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【雑記】史上最強の将棋棋士はだれなのか?

 日本で将棋AIの開発が始まったのは1970年代だ。研究者や技術者は、将棋AIが人間の頂点を超えることを目標としてきた。
 「完全情報ゲーム」である将棋や囲碁に関して言えば、ソフトは開発当初からしばらくのあいだ、プロと比較するのがおこがましいほど、弱かった。そして長年「将棋ソフトが人間に勝つことなど不可能だろう」と言われ続けてきた。

 2003年に、私は「アルゴリズムの鬼手」という小説を執筆し、光文社の日本ミステリー大賞新人賞に応募した。
 そのあらすじは人間より強い将棋ソフトを手に入れた棋士が勝ちまくり、それがもとで殺人事件が起きてしまうというミステリだ。
 最終選考4作に残ったが、最終選考会では選考委員の先生方にひどくけなされた。小説が未熟なのはもちろんあったが、選評を読む限り「ソフトが人間に勝つことなど、ありえない」といった前提に立った講評だったように思う。
 実際に小説好きでもある歌人の義父に、この作品を読んでもらったところ、「作り事のようで、現実味がないよ」と言われた。
 それほど当時はソフトが人間に勝つことなど絵空事に過ぎないと思われていたことの証左でもあるのだろう。

 ところが将棋ソフトが、ひとたびプロと互角の戦いができるようになった途端、AIは一瞬で人間を抜き去ってしまった。そして2017年、将棋では佐藤天彦名人が「PONANZA」に、囲碁では世界最強の柯潔九段がDeepMindの「AlphaGo」に敗北してしまった。
 「完全情報ゲーム」である将棋は、神様同士が将棋を指した場合、先手後手がわかった瞬間に勝負が決まる。将棋ソフトがその神の領域に達するのはまだずっと先のことだろうが、少なくとも現在では、将棋ソフトが人間より強いことなど、当然の常識になってしまった。

 それでは人間の世界において、史上最強の棋士はだれなのだろうか?
 たとえば、大山康晴十五世名人と羽生善治十九世名人(資格)がそれぞれの全盛期に対局すれば、いったいどちらが強いのか。
 将棋ソフト「YSS」の開発者として知られる山下宏氏は「悪手」に注目し、歴代最強と言われる棋士の棋譜を解析、レーティング(強さ)を算出した。
 彼はBonanza6.0(2011年)とGPSFish(2013年)の二種の将棋ソフトを使い、初心者からアマ高段者まで1800局の棋譜を解析した。
 「悪手を指す割合と棋力には関連性があり、悪手が少ないほど強い」ことに着目したのだ。
 現代の棋界最強と言われる棋士4人の全盛期を比較するため、4人それぞれのタイトル戦の棋譜を基に、平均悪手を変数としてレーティングを算出した。

 例えば、ある局面で人間が▲3六歩と指してソフトの評価が+20、AIが▲4六銀と指して評価が+30だったとする。人間の手はAIの手より低い評価なので、人間の差し手を悪手と認定し、それら悪手を分子に、手数の合計を分母にして平均悪手を算出する。
 レーティングの算出には、ソフトの解析結果から
「(-3184×平均悪手)+4620」
 という式を使った。
 ネット対局サイト将棋倶楽部24のレーティングは、1000でアマ6級、2000でアマ三段、3000でアマ八段が目安とされた。
 その結果、以下のような数値になった。

 大山康晴十五世名人、3000前後で推移(年平均16局)。
 中原誠十六世名人、3100前後で推移(年平均18局)。
 谷川浩司十七世名人、3100前後(年平均12局)。
 羽生善治十九世名人(資格)、3300前後で推移(年平均22局)。

 この解析によると、もし全盛時の羽生善治十九世名人(資格)と大山康晴十五世名人が10回対局すると、8勝2敗で羽生善治が勝ち越すと推定されるそうだ。
 また、藤井聡太五冠の棋士になってから最初の29局の棋譜を解析したところ、レーティングは羽生善治に匹敵する3300であることもわかった。
 さらに、2日制と1日制のタイトル戦、早指しのNHK杯を比較すると、同じ棋士でもレーティングに明確な差が出た。2日制に比べて1日制は平均100、NHK杯は平均200ほど低くなるという。
 これもやはり考慮時間が多い方が正しい手を指すという当たり前の結果が出たわけであるが、その中でも「秒読みの神様」の異名を持つ加藤一二三氏は、NHK杯でも91しか下がらなかったそうだ。

 江戸時代の棋士7人のレーティングも、棋譜から算出した。その結果は、初代名人大橋宗桂で2555、本因坊算砂は2611、初代伊藤宗看は2510、江戸時代最強の棋士と謳われた六代名人大橋宗英が2987、大橋柳雪は2556、天野宗歩は2758、伊藤宗印は2776だ。
 歴代家元大橋家では六代大橋宗英のレーティングが傑出して高い。幕末の書「将棋営中日記」が名人10人の中から最強と選んだのが大橋宗英であり、それが間違いないことを裏付ける結果になった。当時彼に立ち向かえる棋士はおらず、その実力は十三段と言われたそうだ。
 宗英の将棋は構想力に秀でているばかりでなく、かつてない感覚を持っており、近代将棋の祖と言われている。人に優しく自分に厳しかったそうで、なおかつ稽古熱心でもあった。子供でも初心者でも求められれば快く応じたが、一手たりともおろそかにしなかった。
 ある日の稽古将棋で、必勝の局面にもかかわらず、即詰みの有無を読み続け、長考して必至(次にどう応手しても詰む手)をかけた。いぶかる門弟に、「のちの人に笑われたくないからのう」とポツリと答えたという。
 末裔の九代名人大橋宗与は偉大な祖を「宗英、雪の白きが如く」と語っているが、高潔にして純粋な人物だった。文句なしに江戸時代最強の棋士だったと言えるだろう。

 さて、場合の数が10の220乗と推計される将棋は、その複雑性から、将来にわたってすべての局面を解き明かすことは不可能と考えられている。仮に悪手を指さない神様のような存在があるとすれば、そのレーティングは4620~4743だと推測されるという。
 山下氏によれば、悪手率に着目する方法であれば、20ほどの棋譜で棋士の棋力を推定することができるという。
 だが、このレーティングは「悪手」に着目した方法であり、あくまで「棋譜からの解析」でもある一面から見た数値に過ぎない。しかもこの判定法に従えば、悪手にもいきなり敗勢になる悪手もあるが、ソフトの評価値より若干低いだけの悪手もあり、それを同列の悪手と見なしてよいのかという疑問も残る。
 とはいえ、人々の評判と同じようなレーティングが出たということは、この算出方法があながち間違っていないということだろう。

 総じて江戸時代の棋士より、現代の棋士のレーティングが高いのは、将棋そのものの進化を示していると思われる。現代の棋士にとってAI(将棋ソフト)を使った研究は、今では当然のこととなっており、情報環境の劇的な進化はプロ・アマ問わず棋力に大きな影響を与えていると考えられる。

 「ヒカルの碁」という女流棋士・梅沢由香里が監修を務めた漫画がある。作中で、平安時代の天才棋士・藤原佐為の霊が現代の囲碁の定石、手筋を研究し、塔矢行洋という五冠のタイトルホルダーと互角に打っているシーンがある。

 過去の棋士が現在の環境に適応すれば、どれほどの棋力を発揮できるかは未知数である。
 例えば大橋宗英が現代に蘇り、現代将棋を研究したら、現代の藤井五冠を凌駕する可能性もあるのではないだろうか。
 さらにいつの日か、大橋宗英、天野宗歩、関根金次郎、坂田三吉、大山康晴、藤井聡太、羽生善治など、歴代の棋士の性格、棋風をAIに学習させ、現代定跡を覚えさせてから、宗英AIと羽生AIが戦うという、夢のような対局も見られるかもしれない。



【参考記事】
史上最強棋士はだれか 将棋AIが出した答えは - DG Lab Haus






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