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もう1体のラスボス~罪悪感~



父親のことを考えると、続けて母親のことも頭に浮かびました。
母親もまた、母親が幼い時に実の父親と死別していました。母親の母親(私の祖母)は食堂を切り盛りして、女手ひとつで、母親とその姉(伯母)を育てたそうです。
当時、食堂は忙しかったそうで、祖母が帰って自宅で座れるのは、いつも夜遅かったと聞いた記憶があります。
私の両親は、たぶん、2人ともがそれぞれ両親に甘える事などほとんどなく、親の愛情にあまり触れずに成長したのではないかと思います。


父親と母親の事を、私自身が以前よりも平常心で考えられるようになってきた今、少し前に向き合い終わったラスボス的観念の後ろに、もう1体の付随したラスボス的なものが存在する感覚がしました。

(※この後、私の罪悪感を書いています。少しでも心にご負担を感じられる場合、読むのをお辞めになってください。私の場合、後に辛い時間が訪れました。自分の罪悪感を感じる事は、大丈夫だと思っても、安易にしてはいけないと感じました。行われる際は、どうか信頼出来る専門医、心理カウンセラーの指示や立ち会いの元なさるようお願い致します。)


罪悪感、だと思いました。
宗教を辞め、両親と実家から離れる事を決めた後、私が自分の人生を生きるために、自分の中、奥深くに押し込めた罪悪感。
自分を保って生きるために、今まで見ないようにして、出来るだけ、可能な限り、感じないようにしてきた罪悪感でした。

両親へ。
当時、私はどうしても、宗教を続ける事は出来なかった。だから、家を出る事、両親から離れる事しか考えられなかった。そうやって自立して、自分の人生を生きていく事しか考えられなかった。
両親2人ともの幼少期の頃の事や、育った環境の事まで、思いを巡らせたり、2人の気持ちを推し量ったりする事が出来なかった。ごめんなさい。
私は、されて嫌だった事は本当に嫌だったし、それは赦せない事だけど、不器用ながら両親なりの愛情も、きっとたくさん掛けて育ててもらったと、今は思います。
反抗して、傷つけて、家を出て、ごめんなさい。
私は当時の、あの時の気持ちを変える事が出来ないまま、ずっと思い込んだまま過ごしました。今まで、向き合えなくて、ごめんなさい。


妹へ。
あの時あまり話しも出来ず、気持ちを伝えきらずに、置いて出てしまう形になって、ごめんね。
姉らしい事、してあげられなくてごめんなさい。

叔祖父(大おじ)さんへ。
父親と母親がご迷惑をお掛けしてごめんなさい。
叔祖父さんは、祖父が亡くなってから、きっと実家に対して自分がしっかり見ないといけないという、責任を感じて、気に掛けておられたと思います。
私も実家から出てしまって、実家を継ぐという意味で帰る事はなく、叔祖父さんの期待に応えられず、
実家の仏壇とお墓を守れなくて、ごめんなさい。
私は当時子供で何もわかっていませんでした。
でも実家の両親は両親で、あの場所が両親の居場所でした。
私は両親と一緒には居られなかったし、両親の居場所を奪ってしまう事などは、それは私の望みではなかった。考えられなかった。当時私は、私の生き方をする必要がありました。
叔祖父さんにはご迷惑と本当にご心労をお掛けしてしまった事、本当にごめんなさい。長年、申し訳ありませんでした。

親戚の方へ。
両親も私も本当にいろいろご迷惑をお掛けしました。当時も、もしかしてその後も、複雑な気持ち、嫌な気持ち、何とも言えない諦めの気持ちを抱かせてしまったのではないかと思います。疎遠になってしまう事になり、本当にすみませんでした。


亡くなった祖母へ。
おばあちゃん、あの時、見送ってくれてありがとうね。手を振りながら見送ってくれたあの時の姿は今でも、目に焼き付いているよ。
倒れてしまってからは、なかなか会いに帰る事も出来なくて、私はなんにも出来なくて、ごめんね。
よく一緒に畑に行ったし、一緒なお布団に入って一緒に寝て、たくさん本を読んでもらって、育ててもらったのに、私が家を出てから、寂しい思いをさせたよね。本当にごめんね。おばあちゃんのお陰で、介護の仕事、頑張れました。また、お墓参りに、行くからね。


父親と母親との事を、私が本当の私で受け止めて、考えられるようになった今、両親の事と連鎖して、今まで自分の中、奥深くに封じ込めていた、いろんな罪悪感が出て来ました。
今まで、こういう気持ちを感じると、即封じ込めてきました。
辛く、苦しくなるために敢えて見ないようにして、感じないように自分を忙しくして逃げて、直接対決をしないようにしてきた、そういう気持ちでしたが、私にとっては、いつか向き合って、感じ切る必要があった気持ちだったのかもしれません。
今、やっと、向き合う事が出来るようになったのかもしれない、と思いました。


ラスボス的な山は、いったいどのくらいあるの?と思いました。
少し前に、大きな大きな山を越えたと思っていたのに、その奥に見えていなかった山がこの間もあったし、まだありました。その事に、私は少し打ちのめされています。
自分自身が、こうなってしまうとはわからないながら、今まで長年向き合う事を避けてきてしまったんですから、仕方がないのですが...
これが本当にラスボスでしょうか。最後の山でしょうか...
まだ、まだあるのでしょうか...
今更ですが、1人で何体ものラスボスと対決していく事や、いくつもの山を越えて行く事は、本当に、なかなか辛い事だと思いました。


今は、気持ちに無理をしないように意識しながら、全部受け止めて受け入れて、自分の勝手な思い込みは手放して、自分を赦して、自分を労り、乗り越えて、歩みたいと思っています。


お読み頂き、ありがとうございました。



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