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家族のために、自分を大事にすると決めた。

ヨシタケシンスケさんの初のエッセイ集を読んで、思いがけず涙があふれた。
風邪を引いた息子がミカンをむいて食べさせてよと言うほほえましいエピソードのはずなのに。

本当はもう、元気が出ている息子くんが、布団の中からミカンを食べさせてよと、具合が悪いふうに装うシーン。

その姿が面白かった、とヨシタケさんは書いてあったのだけど、私は涙があふれてしまった。

なんでだろうと考えていったら、

この子のように、甘えたかったんだ。

ということに気が付いた。

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いつも完璧に家事も仕事もこなす母に、この息子くんのように正々堂々と甘えた記憶がない。

ご飯も3食手作りだったし(仕事で帰れないときはおばあちゃんが作りに来てくれた)
洗濯物も畳んだ事ないし、掃除機もろくにかけた事ないし、お風呂掃除もトイレ掃除もした記憶なんか無い。。。。

必死にわたしたちを守ってくれている母には、甘えさせてくれと言う隙が無かったように見えた。

大変そうな母を見ても、子どもの自分は何もできないことが辛かった。

家事を手伝えー!と今の自分なら思うけど、完璧主義の母は、「自分でやったほうが早いから、あんたのように子どもに手伝わせる根気がなかったわ」と最近告白してくれた。
わたしが現在どれだけ子どもに家事を分業しているかについては長くなるので別記事にします。笑

自分のせいで、母が辛い思いをしているんじゃないかと思うこともあった。

本当は、ちょっとくらいダメな所を見せてほしかった。

ちょっとくらい弱音をはいて、頼って欲しかった。

弱さを見せてくれたら、安心してわたしも甘える言葉を伝えられたのかもしれないな、なんて事を思った。

素直に甘える息子くんがうらやましくて、それを微笑ましく見つめるヨシタケさんの目線が温かくて、素直に甘えることが出来る環境がまぶしくて、涙があふれちゃったのかもしれない。

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自分も母になり、家事や仕事のあれこれが当たり前にできる事では無いとわかった。

やってはみたものの、母のように文句を言わず淡々と全てをこなすことはわたしには無理だ、という境地に至った。(なので現在わが家の子ども家事担当率は50%超えてると思う。笑)

わたしにとっての最優先事項は、きげんのいい母でいること。

無理をして、家事も育児も仕事もすべて全力で頑張らないと決めた。

家族のために、自分を大事にすると決めた。

無理をして、頑張りまくってキャパオーバーになったからこそたどり着いた境地。

わたしがやらなきゃ誰がやる、と息巻いて母として10年間駆け抜けてきたけれど、わたしがやらなければ誰かがやる、ということにようやく最近気が付いた。

というか、家事を任せられるくらい子どもたちが成長してくれた。
(もうすぐ5歳の末っ子もかなりの戦力。10歳長男、8歳娘も、家事はほぼなんでも出来る。)

なにもすべて自分だけで背負う必要はない。

出来るときに、出来る人が、出来ることをしていって、協力して生きていけばいいじゃん、そのほうがお互い感謝も生まれるし助け合う気持ちも生まれるしめっちゃいいじゃん、ってようやく気が付いた。

なんて独りよがりだったんだろうって。

だから、してもらったことは当たり前とは思わず、感謝をして、感謝の言葉を添えて、ありがたくまわりに甘えさせていただく日々なのです。


柑橘類大好きな長男は、皮むきがうまい。
この間は、夏ミカンを薄皮までむいてくれた。

おいしかったな。ありがとう。

また、ちぎってちぎって(薄皮もむいて)食べさせてね。

あれ、息子くんよりわがままだな。
あはは。しあわせだな。



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