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小説 ちんちん短歌 第25話『ごはん、住居、そしてちんちん』

 色がある、と思った。色は、食えるのか、とも。

 建の目の前に膳が供えられている。椀の、鮮やかすぎる赤漆の色が食べ物たちに遷ったのかと思ったが、そうではない。食そのものが鮮やかな色を放っていたのだ。こんなものを見るのは、建は初めてだった。食べ物とは白か茶色か黒だと思っていた。だが、この焼きエビの紅、茹でた菜の花の黄、生鮭膾の赤の鮮やかさはなんだ。この歓待はなんなんだ。

国立科学博物館特別展『和食展』2024/2

 クジ・ナガ・アラチ・ツクバ四郡連合集落の相(実務執行官)である物部石上兎麻呂(もののべのいそがみのとまろ)は、エビス顔で建を歓待する。「や、ふつうですよ、こんなものは」と笑い、飯椀を勧める。よく精米された米は、食べ物とは思えないほど清い。

「都の様子はどうです?」
 兎麻呂は杯に白濁酒を注ぎながら建に聴く。
「ああ、まあ……。疫病が流行りまして……。まあ」
 俺みたいな奴隷が正月でもないのに酒を注がれるなんてなあーと思いつつ、建は、なんて応えたものかなあと探りながら答える。

 この分不相応な歓待は何か。
 建は大伴家持の使者とはいえ、ただ、短歌蒐集に来ただけの者だ。
 この地は大伴の一族の小吹負という人物が強く地盤を固めたというが、それは100年も前の話。ただ、親大伴派である石上の一族のこの男だけが建を歓待した。
 兎麻呂の兄の石上宅嗣は、家持と強い縁があるという。
 しかしだからといって、たかが一奴隷をこれほどもてなすのは、やはり解せない。解せないけど、飯。色のついた飯を口に運ぶ。
 口の中に入れば、同じだった。色のついた食べ物を、小皿の塩を振って、味をつける。この時代の食物の味は、ただただ塩の味だ。

 官舎代わりのこの屋敷もかなり狭い。作りも簡素だ。
 だが、その内装は、兎麻呂の趣味なのか、都風の文物――のように見えるもので、けっこう凝っている。
 唐風の屏風……よく見ると、兎麻呂の手作りなのか。不器用なハンドメイド感出ている。
 窓も丸窓で、これも10年前くらいの都の最先端のトレンドだ。唐の都のイメージ。けどこれも自分でやったんだろうな感というか、窓のサンがギザギザだったりと、素人仕事って感じで、丸窓というには、小さい。頑張って穴をあけましたって感じが出ている。それでも、窓のフチを、赤い塗料で頑張って塗っているあたり、なんか頑張ってる。ていうか、今、都ではこんな感じの窓は作られないよなーと建。
 そう、床にはよくなめされた鹿の毛皮が敷かれているんだけど、よく見たら着色してある。黄色と黒――え、今気づいたけど、これ、虎を模しているの? で、壁には梅の花を模した、なんだ? 造花? みたいなものが飾ってあり、あとなんか埴輪が供えられてる。埴輪。埴輪って、そんなの都にあったかな。とりあえず物寂しいから、置いてみたって感じなのか。女の子の埴輪。都で昔流行っていたお着物が着せられている。若緑色の襟が、色あせている。

 で、兎麻呂、食事時で仕事でもないのに、冠をつけている。よく見れば、その冠がクシャっと頭の部分が潰れている。
 建、何気に兎麻呂のその冠を見ていると、「あ、わかります?」みたいな顔で冠をちょちょいと触る。あ、あれ、都でごく一部だけ流行った「荀令君(荀彧さん)」という冠の崩し方で、500年くらい昔に漢土(中国)で流行ったという……今見ると、うーん、貧相な感じというか。あれは、ピシッとした礼服に一か所崩すという遊びがあるからバエるわけで、全体的にもっさりしているこの村の、この雰囲気の中だと、普通に「使い古しで麻の張りがなくなっちゃったから潰れちゃった冠」になってしまうよなあ、とぼんやり思っている、建。

「14の頃まで都に居たんですよ。そこから、もう19年? こっちで暮らしてるんですけどね。……やー。……都。そうか、疫病って心配ですねえ」

 兎麻呂は、見かけは建と同世代くらいに見えたが、30代前半だという。彼の父・石上乙麻呂は都の大文官で遣唐使にも任じられた貴族であったが、兎麻呂は遅くに出来た子であり、庶子でもあった。
 父が常陸太守に任命された時、兄弟と共に都からこの土地に連れ出されてきた。そして父が任期を終えると、子供たちの中で兎麻呂だけこの地に残された。次の常陸太守の引継ぎ要員として現地に留まるよう言いつけられたのだった。
 だが後任の太守たちは兎麻呂を疎んだ。
 彼らは父とそもそも派閥が違うようで、さらに兎麻呂が父と連携が薄いと看破されたのか、なにかと難癖をつけられ、公然と罵倒され、散々にいじめ抜かれたあげく、この辺境の四郡の相を押し付けられた。
 辺境の集落の不安定な地の、徴税と防人の選抜を直接やらなければならない、憎まれ仕事。それを、若くて実務経験の乏しい、貴族の庶子がいきなりやらされる。
 父からの帰還命令もなかった。父からはただ、「この地に留まり、刻を待て」とのみ。

 兎麻呂は父の言いつけを守っていた。
 何にもない村。
 隣接する北の森の向こうは、ヤマトの威光の届かない異民族であるエミシが棲む。いつだって何かするたびに罵倒される感じの方の村長みたいなものを、兎麻呂はしている。
 して、待っている。刻を。何の刻は知らされぬまま。

 兎麻呂は、都の話が聞きたいんだろうなと建は思った。

「私も奴隷ですし、奈良のあおによしな所、そんなに知らないんです。たかが短歌奴隷ですし、そもそもこんなに歓待を受けるいわれは」
「いいんですよ。“あおによし”。聴きたかったんですそういう言葉が自然と出てくるところ……」
 兎麻呂はやせ細った腕で何杯も酒を勧める。

「……あおによし ならのみやこにたなびける(安乎尓余志 奈良能美夜古尓多奈妣家流)」

 建の口からふと、歌がこぼれる。ちゃんとした発話の姿勢ではない。座している。ただ声は、日常のものではない。
 その声に、兎麻呂はビクンと反応する。
 あめつちがわずかに動く。といっても、建は別に座ったまま、本気を出していないので、気配がそよぐ程度のものだ。

「あまのしらくもみれどあかぬかも(安麻能之良久毛 見礼杼安可奴加毛)

――あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも

 また、なんとなく歌をつぶやいてしまった。おもらしみたい、と思い、すこし恥ずかしい。 
 これは、建が都から立つ前に、遣唐使経験者のつどいの席に大伴家持と共に取材した短歌だ。遣唐使たちはよく現地で歌を歌うらしい。帰りたい。やっぱつらい。と。
 この歌は、遣唐使をやっているあいだ、ところどころで口にした歌だという。
 遣唐使たちは遠い異郷で雲を見た。雲を見るたび、奈良を思った。思い出した。奈良っていいよな。奈良の都の雲っていいよな。とても、よかったよなあ。

 雲かよ、雲でいいのかよ、と当時の建は思っていた。

「……歌ですね、それは。ああ……そうですね……雲……そうですよねぇ」

 兎麻呂の顔を見ると、目が少しうるんでいる。
 この程度で? と建。
 でも、この程度というか、ああ、そうか。俺は、建は、歌への理解と、人への理解が浅かった。
 雲を見て、飽きなかったという感覚。異郷でそれを口にするという事。それを、ただ歌の音だけで文学的理解をしようとしていたから、凡歌だと思っていた。雲を見てある土地の事を思い、それを詠った、という他者が、この世界に居たという事を知るだけで、人はこころが動くのだ。

 この歌が、今なら良く舞えそうな気がする。いつかちゃんと、舞って歌って兎麻呂の目の前でやってあげたい。

「建さん。のちほど、もし短歌蒐集のお邪魔にならなければ、都の歌をいくつかお聞かせいただけませんか。この村は、何にもない村で、おそらく建さんが望むような歌は一つもありませんが、私のような憎しまれの郡相には教えられていない秘歌があるかもしれません。
 建さんの予定の許すまで、ぜひ、わが別宅にご逗留ください。……」

 ありがとうございます、そして、喜んで、と建。
 この人は俺を歓待しているわけじゃない。「都」という概念を、もてなしているんだ。そして、それでいいんだよな。俺は道具だ。奴隷だ。記録媒体だ。他者から俺の姿が、人格が、魂が、見えなくなればなるほど、俺の発する短歌は、純粋なものになっていくんだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・

 四郡連合の中の一番広い地域のツクバという村に官舎があり、建はそこで暮らすことになった。
 兎麻呂は建に奴隷をつけてくれると申し出たが、さすがに奴隷に奴隷を仕えさせるなんて聞いたことがないと固辞する。

 そもそも、本当ただの「短歌蒐集」なのだ。
 「大伴家持の使者」というテイでこの村にやってきたけど、別に兎麻呂に伝える事は何もないし。
 代わりに「家持様には『万事整えております』とだけお伝えいただければ」と兎麻呂は言伝を頼んできた。これは何なのだろう。

 それで建は村で、ぶらぶらしていた。

 食と住は兎麻呂が賄ってくれる。
 衣服は、「染め部」の手習い、自分で洗濯はちゃんとするし、だから、本当、村でニート生活。
 
 ふつうに「知ってる短歌ありませんか?」と一人一人さっさと聞きに行けばいい。それでもう終わる。村人も、四群合わせて七百人にも満たない。かなり広大な土地のあちこちに点在しているのだけれど。まあでも農作業の時なんかみんなで一緒に集まるんだから、そこで聞けばいいし。
 でも、建、やんなかった。
 やる気がなかったからだ。
 ただただ、兎麻呂の下賜してくれる飯を食い、洗濯して、村の中を、ただ居た。家の中でちんちんを出していた。ちんちんをいじっていた。一日が終わっていった。

 これが旅の目的地だったのか、とふと思う。
 今日も何もしなかった。ちんちんを握りしめながら、俺は何をしにこんなところに来たのだろうと思っていた。どうせ、ここにはきっと、短歌はない。
 死にかけて、時間もかけて旅をやってきて、これか。
 と、思いながらちんちんを握っていたら、だらしなく射精していた。
 力が抜ける。
 なんの興奮もなかった。ただちんちんを刺激していただけの、射精だった。

 俺が発する短歌って、こんな感じなんじゃないのか、と、ふと思った。

あおによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも
(詠み人知らず)

(巻15-3602)

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