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個人賞0回なのに全国制覇6度経験(内5回はスタメン)の話

こんにちは。

きばやしつよしです。

特にこれと言った理由は無いのですが、物は試しと言うことで過去を振り返ってみたいと思います。
※過去の栄光を振りかざすつもりは無いのであしからず

経歴

まず簡単に自己紹介すると

・東京都府中市出身
・親の影響でバスケを始める
・4人兄弟の3番目(姉2人のため一応長男)
・性格悪いため対戦チームや審判とよく喧嘩する
・身長196㎝(高1から伸びてない)
・ウイングスパン190㎝(身長より短いの致命的)
・スピード×、アジリティ×、ジャンプ力×、持久力×、身長◯

京北中(東京)→北陸高校(福井)→筑波大学(茨城)

とまぁこんな感じで、題名で挙げた実績は

中学:ジュニアオールスター東京都代表優勝(2008年)
   鹿児島全中優勝(2009年)
高校:ウェンターカップ優勝(2010年)
大学:インカレ3連覇(2014〜2016年)

あと世代別代表にちょいちょい選ばれたり選ばれなかったりしました。

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”筑波大学”入学

ここからが本題で、今回は大学入学時Aチームの最後尾(ギリギリAチーム)にいたとこから、約1年半でインカレ優勝チームのスタメンになったところについてざっくり書きたいと思います。

まず筑波大学バスケ部の構造を簡単に説明すると、基本的に推薦は毎年「3人」のみであとの部員は全員一般入試で入学します。

つまり推薦3人×4学年=12人
これに一般組を3〜5人を加えた計16〜18人程度が例年のAチームになります。

試合に絡める気配なし

入学時インサイド(4,5番ポジ)は自分を含め6人、試合出る順で行くと6番目
練習試合の控え組戦ですら出れず、1日中TOするだけなんてことも多々ありました。

ここだけ聞くと「今までエリートだっただけで1年で試合出ないとかフツーだろ」って思われるかもしれないですが、一緒に北陸高校から進学した丈太郎(現名古屋)や同じポジションの小原(現横浜)がスタメンの控えでバリバリに出ていて焦っていたのをよく覚えています。

人生の転機となった試合

入学最初の春のトーナメントではベンチ外、その後はなんとかベンチに入りつつ、点差が開いたらたまに試合に出れるという下級生あるあるな日々を過ごしていました。

そんな平凡な僕にインカレ優勝チームのスタメンになる”人生の転機”とも言える試合が突然訪れます。それは2年時のリーグ中盤戦、つくばカピオで行われたホームゲームで VS拓殖大学

相手には大学1年から個人賞受賞しまくり、個人的には高校3年時インハイ・ウィンター共にマッチアップしながら敗北したセネガルからのスーパー留学生「バンバ選手」が在籍していました。

この日も僕はいつも通り「出たいけどまぁ今日も使ってもらえないだろうな〜」と考えていました。

チャンス到来

試合はいつも通りエースのバンバ選手が活躍、筑波は劣勢
そんな中、突然ベンチの吉田先生から「木林」と呼ぶ声が
先生から僕に与えられた指示は単純明快、相手のエース”バンバ選手を抑えること”

実はこの時、密かに相手のエースを抑えられる自信がありました。

理由はここに至るまでバンバ選手をコート内外から何度も見ていて、頭の中にクセ・思考回路・感情の起伏・ドリブルコンビネーション・好きなアタックシュチュエーション・打ちたいタイミング・疲れてくると手を抜くポイント・TOのパターンなどがインプットされていたからです。

コートに出てからは上記の情報をもとに徹底して「相手の嫌がること」をし続けました。
結果この試合に勝利し、ここからわずか数試合後にはスタメンになることができました。(この辺りの詳細は今回割愛します)

ネクスト

今回はとりあえずここまでで次回以降、より具体的な「チーム内でのポジショニングや差別化戦略」「監督から信頼を勝ち得る方法」「身体能力に依存しない戦い方」「進路の選び方」なんかを書いていけたらなと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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