラッパーの『Queendom』という曲を聴きました。夫はアメリカ人で、銃撃事件で何者かに銃殺されたようです。この曲はその夫との過去、そこから前を向くAwichの強い意志を感じることのできる曲です。この曲を聴き、彼女の悲痛な過去を想像せずにはいられません。その中で頭に浮かんだことがありました。(今回の記事は深夜テンションで書いたので、感情的な部分が多いかもしれません。)


私が死んで悲しむ人はどれほどいるのだろう?

 私は学生時代、誰からも嫌われないことを目標にしてきました。そのため、自分の主張ができない人間になり、あまり仲の良い友人関係ができないままの時代がありました。今思えば、学校という小さな社会の中でもがいていた自分の最大限の自己防衛でした。大学時代、次第に自分で人間関係を構築することができるようになり、少しずつ自己主張ができるようになってきました。ようやく友人と呼べる人が増えてきました。私が死んだ時に、悲しんでくれるような人たちだと思います。


友人がいなくなると?

 大学時代の初め、中学時代の野球部のチームメイトが急性アルコール中毒で亡くなりました。仲が良い方ではなく、部活動以外に関係はほぼありませんでしたが、葬式では涙を禁じ得ませんでした。そして大学時代の最後の方で、友人が自殺を示唆し、私が警察を呼びました。その時の気持ちは、あまり思い出したくありませんが、悪いイメージしか浮かばず、恐怖に心が染まりました。これらの経験から、死は案外近くにあるのだなと思うようになりました。ニュースを見れば人が人を殺し、不慮の事故が大量に発生し、また自分で死を選ぶ人が少なくありません。私も、人生が終われば楽かな、と思ったことは1回や2回ではありません。


悩みの原因のほとんどは人間関係らしい

 死を身近に感じるようになり、自分の葬式を想像します。誰が来ているのだろう、泣いているのだろう。本気で悲しんでくれている人が、私が生涯かけて大切にすべき人なのではないかなと思っています。学校の中で、誰にも嫌われないように縮こまるのではなく、真に友人と呼べる人をたくさん作っていきたい。でも社会人一年目は、上司の顔色を疑い、誰にも良い顔をしてで、でもうまくいかず、心を痛めました。これじゃダメです。「誰にも嫌われない人間はいない」、わかっていても心を許すことが苦手になっている自分がいます。


良い葬式にしてほしい

 私が死ぬときはどんな感じなのでしょうか。大往生か、急逝か、病気の末余命宣告されての死か。そのときそばにいてくれる人、駆けつけてくれる人が少しずつ増えているような気がします。これから出会う人の中にも、そんな人がまだまだたくさんいるでしょう。そんな人と確かに出会い、大切にしたいなと思います。互いに人生に彩りを加えあえる関係をつくるため、周囲に感謝し、皆のために生きたいなと、本気で思います。


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