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【バチェロレッテ感想】真意を言葉にできない相手との交流方法

真意をそのまま言葉にできているだろうか。思ったことを表現できているだろうか。可愛くないものに可愛いと言っていないだろうか。わたしは、自称YESだ。意識してはしていて、言わないようにしているけれどもちろんぽろっと出てしまう時もある。でも、意識しないよりはましかな、という感覚もある。


この言葉の真意によるズレを、どうやって人と埋めていくのかちょっと考えてみようと思う。


きっかけは、昨年からハマって見ている「バチェラー」。今回1人の女性を複数の男性が奪い合う「バチェロッテ」としてAmazonプライムで配信がスタートして、現在3話を見終わったところだ。


補足:バチェラーとは、1人の高スペック男性が結婚相手を見つけるために複数の女性と旅を共にして、1話が終わるごとに「次の旅先も一緒にいたい」と思う女性を選んでいく(薔薇を渡していく)番組。今回の「バチェロレッテ」は従来の男性1人:女性複数の逆バージョン。
※ちなみに番組内では薔薇のことを「ローズ」と呼んでいますが、今回の「バチェロレッテ」ではローズさんという男性が出てくるので薔薇と表現しています。



男性にとっての高根の花・福田萌子さんは「パーソナルな部分」を重視して男性と話しており、3話までの間には男性が「真意で話してくれていないな」と感じたら薔薇を渡していない。

その他にも咄嗟に出た一言を深く受け止め、ふとした瞬間の言葉の重みや価値観の違いに自他ともに厳しく誠実に向き合っていると感じられる。


番組の特質上、その場で合わないなと思ったら薔薇を渡さずにお別れするしか方法がないのだが、実際の恋愛や人間関係ではどうなのだろうと考えるきっかけとなった。




確かにわたしの周りにも「ノリで生きている人」「言葉に重みがない人」「重い言葉を使っているけれど上っ面な表現に聞こえてしまう人」は多々存在する。最初からその部分が見え隠れしていたら深く関わろうとは思わないのだが、それが徐々に見えてきた場合はどうだろう。


わたしは、女神でも神様でもよく見られたいわけでもないが、注意してしまうだろう。後々それがマイナスに響くことがあるかもよとか、本当にそう思ってる?流されているんじゃない?と諭してしまった経験もある。


自分が付き合える人を選択できる世の中で、諭してしまう・注意してしまうというのは、これこそ人当たりが良いねって言われるのを狙ってるんじゃないかと言われてしまいそうだが、そういうわけではない。


徐々に見えてきた場合、その人との思い出やくれた言葉を全て断ち切って、「言葉の価値観が合わない」というだけで関係を終わらせたくないのだ。一言で言うなら、悔しいのだ。



自分のエゴかもしれないが、言葉の価値観なんて考えようと思わないと考えない部分だろう。わたしもライターという仕事をしてからようやく考え始めた。

そんな職業病みたいな部分を理由に関係を終わらせたくないし、相手にとっても、自分では気づいていないけれど誰かから見たらマイナスな要素として捉えられてしまうかもしれない。



だからわたしは言葉の価値観が合わない人とも全然普通に話すし、連絡を取るし、遊びにも行く。でも相談を持ち掛けられた時は第一に「あなたはどうしたいの?」と聞くようにしている。

悩んではいるけれど、何を悩んでいるのか分からなくなってきた。

苦しいんだけど、どこをどう改善すればいいのか解決策が見当たらない。

とか言われて、わたしならこうするなと思う答えがあったとしても、相手の感情を優先している。


もちろんバチェロレッテのように時間が限られた中で、取捨選択を迫られている中で言葉の価値観を追求して、相手の価値観を見直してもらう機会を作るのは難しい。

でも、友人や恋人、同僚、上司なんかの一般的な人間関係の中で、「言葉の価値観が合わない」という理由で関係を終わらせてしまうのは、すごくもったいない気がする。


私の結論は、言葉の価値観が合わない人とでも交流はできる。

ただ随所随所で相手の真意を問う質問の仕方や、真意を考えてもらう時間を作らないとこっちもやってられなくなるよね、というかんじです。



自論爆発noteになってしまいましたが、読んでくれた方ありがとうございます。



今からバチェロレッテ4話を見てきます~!

彅野アン













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