こっちもどなられてます。ーー成長小説・秋の月、風の夜(81)
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おなじく楷由社(かいゆうしゃ)の専門書三課。
「緊急」のひとことでいきなり朝から他部署へ貸し出された嶺生(ねおい)四郎は、親友高橋とほぼ同時刻にどなられていた。
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作業用の大テーブルで、編集の土田が事務の女性たちと談笑している。今、話に入れるかどうか、四郎は少し様子をみた。
二十代後半の女性は混じっているが、幸いご先祖さまの「好みのエサ」ではない。明らかに「まずそう」なので、目が吸いつかない。
かわりに、近づくとご先祖さまたちのびちゃびちゃずるずる感がしゃーしゃーわきたってしまい、やはり寄れない。
「お話中すいません、土田さん」
四郎はつとめておだやかに声をかけた。
そもそも十人が十人、嶺生の惣領の目に恐怖する。それを怖がらない高橋以外の誰とも、四郎は目を合わせられない。目を伏せて微笑するか、目を合わせたように見えるテクニックとして、ちらっと相手のまつげを探してから、目をそらすのみ。
「なんだよ」
土田の返事がとげとげしい。
あいている椅子を借りた。
四郎は構成の入り繰りを、かんたんに鉛筆で修正したゲラを見せた。
専門書編集工程で修正されないまま、専門書一次校正に流れてきてしまった内容だ。
「午前中のペーパーに関連した話です。専編完了で渡してくださったとこ、こういう提示順で説明がすすむと、読み手に入りやすいんですね。体の部位で、臓器の説明なら役割を示して機能の流れをこのかたまりから、こっちへ。体幹部からこの方向へ。
手足のうごきのしくみなら、動作のめあてを示して末端動作と中心部の説明をこっからこうへ。
ちょびっと直させてもらってええですか?」
土田はムッとしていたが、四郎と目をあわせずに天井に向かって言い放った。「はいはいあんたの直しはちょっとじゃすまないことぐらいわかってますよ、んだよ高卒のくせにえらそうに。
どうぞまっかっかに直してください、気がすむまで。頭の悪い編集でごめんなさいね。後工程なんか見ねえからいちいち報告に来んなよ、うざったい!」
聞いていた全員が固まったのがわかった。
父親のどんな暴言も受け流す訓練のおかげで、するんと動けるのは当の四郎ひとりだ。
「お邪魔しましたー」四郎は目をつむってあえてにこやかに、ことばをかけてから、椅子をもどして軽く礼をして、去った。
後ろから声が飛んできた。「校正専任のくせに編集に口出しすんなよ、何回言えばわかるんだよ!」
テーブルの空気が凍りついているのがわかる。二人きりで何度か話して険悪になったので、人数がいる前で試してみたが、逆効果だったかもしれない。
みんながぎょっとしたり、対話に失敗したのが、さも自分のせいのように感じる四郎には、恥ずかしいのはむしろ土田のほうだという感覚がない。
今回も自分の失敗だ……と、忸怩たる思いがある。
どう伝えれば伝わるかをうまく準備できない自分が悪い。そうとしか捉えられない。
(まあ、ええやん、仕事がすすめばそれで)
あとのことはどうでもいい。だから仕事をしよう。四郎は自分に言い聞かせ、机に戻った。
親友と同時刻に怒鳴られていることも知らず、ただひとり四郎は、自分を情けなく思っていた。
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「なんだ嶺生、どうしちまったんだアイツ」
自席は急場の、課長席横の作業机だ。課長の鹿野が声をかける。
「はい、私の報告と説明がへたくそで……」
「何話してきたんだ、それみせてくれ」
課長にせかされて、四郎は持っていたゲラを渡した。「一次校正の四章冒頭です」
午前中に四郎が出した構成改案を、事業部長まで三十分で持ちまわったのは、鹿野課長だ。
略図と説明順をがらっと組み立てなおしたわかりやすさに、ほっとしたばかりだ。修正工数は膨大だが、宮垣耕造を怒らせずにすむ、社長の顔をつぶさずにすむと安堵したものだ。
「四章冒頭が、体の部位でいうと上・左下・真ん中という飛び方の混乱があったもんで、直させてくださいとお願いに。他に二十二直しがあります」
「ったく……土田のやつ状況を理解しなさすぎだな、あのペーパー無視か。おれから話す。
まずいな、土田あれじゃあ、すぐ宮垣先生にご説明にうかがってないな。おれあとで行ってくる。
……あのな嶺生な。きみも新人だしやりにくいだろうが、けれど子供の使いじゃないんだ。
だから、変に下手に出ないでな、OKはOK、NGはNGだ。
専編工程は、雑誌や読み物レベルどころじゃないんだから、ちゃんとしてくれ! と、言ってやればいいんだよ。
正誤表の顛末書は編集が書く。
つまりまっ赤っ赤にしてやることで、土田の再度の処分を予防してやるんだから、感謝されていいぐらいだ、堂々としなさい。
工程順序と偉い偉くないをごっちゃにしてませんかぐらい、嶺生の整然とした話し方で納得させられるだろう。あきらかに専校がしわ寄せ食ってんだからね。
嶺生ね。きみの年で、わかりやすく構成を組み直す力があって、誤字脱字発見率100%で、用語用例文法の的確さをもってしたらば、あっという間にうちの校正専任三名の中では、ホリさんも部下になる、校正責任者になるよ。
いざ校正責任者になって、下に何人か抱えたとき、編集にお邪魔しましたーじゃ、すまないだろ?」
はい、承知しました、と返事を挟みながら、四郎は鹿野課長の話を聞いていた。
父親といい、鹿野といい、土田といい、話が長くなりながら、しだいにイライラをつのらせヒートアップしていくのは、なぜなのだろう。
高橋やホリさんや斎藤課長の話ならば、いつまでも聞いていたいと思うのに……
そんな四郎の表情に気づかないまま、鹿野課長の話は続く。
「あとでおれが土田と話しておくから、とことんあのペーパーに即して作業をすすめろよ。今回のは、社長が宮垣先生に土下座して、やっと頂いたチャンスなんだからね。圧倒的な品質で、信頼を回復するしか手がないからな。
三日遅れまで押していいから、トラブルになりそうなところは、初校で吸収しきってくれ。ここで食い止めないと、社長の顔が立たない。
直しの分量が膨大だから、渡し先に作業ミスが出ないように、例の紙ツギしながら進めてくれるか」
「え、紙ツギですか」四郎は意外な言及に、問い直した。
「そうだよ、紙ツギだよ。あれは、後工程にミスがでない必殺技だからな。おれね、嶺生の校正の紙ツギ、うつくしくて好きだよ。
それと校正補助一人か二人入れる必要があれば、今日の進み具合と残り作業ボリュームで入れるから、十六時におれに連絡くれ。
……携帯番号これだ。十五時の時点で残り工数の概算やってくれ、アバウトでいい」
(そうなのか)
校正指導のホリさんの職人芸を、習ったそのまま使ってみた紙ツギだ。ところが入稿には「障子屋でもやれば」とあきれられたので、評価されていないと思っていた。
(鹿野課長は、紙ツギ、好きなのか)
四郎は微笑した。
「はい、ありがとうございます。それで、土田さんは二章分つどのご報告は、ちょっと頻繁すぎらしいんで、どうしたもんでしょう」
「えぇ?? ……机の上に、赤の入った版二章分ずつ、付箋伝言つけておいとけばいいだろ。直しが膨大なんだから一章ずつこれみよがしに置いてやってもいいぐらいなもんだ。
あのバカはあんな言い方してその実、見ないわけにいかないんだから。
なあ、機嫌の悪いヤツ扱うの、へたすぎじゃないか?
際限なく下手に出たり、報告連絡相談を引っ込めたりすると、自分もかかわる人も、全員困るぞ、自分も守れないし関わる人も守ってあげられないんだぞ嶺生。
むしろもうすこし迫力を出して、断固ゆずるな! と、おれは言いたい」
課長もだんだん、ムスっとして語気が激しくなってくる。
「そうですね、はい。……土田さんに、不愉快な思いをさせてすいませんでした」
「だから逆だろうがー! 嶺生が一方的に怒鳴られて暴言はかれて、不愉快な思いさせられてるんだろ。卑屈すぎるのは百害あって一利なしだぞ!」
課長の声は完全に怒った。
「不愉快な思い」というものが「存在しない状態」を知らない四郎は、鹿野に「すいません」と頭を下げて、自席へもどった。
作業に没頭し始めた四郎の後ろで、鹿野課長が「土田――。ちょっと会議室こーい」と声を放った。
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