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大学のキリスト教サークルの活動に参加してみて思ったこと(後半)

こんにちは、tkです。
前回はそのキリスト教サークルのご飯会での経験をばーっと書きましたが、ここからはそれを踏まえて実際に自分がどう感じたかということになります。

前半はこちらから!


一神教と日本における多神教の違い

一神教とはその名の通り、絶対的な神という一つ(一人?)の存在を中心に宗教が構築されていますが、多神教は複数の神の存在を認めています。

「八百万の神」という言葉があるように、日本ではさまざまな物体や自然現象、学問といった概念にまで神が宿るという神道の考えが古代から存在します。これと共通するのが「アニミズム」で、人間以外の生物を含む全ての物体に霊魂が宿るという考えです。

私自身は全然信仰深い環境で育ってはおらず、祖父祖母がどこの仏教の宗派かぐらいしか認識はありません。それでも、「ものに当たらない」だとか「自然の恵みに感謝する」といった、自分の中では当たり前となっている考えも振り返ってみれば元は「八百万の神」の考えから作られた物です。
そう考えると、実は多神教は自分のアイデンティティーを構築する重要な柱の一つであるということに今更ながら気がつきました。

このお題についてお母さんと色々話をしたんですが、以下はどこかで読んだものの受け売りになります笑。

キリスト教は神という完璧な1つの存在があり、それは実際にイエス・キリストという2本の腕と2本の足を持った人間として思い浮かべることができるからこそ、その完璧な存在とかけ離れている人間、例えば片腕を失った人などは善意を施すべき対象であるという認識になります。そのため、キリスト教が浸透している国では慈善活動が盛んであり、恵まれないものに善意を施すことこそが正義とされています。
しかし、神道などでは神が至るところに宿っているとされているからこそ、「欠けている」人でも実は神かもしれないという考えがあり、むしろそのような存在を勝手に可哀想と思い情けをかけるのは失礼ということから、慈善の精神がキリスト教に比べると薄いです。慈善活動に躊躇してしまう人も日本人の中では多いかもしれませんが、それは本当の意味で皆が平等で、「こうあるべき姿」というものがないからこそ、皆が対等な立場でお互いと関わることができているからです。
一方、キリスト教では「こうあるべき姿」というものがありありと示されているので、そこから外れてしまった人は「異端」とみなされて迫害に遭うこともありますし、諸刃の剣のような側面があると感じます。

また、日本では多神教の精神があるからこそ物を大切にする気持ちが生まれるし、自然に対する敬意などが育まれます。その考え方がやっぱり私にはあっていて、日本の考え方をもっと大事にしていきたいと改めて思いました。

今後彼らとはどう関わっていけばいいのか

というわけで色々なことを肌で学ぶことができた貴重な経験でしたが、ここで難しいのがサークルで出会った人たちとの今後の関わり方。今まで直面したことのないタイプの問題です。

前回の note で書いた通り、話した人全員がとても温かくて、自然と楽しい会話ができる人々でした。これまで大学でそのようなコミュニィティーに出会うことはなかなか無かったので、積極的に参加し始めたら本当に安心できる居場所にはなりそうです。

ただ、私は学問としてキリスト教にすごく興味は湧いたものの、多神教と比べることでより日本の古来の考え方を大切にしたいという気持ちが強くなったため、キリスト教徒になることはおそらくありません。

その場合、サークルの人たちと関わり続けるのは相手にとって失礼になります。サークルの人たちは全員が真剣にキリスト教と向き合っていて、善意の心からキリスト教をもっと多くの人たちに広めたいと思っています。

一応最初に招待された時、キリスト教徒ではない人もよく参加していると言われましたが、よくよく話を聞いているとやはり継続して参加している人たちはほぼ全員元々キリスト教徒か、サークルに加入後、キリスト教に改宗した人ばかりです。私自身も、話した人たちから「キリスト教に入ってほしい」という願いをうっすらと感じることができました。強引な勧誘とかでは全くないんですが、キリスト教が救いであると信じているからこそ、仲間になってほしいという思いが伝わってきました。

その人たちと友達でいるためには、キリスト教を介してでないといけないのか?おそらく答えは否です。現に、キリスト教徒の友達はすでに数人いるし、おそらくそのサークルの人たちは関わらず受け入れてくれます。でも、やっぱり宗教が全ての中心にある人たちの輪に入って生半可な態度でいると後々複雑なことになりそうなので、一旦距離を置いてどうするか考えたいと思います。

今までイギリスと香港に住んだことがあると言えど、小さかった+あまり宗教に熱心な人たちに出会ったことがなかったので、このような問題には初めて直面します。正解がなんなのか分からないですね。

でも、どうにかこの先に違う形で彼らとご縁があるといいなーなんて思ってます。

また、今回を通して宗教という学問自体にとても興味が湧いたので、個人で色々と勉強してみる予定です。

まとめ

ご飯を食べる前に「いただきます」ということ、物を大切にすること、新年は初詣に行くこと。当たり前に思えることでも、よくよく考えるとそれら全ては日本で発展した仏教や神道の考え方が日常生活に溶け込んだ結果です。

そう考えると、信仰深くないと思っていた自分でも、振り返ってみれば自分のアイデンティティーの核に信仰心は常にあったなと実感します。

最近よく思うことですが、改めて日本人として生まれてきてよかったです。
もっともっと仏教や神道について勉強したいし、日本各地を巡って色々なものや景色に触れたとき自分が何を思うのか、知りたいです。

随分と色々なことを考えるきっかけとなったので、ご飯会に誘ってくれた友達には感謝です!
これからも何か気になったら色々質問してみようと思います笑。

長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!

ぜひ皆さんも躊躇わずに、気になったことには(もちろん安全な範囲内で)一度浸かってみてほしいなと思います。


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