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なぜ田舎に憧れるのか?

初めまして、宮崎の田舎で生まれ育ち、18歳から東京、大阪、フィリピン、オーストラリア、北海道、宮崎、東京と転々としながら、銀座の鮨屋で修業している黒木です。

前提として

大学生活で4年、社会人生活で5年ほど東京、大阪と都市での生活をしていた際は、地方の出身者によく出ている「人多すぎて無理っ」「息苦しい」とか都会アレルギー的なものは全く感じてなかったのですが、昨年から久しぶりに東京に住み始めて、田舎への憧れが強くなっている自分がいます。
改めて料理人として東京に出てきて、ひたすら食べ歩きをしており、10か月で200件程度、立ち飲み的なところからグランメゾン的な高級店までお邪魔しました。
なぜなら、多彩なジャンルかつ低価格から高価格帯の店が密集しており、すべてが猛烈に競争しており、他国と比較してコスパ的にものすごく美味しいものが食べれる世界最大の美食の街であると思っているからです。せっかく、東京にいるならそれを味あわないのは、もったいないぜっといったノリで給料全部食費にぶち込んでいるわけであります。

何が違和感なのか?

お店を回る中で、当然合うお店もあれば、合わないお店もあって、ガッカリすることもあれば、料理や空間、シェフの情熱に胸を打たれることも多々あります。その中でどんなに自分がいいなと思うお店でも感じてしまう違和感が出てきて、それが食材の寄せ集め感なんです。
お店は全国各地から様々な食材を集めて、高いレベルの技術で調理して提供する、といった流通が発達した現在では普通のことで、消費者的にも様々な土地の食材を都会にいながら食べられる素晴らしい仕組みですが、ありがたい反面なんか疲れてしまった自分がいます。
かなり精神論になりますが、本来野菜でも魚でも肉でも食材は生まれ育った土地があって、食べる際にその土地との距離感が近い方が美味しく味わえるなぁと思っている自分がいます。畑に行って取れたてのトマトを食べると美味しいみたいな。もちろん美味しくする技術は必要ですが、地域に根付いたモノをその土地で消費する方が、美味しく食べれるし、心にしみる感じがしています。フレッシュさであったり、関わった人の顔が見えやすい、自然が近いから季節感を感じやすいなど要因はあると思うんですが、シンプルに琴線に触れる体験になるんですよね、自分の場合。
完全に僕の主観なので、今の都市のお店が食材を集めて提供することに全く否定もないし、地方の生産者もものすごく恩恵をうけていると思います。ただ、今後の自分の目指すべき方向は食材との距離感を近くして、料理と向き合いたいなと思っています。

これからどうする?

では地方でお店をやるといた場合どうするのか、悩ましい問題があります。地方でも地域の食材に拘って高級店を営まれている感銘するお店はいくつもあって、ただそのお客様の大半が地域外からとなっています。それはある程度客単価を上げないとこだわりを表現できない点(使いたい食材を使えなかったり、調理に時間をかけたり、集客が難しかったり)と単価を上げた場合その地域の人たちの予算感から外れてしまうことが起きます。だから、地域外からの美食家のような人たちに支えられるスタイルになるみたいな感じです。平常時はいいかもしれませんが、今回のコロナみたいにお客様だとしていた人が物理的にこれなくなった時にどう店を維持するのかは、死活問題になるのかなと。
やりたいスタイルを貫くためにはどのような形で店をデザインするのか、もしくは店という形ではないで地方にいながら料理を仕事にすることへの可能性の模索と、頭が痛い問題ですが、今後のために少しづつ考えていきたいと思います。

なにかアドバイスやご指摘ありましたら、コメントいただけると嬉しいです。読んでいただきありがとうございます。