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小説 ちんちん短歌 第24話 『万の葉』

 大偉川から海沿いの道を歩くこと、7日。

 道中、建は朝露を飲み樹液を啜り、食べ物は、疱瘡で滅びた村の蔵に分け入り、落ちている穀物をよく噛んで食べた。火を通していなかったが、もう腹は壊さない。地獄に慣れたからだ。疱瘡も経験している。病に免疫ができていた。
 人は地獄に慣れる。
 地獄に落ちて、落ちて生きて、生きて、生きたから、生きれる。

 すれ違う人はあんまりいなかった。行き倒れ、死にかけている者になら出会った。道のど真ん中に倒れている回復の見込みがない旅人を見かけると――大抵は疱瘡にやられている――建はその身を街道の端に運び、その目の前に石を積む。
 建は百済の生まれだし、ヤマトにいる間、奴隷という身分ではあんまり葬送の場面に出くわさなかった。そもそも、葬送を持たないからこそ奴隷ってところがある。なので、この国の葬送のやり方がわからない。が、なんとなく滅んだ村に何度か出くわし、死体の前に不自然に石が積まれていたのを見たので、適当にそれを真似た。

「お、おたすけを……」

 石を積んでいる最中、渾身の力を振り絞って、声をあげた行き倒れの旅人がいた。
 声、振り絞っていた。でも、もうだめだった。
 地獄に居たかわらかる。この旅人はもう死ぬ。希望はない。
 建は首を振り、動けなくなった旅人の体の目の前に石を積んだ。

 その旅人は、租(年貢米)の運搬をしているところだった。国倉は遠い。旅人は辿りつけず死んだ。建は、その旅人の運んでいた年貢米を盗った。米は貴重だ。食料としてはもちろん、賊に襲われた時の形代代わりにも使える。
 行李の中に米はほとんど入ってなかった。この男が道中食べてしまったのかもなあ。食べれば荷も軽くなるし、そもそも何の保証もなく、ただ運ばされるんだ、税を運搬する役目の者は。
 だいたいみんな死ぬ。この国で、税を払うなんて馬鹿だと思う。

 ふと、死んだ男は、なにか知っている歌はあったのだろうか思った、建。
 聞こうとしたときには、もうとっくに事切れていたけれど。死んだ人には歌の事は聞けない。

 こうして盗人のようなことをして、目的地へ移動を続ける。それがこの時代の、旅人の移動のやり方だ。建はもう、何の葛藤も良心の呵責もなく、機械的に行き倒れている物から物資を奪い、食み、勝手に葬送し、移動を続けた。

 道が二手に分かれる。
 大きな道は海沿いの道だが、ただ海に沿って歩いているばかりでは遠回りになることは、なんとなくわかる。
 一方、小さな道は、森へと続いている。

 森への道……建は警戒する。
 森はこの時代、人の棲まない異界だ。入ったら、だいたい死ぬ。
 いや、死ぬだけならまだいい。
 森の中に入ったら、人として死すら与えられない。森の闇に取り込まれ、朽ちた木や石、――物になってしまう。建はそう思っているし、この時代の旅人はだいたいそう思っていた。

 別にそれでいい、という人もいないわけではない。古老とかそんなメンタル。自然に還るのだ、精霊になるのだあ、大丈夫だよおう、なーんて。ドラえもんかよ。だが、 天平神護元年(西暦765年)を生きる現代っ子の建としては、死んだ後でも人間社会と隔絶されるのは、けっこう抵抗がある。それだけは、なんかつらい。

 じゃあ、やっぱ海沿いの街道か。遠くなるな、と思ったが、ふと、森への小道への道の始まりに、石仏があるのを見た。
 最近、旅をしているとよく見かけるようになった。ヤマトの支配権に仏教が、疱瘡の広がりと共に爆発的に人気を得て、信仰の拠り所として仏を模した彫刻がこんな東国の辺境にも見られ、道に置かれるようになった。あの山間の村のキイコの旦那も、たしか仏師だったし。

 その石仏。
 やや大きい石に彫られた、人の形をしたものだ。何気なく近寄ると――。

みなごろしに勝ちたる盤上に笑ひ湧けば国中の桜散る気配する

 思わず後ずさる建。――石仏が、口を利いた?
 これはもしかして、歌か。短歌か。短歌だとしたら、いままで聴いたことのない言葉の使い方。なんて言うか、言葉の使い方の前提が、今まで覚えてきた短歌と、かなり違う。
 これが東国の短歌なのか?
 大偉川を越えたあたりは、都の人間からすれば十分に田舎で、異国だ。異国……だとしても、なんか変だ。ちがう。これは、何か奇妙だ。

 そのまま石仏を見る。よく見れば、女性。おばさん形をしている。妙に背筋のいい、凛とした背恰好……。
 建はそのおばさん型石仏に触れようとすると、

われのおにおとろえはててかなしけれおんなとなりていとをつむげり

 噛まれたのか、指? と錯覚する、建。手を引っ込める。
 たしかに、別の歌が詠われたのを感じた。風が言葉を運んだのか。指から、直接何かが入ってきた感じ。

 ……なんだ、この歌は。なんだこの石の仏は。
 いや、仏というよりむしろ人か。人が、石になったのか?

 その石仏の顔、ちょっと面白く、こっちを見て、ニヤっと笑っている。このおばさんの石仏。なんだこれ。笑ってやがる。

 すると、そう離れていない場所に、別の石仏もあった。
 先のものよりやや白く、新しい。
 建が引き付けられるように近寄ると、やはり、耳からとか目からとは違う入り方で、短歌が体に入ってくる。

終わります白梅散りて 終わります紅梅散りて いつか終わります

 やはり、馴染みのない言葉遣い。そしてやはり、このリズムは、歌だ。短歌だ。
 これはもしかして、仏の世界で詠われている短歌なのか? この世界が終わった後の世界の、別の世界の短歌か? この歌はその世界の終わりを予期して詠まれたものなのか? 
 とても、この世のものとは思えない静けさ。世界の終わりには、一対の紅白梅があるのではないか。

 さらにその隣にも石仏。すると、もう近づかなくても、ひゅっと入ってきてしまうんだ、短歌が体に。

やいちくんと巡るぢごくのたのしさはこの世のたのしさに似ています

 なんだこれは。狂っているのか? この石仏。「やいちくん」って何だ。だしぬけになんだ。まるで、きちがいのため息のような歌。まったく状況も、やいちくんとやらも、何一つわからないのに。でも、歌われているたのしさ、なんかわかる気がする。

 建が引きつけられた三つの石仏は、みな女形のようだった。男形の仏はあるのか、と目を振ると、あった。
 多分男の石仏。樹が石仏を浸食し、半ば同化しているもの。

ひとの死ぬるは明るいことかもしれないと郭公が鳴く樹の天辺で

 ……おーっ、そうかー、と、なにか気に入り、しばらくその樹と同化している石仏と目を合わせる。
 見れば、石の体からキノコもにょきにょきと生え、もう樹なのかキノコなのか仏なのかわけがわからなくなってて。でも緊張感の無い、いい顔している。
 その石仏は続けて、

山よ笑え若葉に眩む朝礼のおのこらにみな睾丸が垂る
夢にわれ妊娠をしてパンなればふっくらとしたパンの子を産む
地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく

 と詠う。ああーと、一首一首、噛むように歌を味わう。ばかだなあ。なんか笑えてくる。ばかの歌だ。すごく、落ち着く。
 こんな歌があったのか。あっていいのか。なんか、理性とか良識とか、生物としての人間のリミッターを、何段階か外しているような。そこに、ばかばかしさと、解放感と、頭のおかしさがあっていいなあ。いいなあ……。

 まだないのか。酩酊するように石仏を探す、建。
 あった。まただよ、また女性型の石仏。なんか小さい。ちんまりと小さい。かわいい。お着物きてる。小リスみたい。かわいい。

菜の花の黄溢れたりゆふぐれの素焼きの壺に処女のからだに

 ああー。これ、舞いたい。覚えて舞いたい! この石仏の発する短歌は、ものすごくダンサブルだ。口に出し、そして、体をゆるく動かしたい……短歌奴隷として舞い甲斐がある。なんか、そういうつもりで作られた歌なのかもしれない。
 実際この歌を口にすると、体がすり足になる感じというか。声に出してみると「なのはなの【きィ】あふれたり」と、57577のリズムの流れで「きィ」と口にせざるを得なさを課すところが、もう自動的に体を動くように作られているみたいっすね、と建、もう少し体を傾け、この石仏の歌を聴く。

こぼれたるミルクをしんとぬぐふとき天上天下花野なるべし
ひさかたの月を抱きしをのこらの滅びののちに我が恋あらむ
太陽を犯せし遠き兄おもふめざむればひとと湖底に居りつ

 ああ、いい。いい、どれも、ああ……と建、この石仏の歌が気に入ったのか、聞いた言葉を捉えて、舞おうとしている。
 呼吸を整え、その歌を体で感じたまま、覚えようと反復して口に出そうとした瞬間、はっと気づく。アッと声を上げる。

 森の中の道へ、入ってしまっていた。しかも、だいぶ、奥まで。

 日中だというのに、木漏れ日も少ない、暗い森。冬だというのに、びっしりと、気持ち悪い葉がもさもさ茂る。方向感覚がなくなる。どっちだ。ここは、どこだ。
 ていうか、冬なのに、落ちないのか、葉。それに、なんだこの数。葉、葉、たくさんの葉。まるで万。万の葉が、何層にも茂り、そして風に吹かれ、がやがやと、にぎやかに、闇を作っている。その闇が建の頭の上らへんを何べんも撫でる。
 そして闇と光の薄暗さの一本の道の脇には、ずらりと、延々と、ひとつひとつ、狂っている石仏たちが並んでいて。
 おそらくその石仏たちは、全部、歌が染みている。

 誰が作ったんだ。誰が置いたのか。
 俺は、とんでもないところに足を踏み入れてしまったのではないか。

「森は、怖いですから」

 誰だ、と思って振り向く。
 道のど真ん中に、釈迢空がいた。
 待った。待った。……釈迢空ってなんだ? 名前か?

「仏を置いたのでしょう」

 目の前にいる、白い行者服を着た釈迢空――だから釈迢空ってなんだ? なんで俺はこいつの事を「釈迢空」って思ったんだ? ――釈迢空は、糒(ホシイイ)を食べながら話しかけてくる。
 手足の裾は土茶色に染まり、長い旅を経てきたのだろう。全体的にくたびれていて、ずっとやや下を向いていて、建のちんちんあたりを見ている。

「先をいく者が、森の闇を恐れ、道に仏を置き、それを真似て、その後の者が、新たに仏を置くのでしょう」

 鼻の形が少し変だ。
 釈迢空は何度もスンスンしながら、建に語りかける。

「……この道は、どこへ」

 釈迢空、応えず、そのまま近づき、ゆうらりと建とすれ違う。

「歌を、探してまして……この道の先に、私が探している歌はあるんですか?」

 建は声をかけたが、釈迢空はそのまま、まるで時間をさかのぼる様に、この森の小道を建とは逆に通り過ぎていく。
 今なら、あの行者らしき奴についていけば、元来た道に戻れるかもしれない。
 だが、戻ったところで何なのか。あの街道の、遠回りで、何もない、ただ大きな道に戻って、何が。

 それに、石仏たちも気になる。
 詠う石仏たち。これら異形が発する短歌は、大伴家持が欲していた、奈良の都の外にある、市井の歌なのではないか。
 今に生きる人たちが歌う歌。家持が探し求めていた「記録されるべき」短歌たちではないのか?

 釈迢空から目を切り、改めて進行方向を見る。
 万の葉のトンネルの奥に、僅かに光があるのは分かる。
 そしてその道の両端には、……びっしり、仏。仏。仏。仏まみれ。上を向くと、なんと樹木の上にも仏が。いや、上だけじゃない。建の踏みしめていた地、だと思っていたもの。それも仏だ。仏の顔だ。仏を踏んでいたなんて! いやいやいやいや、地や天だけじゃない。空気もだ。空気も仏だったんだ。エア仏だ。エア仏、エア仏、エア仏! この小道のあちこちに充満してやがる。そのどれもが、固有の歌を持っていやがる。
 一つ一つが違い、一つ一つがきちがいだ。いや、きちがいなら俺もだ。だって、体にも仏が、手! 足! 胸! 顔! し、舌にも仏! すべてにすべてに仏がある! やべえ!!!!

 あの川渡し場にはまったく無かった歌が、この何気ない道にあふれていた。なんで、こんな薄暗い道に。なんで、俺のまわりに……その仏たちは、建に向かって一斉に歌を放った。斉唱が始まる――。

今夜どしゃぶりは屋根など突きぬけて俺の背中ではじけるべきだ

バービーかリカちゃんだろう鍵穴にあたまから突き刺さってるのは

徹夜明けのように天気雨のように哲学したいっすね 仄かに

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て 

「水菜買いにきた」
三時間高速を飛ばしてこのへやに
みずな
かいに。

およそ くろいものほど ひかる。いましめられる非常時の なにとない おののき。

キシヲタオ……しその後に来んもの思えば 夏曙のerectio penis 

馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ

寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら

右手をあげて左手をあげて万歳のかたちになりぬ死んでしまいぬ

元旦に母が犯されたる証し義姉は十月十日の生まれ

さくら咲く川辺は淡く やさしさと括られてしまった 上等だった

死に去んぬ死に去んぬ灰に作んぬといふものをうすくれなゐの心もてよむ

 ……あああ、なんだこれは。気が狂っている! 全部狂っている!
 ただ、言葉を、音を、5と7のリズムに沿って並べただけだろう?
 なんでそんなに狂えるんだ? それに触れるひとの身にもなれ。どれだけ機械的に接しようとしても、自動的に、入ってくるんだよ! 心に、体に、ちんちんの隅々にまで、言葉が! 57577ってだけなのに!

 建は駆け出していた。
 すると、森の葉たちが一斉に、真緑のまま落ちてくる。
 ――我を知れ、我を詠め、我を口にせよ、歌は、葉は、ここに在る。降り積もる。建の目の前に葉が、道をふさぐように。積もります。かき分けます。埋まります。抱かれます。逃げます。無駄でした。一度でも、歌に触れておいて、万の葉から逃れるなんてできません。

 中へ、中へ、葉の中へ、森の中へ、歴史の中へ、闇の中へ、もがき、苦しんで、揺すって、逃げて、分け入って、分け入ってぇ、分け入ってぇ、え、え、え、え、え……――永遠?

・・・・・・・・・・・・・・・・

 気がつくと森を脱していた、建。

 森を抜けた丘に立つ。光ある場所。
 眼下に集落がある。炊煙が立ちのぼっている。生活のある場所。人間が棲んでいる場所。
 異界から、人間の生活の空間へ戻ってきた。

 ここは、ヤマトの中で、「大伴」の威光の届く東のさいはての地。
 ムツ前・ヒムタカミ道のクジ・ナガ・アラチ・ツクバ四群の連合集落。

 一応の旅の終着地として大伴家持に示された地に、建はとうとう到着したのだった。
(つづく)

引用歌一覧

みなごろしに勝ちたる盤上に笑ひ湧けば国中の桜散る気配する(『世紀』2001年)
われのおにおとろえはててかなしけれおんなとなりていとをつむげり(『飛花抄』1972)
馬場あき子

終わります白梅散りて 終わります紅梅散りて いつか終わります(『エトピリカ』2002)
小島ゆかり

やいちくんと巡るぢごくのたのしさはこの世のたのしさに似ています(『恐山からの手紙』2000)
辰巳泰子

ひとの死ぬるは明るいことかもしれないと郭公が鳴く樹の天辺で(『歩く仏像』2002)
山よ笑え若葉に眩む朝礼のおのこらにみな睾丸が垂る(『寒気反乱』1997)
夢にわれ妊娠をしてパンなればふっくらとしたパンの子を産む(『泡宇宙の蛙』1999)
地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく(『寒気反乱』1997)
渡辺松男

菜の花の黄溢れたりゆふぐれの素焼きの壺に処女のからだに(『びあんか』1989)
こぼれたるミルクをしんとぬぐふとき天上天下花野なるべし(『客人』1997)
ひさかたの月を抱きしをのこらの滅びののちに我が恋あらむ(『くわんおん』1999)
太陽を犯せし遠き兄おもふめざむればひとと湖底に居りつ(『客人』1997)
水原紫苑

今夜どしゃぶりは屋根など突きぬけて俺の背中ではじけるべきだ(『ますの。』1999)
枡野浩一

バービーかリカちゃんだろう鍵穴にあたまから突き刺さってるのは(『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001)
穂村弘

徹夜明けのように天気雨のように哲学したいっすね 仄かに(『ハニー・バニーとパンプキン』2022)
夜夜中さりとて

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て (『春原さんのリコーダー』1996)
東直子

「水菜買いにきた」
三時間高速を飛ばしてこのへやに
みずな
かいに。
(『O脚の膝』2003)
今橋愛

およそ くろいものほど ひかる。いましめられる非常時の なにとない おののき。 (『復活祭のない春』1938)
石原純

キシヲタオ……しその後に来んもの思えば 夏曙のerectio penis (『土地よ、痛みを負え』1961)
岡井隆

馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ(『感幻楽』1969)
塚本邦雄

寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら(『サラダ記念日』1987)
俵万智

右手をあげて左手をあげて万歳のかたちになりぬ死んでしまいぬ(『火だるま』2002)
高瀬一誌

元旦に母が犯されたる証し義姉は十月十日の生まれ(『望郷篇』1974)
浜田康敬

さくら咲く川辺は淡く やさしさと括られてしまった 上等だった(『ピクニック』2018)
宇都宮敦

死に去んぬ死に去んぬ灰に作んぬといふものをうすくれなゐの心もてよむ(『魚文光』1972)
河野愛子


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