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わたしが思うTwitterの在り方

わたしがスマートフォンを持ったのは、高校1年生のとき。中学生のころから友人の半分くらいがスマートフォンを使っていたが、「高校生になってからね」と両親と約束していたので、入学祝いとして購入してもらった記憶がある。


スマートフォンを持つ際に、両親と10個ほどの約束を交わした。

・夜10時以降は使用禁止

・有料コンテンツの使用禁止

・使いすぎと判断した場合は取り上げる

・顔が分からない人とのやり取り禁止

・悪口やいじめに使わない

などがあったと思う。両親はかっちりとした人なので、誓約書も書いた覚えがある。


ただ、わたしはこの中の「顔が分からない人とのやり取り禁止」というものを早々に破ってしまう。犯罪スレスレとかそういうものじゃなくて、趣味友達を見つけるためにTwitterを始めたのだ。そのころ作ったアカウントは現在使ってはいないが、そのころできた友達とはいまでも頻繁に会ったり連絡を取ったりしている。


趣味というのはSMAPのことで、年齢的にSMAPが好きな人はほとんど年上の方ばかりだった。だから友人と仲良くなるのに時間はかからなかったし、テレビやラジオ、映画の話でワイワイ盛り上がった。当時は両親にそのことを伝えていなかったのだが、高校2.3年生のころには両親黙認となっていたと思う。今では「SMAP友達と遊んでくる~!」と普通に会話に出している。



もうそのころ知り合った友人とは7.8年の付き合いになるが、お互いに誕生日プレゼントを贈りあったり、家に泊まったり、ライブ遠征に行ったりと普通の友達のような距離感で付き合っている。




前は趣味友達との交流の場だったTwitteだが、今では顔が分からない人のツイートを見る方が多いくらいだ。○○ちゃんのツイートを見よう、とTwitterを開くことはほとんどしない。けれど当時のわたしにとっては、趣味友達とつながっている唯一の手段であり、趣味を心置きなく話せる居場所だった。なにが言いたいのかというと、いまのTwitterは軽くなったなということ。顔が分からない人とも気軽にDMやリプで話すことができるし、抵抗がない人が多い気がする。


わたしが守っていた(?)ルールがすべてというわけではないが、この春から、この自粛期間中にスマートフォンを持った学生はこのネットの世界をどう捉えるのだろうと疑問に思う。「誰とでも繋がれる素敵な場所」と捉えるか「顔が見えないから何を言っても実害がない場所」と捉えられるかで、Twitterの在り方も変わってきてしまうのではないかと思った。


そして当時のわたしのTwitter使用方法が正しいかどうかは置いておいて、現在わたしはTwitterでできた友人たちをとても大切に思っている。最初は顔が見えなかったかもしれないが、リアルの世界と同じようにメッセージでコミュニケーションを重ね、どんどん仲良くなっていく感覚は普通の友達作りに似ている気もした。



わたしは両親との約束を破ってしまった身だが、学生の時からネットに触れていてよかったと思っている。趣味友達もできたし、いろんな人の考えを読むこともできた。これからネットを使っていく小中学生がはじめてのインターネットで、嫌な思いをしない・有意義な時間を過ごせたと思えるネットの世界が理想なんだろうな。


いつでも楽しめるコンテンツ、リアルでできないことができる有益なコンテンツ。これがわたしが学生の時にTwitterに抱いていた感情だろう。わたし一人の発言や行動で今のTwitterの在り方が変わるとは思わないけれど、こんな風に思ってくれる学生が増えればいいな、とTwitter利用者として思っている。



彅野アン



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