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鬱になって引きこもりになった僕が父にして欲しかったこと

どうも。僕は受験期に鬱になった後、引きこもりになりました。(現在はほぼ完治し、就職活動中です。あと、姉もうつ病&睡眠障害でした)

突然ですが、僕がずっと疑問に思っていることがあります。それは、

子育ては母親の責任である


という価値観です。

この価値観は、子供に接する時間は母親のほうが多いことからできた価値観だと思います。

この考えのままいくと、僕のような人間、つまり、高校、大学、就職という道を上手く進めなかった子供ができてしまった原因は、母親の教育によるものだ。となります。実際そうなっている気がします。

ニートや引きこもり、うつ病になった人のきっかけとしてよく聞くのが、母親が毒親だったからだとか、または大学生、社会人になっても甘やかし続けたから...といった事例です。

確かに、直接的な原因はそれかもしれません。しかし、こういった問題の本当の根本にあるのは、父親の在り方にあると思います。

僕が最近感銘を受けた本があります。タイトルは「父滅の刃」

アウトプット大全で著名な精神科医、樺沢紫苑さんがアウトプットの大ヒットの裏で出版しているサブカルチャー評論です。

この本、サブカルチャーに関心のある人は必携の書と言えますが、サブカルファンに止まらない影響力を秘めています。

この本には、父として相応しい存在になるためのヒントがあります。


意外なBad Father

この本の中に、Bad Father、つまり父親として相応しくない父親の例が書かれていました。

1. Very Strong Father(以下Strong Father)

2. Weak Father

3. Ordinary Father

1のStrong Fatherはイメージしやすいと思います。強すぎる父。どこそこ大学に行けみたいに強く迫ったり、虐待をする父親です。

2のWeak Fatherは、弱すぎる父。軟弱で頼りにならないために、子供たちは自信を持って生きることができない可能性があります。

さて、問題は3のOrdinary Father(凡庸な父)です。この父親は、二つの意味で衝撃的でした。

一つ目に、仮に凡庸な父がBad Fatherであるならば、世の中の多くの父親がBad Fatherであること。

二つ目に、凡庸であるがゆえに、Strong FatherやWeak Fatherと違って、悪い影響を与えていると気づかれにくいこと。

世間で言われるBad Fatherは、大抵Strong Fatherのことを指します。そしてStrong Fatherではない父親(そして過度なWeak Fatherでもない父)は、基本的に問題なしという見られ方をしているのです。

そんな一見世間から問題視されないOrdinary Father、果たして父親としての責務を本当に果たしているのでしょうか。僕は違うと思います。

父親の責務はただ一つ。父性を与えることです。簡単に言えば、逞しく生きる姿を子供に見せること。ただそれだけです。

別に、社会的地位が高い必要もなければ、年収が高い必要もありません。筋肉隆々だったり、自分なりの正義を持って世の中の理不尽と向き合い続けていたり、一つの好きなことにずっとずっと打ち込んでいて、スゴイ特技を一つでも持っている。そんな姿を子供に見せていれば、もう十分なんです。

逆に、世の中の空気やシステムにただ流されるままで、その不平を家庭で漏らし、そのくせして空気やシステムに抗って生きる他人を許さなかったり、ただ利権を持っているというだけで大したことをやっていないのに、社会的地位やお金を得ている不条理な存在ではダメなんです。

そんな生き様を見た子供が感じることはなんでしょう。そこには人生や人間に対する幻滅、諦観しかありません。

僕の父親は、典型的な凡庸な父です。

彼はちゃんと働いています。45歳ぐらいには人事部次長を務めています。35歳ぐらいまではそこそこ貧乏だったようですが、45歳ぐらい(僕が12歳のころ)には、まあまあゆとりある生活だったんじゃないかな?と思います。

しかし、彼は自分の人生哲学を持っていませんでした。特技もありませんでした。ふてぶてしさもありませんでした。

ただ、世の中の空気やシステムに従い、それに従えない人間を許さない人間でした。人事部で人を管理する立場になってからは、ますますその姿勢に拍車がかかりました。

映画を見ることが趣味ではあるのですが、それに対して真剣に向き合っているという節もありません。映画の感想を聞いてみたところ、カッコいい、面白い、怖いといった感情表現の類以外の言葉が出てこないのです。同じ映画を何回も見てみることや、ストーリーやショットを自分が作る側だと思って批評してみることや、自分で映像作品を撮ってみることを勧めても全く乗り気にはなりません。

そして暇な時間は、寝て映画見てTE〇GA片手にAV見て不倫する。そんな生活を見せておいて、(人事部だからか)やたら就活の話をしてくるし、とにかく「四の五の言わず服従せよ」という旨のことを言い続ける。そんな父親です。

そんな父親を見て、僕は世の中の空気やシステムに乗っかることが増々いやになりました。加えて(診断はしていませんが)僕はADHDっぽく、そもそも普通の人のようには生きにくい人間だと思います。

しかし父親を筆頭に、周りの人間は服従することばかり求めました。そこから外れることイコール、人生終了存在価値なしみたいな空気が常にありました。

そこにいるのが苦しい。辛い。でもそこ以外の世界を誰も見せてくれない。だからそこにいるしかない。そんなことを続けているうちに、僕はうつ病になりました。

お金なんてなくたっていいし、社会的地位もなくていい。(実際貧乏だったときのほうが、僕は幸せでした)社会に対する自分なりの正義を持って生きているだけでいい。なんだかんだで子供が尊敬できるような存在になること。それが父親の本質なのではないでしょうか。

もうちょっとさあ、カッコいい父親でいて欲しかったなーー

もちろん僕にも至らないところがあったでしょうし、今更こんなことを言っても遅いこともわかっていますが、それが僕が父親にしてほしかったことです。(父であることについてもっと知りたい方は以下を参照)

ただ、これは父親だけが悪いわけではありません。今の日本社会には、なぜか「カッコいい父でいようという」意識がない人がほとんどに見えます。”父親はカッコよくなければ”という風潮が日本社会にはありません。これは致命的なことだと思います。

アメリカは少し違う印象を受けます。僕はNBA(バスケの最高峰のリーグ)が好きで、それを通してアメリカ社会を見ているのですが、日本と比べて明らかに、自信に満ちた逞しい人間が多く存在し、男なら強くあれという価値観が一般に浸透しているのがわかります。

戦後の成長期にあった日本では、働く父親に対してのリスペクトが今よりも強固にあったことは反論できないことと思います。そのときに幼少期を過ごした昭和30年から50年生まれの人は、(父親としての使命が意識されていなくとも)成長期を背景として自信を持って働いていた父親を見て、父性(正義、強さの象徴)を獲得し、問題なく社会化することができたと思います。

しかし、僕と同じく平成生まれの人はどうでしょう。彼らが物心ついたとき、日本経済は低迷し、社会には重苦しい雰囲気が流れていました。毎日心身ともに疲れ切った顔をしたOrdinary Fatherを見て育った人が多いと思います。そんな父親を見た子供は、果たして自信を持って無事社会化することができるでしょうか?

ちなみに僕は平成12年生まれ(今年で21歳)で、僕らの世代は不況(90年代後半以降)が深刻化する前に10代20代を過ごした世代を親に持ちます。それ以降に10代20代を送った世代を親に持つ世代(平成17年以降の生まれ)は一体どうなってしまうのでしょう?

精神疾患患者や引きこもりの問題は、母親だけでなく、父親の存在も大きいこと。そして父親はどこかしらカッコよくなければいけないこと。この認識がもう少し広まればいいなと思います。

追記

この記事と同じような話を、今日(7月10日)母親に言いました。

僕が父親のあるべき姿、そしてBack to the futureの話まで一通り話終わった後、もしかしたら伯父(母方の)と出会っていたら違ってたかもね...と言ったら、姉も「伯父さんに会いたい」と母に漏らしていたそうです。

僕の伯父は、高校を中退したあと家出して、2年ぐらいしたらまた家を出て、そこから一切音信不通だったそうです。最近救急車で病院に運ばれたことで久しぶりに会ったそうですが、なんだかんだで元気にやっている感じです。

僕も姉も、高校大学就職というただ一つの道に対し、どこか恐怖と窮屈感を抱いているのだと思います。そんな僕たちにとって、レールの上から外れまくった、”男はつらいよ”の寅さんみたいな存在である伯父がどんな人なのか、肌で感じてみたかったのだと思います。

この記事を見て、自分や、知り合いの悩みが少しでもスッキリとすれば感無量です。感想もお待ちしています。

以上、最後まで読んでくれてありがとうございました!

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