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小説 ちんちん短歌 第26話『エモのスイッチをただ押しているようなつまんねえ尻振り』

 令なる寒さが和らぎ、梅の花が咲くころになった。
 村の農夫ら数名が、なんとなく区画を区切った泥濘に、穀物の種を蒔く。もう、適当に撒く。素人目に見ても、あきらかにダメな種の撒き方をしている。
 建はその光景を、石の上に座りながら見ている。石の冷たさが、穿いているアフリカンパンツ越しにちんちんへ伝わる。
 農夫は建の視線に気づくと、笑いながら語りかける。

「食わしてんだよ、鳥に」
「なんで。貴重なのに。米」
「そうでもねえよ。こんなもんバカ採れる。だから今のうちに鳥に食ってもらうの」
「だからってもったいない気ぃしますね」
「採れすぎたら、税で持ってかれるでしょうが」
 ああー、と、建。
 農夫たちが種もみを撒くと、無警戒なすずめが片っ端から地面をつつく。容赦なく種もみは食われていく。
 それでも、芽は生えてくるという。
 そして、どうせ実る、と。
「食われた方がマシなんだよ。収穫がめんどい。採れたら倉に運ばねばなんなくなる。それに、蔵に食べ物を入れておくと、ネズミや虫も沸く」
 農夫はやせ細っていて、日焼けと経年での疲労で黒ずんだ肌を見せながら、笑った。
「足りないくらいがちょうどいい。食い物なんて、山や森に行けば、どうせ何とかなるんだから。てきとうだよ。飢えたとしても、別に死ねばいいんだから」
 農夫はまた、手元にあった種もみを、ぶん投げるように地面に撒く。
 米の自殺みたいだ、と建は思った。

 貧しい村である。不健康な子供と老人が、毎年何人か飢えて死ぬ。今まさに飢えていて、死んでるやつもいる。
 若者は少ない。皆、税を中央に収めに旅に出されるか、防人に取られるか、貴族の奴隷にされるため召される。だから、人として能力が足りない、使えない、無能のクズだけが村に残される。
 それでも石上兎麻呂がよく統治しているためか、あるいは村人全員にやる気がないためか、治安はよい。村人は税の徴税をする兎麻呂をそれなりに嫌っており、あいさつ代わりに悪口や皮肉を浴びせるが、兎麻呂が思っているほど恨んでもいない。

 建が働いていないでだらだらしていることに、村人はそんなに気にしていなかった。
 最初こそ警戒され、村人は建を避けるように恐れていたが、建は日がな一日やる気なく村をぶらつき、ただ空を見、山を見、時々丘の高いところに登っては、そこから見える海を見て、歌をつぶやいているなどしていて。家でもちんちんをただいじり続けている建を村人たちは見て、そのやる気の無さに、村人は安心し、ぼんやりと話しかけるようになった。そもそも村人も、農期以外はニートみたいなものだったし。

「ウタを探す人なんだって?」
 一緒に石の上に座り込んだ農夫から尋ねられる。
「どうだろうね」
 建は適当に答える。
 ほんとうに、どうだろうね、という感じ。俺はそもそも、ウタを探す人なのだろうか。命じられて、奴隷だから、そういうポジションだったからとやっているだけで。

 主君の大伴家持からも遠く、この東の地にまできて、仕事する理由、あったかどうか。そもそも別に忠誠心、あるはあるけど、そんなにないし。
 じゃあ、家族のために働いているのか。
 建の嫁いだ赤染の家に「妻」とされた年老いた女もいる。旅立つ前にも何回か抱いた女であり、もしかしたら妊娠してるかもしれない女。でも、そいつは家族なのか。建が仕事をさぼり、ヤマトから完全にどこかへ消えたら、その女は困るだろうか。
 別にそんなこともないだろう。赤染の一族たちに守られながら、普通に暮らすだろう。今、この瞬間だってそう暮らしているんだ。
 そもそも建は、ヤマト人でもない。だからいって百済人としての何かっていうものもない。ただ、覚えているウタが体に染みているだけ。国のためウタを集める、なんて意識はさらさらない。
 じゃあ、ウタに情熱があるか。新しいウタを覚えたいかと言えば、もう、建の中で、都で覚えてきた千の短歌で事は足りている。

 まあ、新しいウタというものに、出会いたい気持ちはある。覚えて体に入れたいかどうかは別として。

・・・・・・・・・・・・・・

 建は時々、兎麻呂に呼ばれ、彼の前で歌を乞われた。
 ごはんと家をタダでもらっている手前、ちゃんと舞って歌おうと、その時ばかりは気合を入れる。

 兎麻呂は、特に中臣宅守と、その妻の狭野弟上娘子の相聞の歌を好んだ。わりと最近作られた歌。
 中臣宅守たちはまだ生きてる。
 建は彼から、彼の作った歌を直接聴いていた。
 宅守がいろいろあって配流されてしまい、妻と逢いたいけど逢えなかった、つらい、つらかった、とてもつらかったという事を、宅守は全身を震わせて、その時の気持ちを、そのまんまじゃんみたいな歌を詠った。それを、何度もパターンを変えて詠む。

 その歌の一つを建は舞ったのだが、兎麻呂はもっと聞きたいとせがむので、そのとき聞いた歌たちを、連続で舞う事にした。
 連作だ。建は兎麻呂の歓待に応えるべく、宅守のいくつかの歌を組み合わせ、並べ、舞った。

遠き山関も越え来ぬ今更に逢ふべきよしのなきがさぶしさ
我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし
我が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを
塵泥の数にもあらぬわれ故に思ひ侘ぶらむ妹が悲しさ
今日もかも都なりせば見まく欲り西の御馬屋の外に立てらまし
過所なしに関飛び越ゆる霍公鳥【多我子尓毛】止まず通はむ

「いけない」
「向こうへ行けない」
「俺は関を越えていけない」
「俺はクズだ」
「ここは都じゃない」
「鳥なら越えられるのに、鳥よ」
 と、何回も何回も、だいたいおんなじことを、言葉をただ変えて歌う。最後の歌なんか、もう途中、言葉になってない。【多我子尓毛】と訳の分からない言語になっている(訓読不明)。宅守から歌を聞いた時に、もう、うめき声になっていたのだ。【多我子尓毛】――『だぁあがぁごぉおにも』と、もう、建がきこえたそのまんまを発話するしかない。でも、これはこれで迫力があっていいと、建は思う。

 それに対して、狭野弟上娘子の方は、

魂は朝夕に賜ふれど我が胸痛し恋の繁きに
ぬばたまの夜見し君を明くる朝逢はずまにして今ぞ悔しき
帰りける人来たれりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて
昨日今日君に逢はずてするすべのたどきを知らに音のみしぞ泣く
君が行く道のながてを繰り畳ね焼きほろぼさむ天の火もがも

「痛い」
「悔しい」
「死にたい」
「どれだけ待てばいいの」
「あなたが帰ってくるその長すぎる道のりを(短くするために)畳みつぶして燃やして滅ぼすような天の火が欲しいよ」
 とメンタルがヘラにやばい事になっている。
 建が直接聞いた時、その歌の言葉の激しさとは異なり、狭野弟上娘子はごく静かに口にされていた。その時の、その音の感じ、厳かな空気。
「夫だけ恩赦が無かったことへの怒り。それに起因する我ら二人への不公平な扱いに対する運命へ怒り」は、その声色から察せられた。
 静かな怒りを、建、動きに、手に、特に、指先に、耳の先に、胸の先に、ちんちんに、体の中の先端部分に、緊張感を持たす舞い方で、表す。

 建の舞を見るたび、兎麻呂は涙を流した。わかる、わかると言って泣いた。

 建にはわからない。
 激しい感情はわかる。歌を口にし、舞っていて、ノッてもいるのだけど。本質的に狭野弟上娘子の心情は、わからない。
 分からないが、舞える。詠える。鳥は、飛び方が分からなくても飛べる。同じように、建は舞った。あめつちが動く。兎麻呂の邸宅は、コトダマにあふれ、この狭い都もどきの空間は、天空夢幻、地平万丈の異空間に変わる。

 歌は、泣いている兎麻呂をそのままに、また、宅守の歌のターンになって、

あをによし奈良の大道は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり
愛しと思ひし思はば下紐に結ひつけ持ちてやます偲はせ
さす竹の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるらむ

「奈良の道は良かったよなあ、それにくらべてこの山道は……」とか、
「愛してるなら俺のパンツの紐を握って俺のこと思い出せよ」だの、
「都会人は今も人をなぶりものにするのが好きなんだろうな、最低だぜ」 
 と。
 兎麻呂が感動している隙間に、建が好みの、宅守のドロッとした、建前じゃ隠しきれない感情がもろに出ている歌をメドレーに挟んでやった。

 兎麻呂さん、いいでしょ。これが都のトレンド短歌っすよ、面白いでしょ、感情、こんなにむき出しなんすよ、リアリティある人間の内面を、57577にただ並べて、グッとリアリティだしてるンですよ、花鳥風月や呪文のリフレインだけじゃないんだよ。
 いいでしょ。
 楽しいでしょ。
 短歌っておもしろいでしょ。
 俺、信じてるウタって、こういうところなんですよ。

 いつの間にか建は舞いながら、兎麻呂へ歌の楽しさ、面白さを込めて、見聴かせ殺そうとしていた。
 都の文化に憧れ、田舎に縛り付けられている兎麻呂を、なぶる様に、建は詠い舞う。

 この相聞歌たちを、建はいままでそこまで面白い歌ではないと思っていた。
 だが、兎麻呂という、身内ではない、全くの他者に自分の覚えた歌を詠い舞っているうちに、どんどん歌が建の中に入ってくるのを感じた。
 ノッてくる。歌に自分の身体が浸食される。
 覚えた歌を、順番を構成し、ストーリー性を持たせて連作にする面白さ、好きな歌を意外なタイミングで詠う楽しさ――「楽しい」、だなんて、歌を記録するだけの媒体に過ぎない建が想うだなんて、思わなかった。

 しかし、何度目かの歌の舞いの披露で気づいた。
 兎麻呂の反応――もう、歌い始めから感動していて、連作の中盤から後半、たぶん、あんまり聞いていなかったことに。
 オーディエンスの空気って、肌で、体で、すごく、わかる。
 兎麻呂にとっては「都への思い、なつかしさ」「帰れないつらさ」「逢いたい人への逢いたさ、逢えなさ」さえ感じられれば、なんだってよかったのかもしれない。歌が兎麻呂の感情のスイッチを、ただ押しただけというか。究極、歌でなくてもよかったのか……と、その感じを、建は肌で感じとっていた。
 
 歌が、舞いが、僅かに乱れる。
 立て直そうと、最後の方は、いくつか無難に舞える短歌を並べて、その日はやや強引に演じ終えさせた建。

 舞が終わると、その日、兎麻呂は建を強く強く褒めたたえた。兎麻呂は上機嫌で「また、時を見て、舞ってください。それまでぜひ、この村にご逗留を――」と、褒美として、この地域で採れる珍味の入った食櫃を授ける。

 食櫃の中には、干したアワビを線状に切ったものが紙に包まれていて。
 これ、ミカド向けにやる、最上級のもてなしでやる奴じゃん。

 怖い。
 たかが歌を披露しただけで、この報酬はない。そんな立派な、いい歌でもないし、いい舞い方ではなかったのに。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 兎麻呂の前で歌い舞っていると、村の人々が覗きにきたり、聞き耳を立てたりするようになっていた。
 そして建は、村人からも歌を舞う事をせがまれるようになる。
 建はぼんやりとオーダーに応え、何回か野で歌を舞う。なるべくわかりやすく、面白く舞ってやった。そしてあめつちを動かす。
 すると、彼らは簡単に感動していく。約七百人の村人たち。文化なんて知らない、どうでもいいと思っていた、生活しかなかった村人たちが、どんどん「観客」になっていく。

 いつしか、スタンディングオベーションで、村人たちから喝采を浴びるようになっていた、建。
 褒められた。そして、そのリアクションを受けて、短歌って、こんな風に面白がられるんだ、と思った。
 調子に乗った。
 どんどんテンションが乗っていく。どんどん喝采を浴びる。舞をねだられる回数が多くなる。ステージ数が増える。
 こうして何度も舞う中、手を抜いても褒められていった。声をとちったり、言葉を間違えたりしても褒められて。
 適当にやっても、真剣にやっても、その賞賛の感じは変わらなかった。
 むしろ力を抜いて、わりと短時間で、欲しいんだろうなあという感情のスイッチ、「短歌っぽい短歌」で、歌のさわりを触れるような、わかりやすい歌と、その歌い方、舞い方の方が、ウケた。建にとってこだわりがない、むしろ、ちょっと飯前の、雑にやっている時の方が、村人たちにバシンバシンとハマっていく。

 あっ、て思った。
 これは、俺は、だめかもしれない。
 予感がしたのだ。歌に対してだけなら、建はまだ、ちゃんとジャッジメントできる。
 今、この歌の舞い方は、観客のエモのスイッチをただ押しているような、つまんねえ尻振りなんじゃないか。
 
 そう思った建。「喉の調子が悪い」と言って兎麻呂への歌披露を控えるようになり、また村でニート生活に戻る事にする。
 しかし村人はもう建の事を「都から来た短歌のプロ」「おもしろ短歌を舞う人」「天才感あるすごいひと」という目で見る。そうした目で見られた状態で、一人で歌の反復や、舞いの準備運動やストレッチとかしてると、もうそれだけで「おおー」と。
 何一つ面白い事をしてないのに、ただ立っただけで「おおー」とか言われてしまう空気になってしまった。

 違う、そうじゃない。
 俺が、出すぎだ。

 建は人の目を恐れた。昼間は一日中部屋にこもり、そして、夜。誰もいなくなると、ついに家を飛び出した。

 歌を取り戻さないといけない。

・・・・・・・・・・・・

 村はずれの倉庫群。もともと村の倉庫には、盗難防止もあり、人は近寄るなと禁忌が出されていた。なので人の気配がない。
 倉庫群の路地のどんづまりの、誰も視線がないところ。
 身体がむずむずする。村人や兎麻呂に賞賛される、じっとりとした視線の感覚が、全身に、この服に、まだまとわりついている気がする。

 建は服を脱ぎ、全裸になった。
 誰もいない野外で、誰も視線がなく、今夜は新月。頼りない星の光しか見ていない。
 ちんちん丸出しになった建。裸になり、ちんちんを見ると、建はようやく落ち着いた。風が気持ちいい。令なる季節の、和やかな風。野外で全裸になりちんちんを丸出しになると、こんなに気持ちがいいのか。
 すこしだけ、大偉川の川渡しをしていた時のことを思い出した。

 そして歌を思った。
 ちんちん姿で、短歌を思う。
 ちんちんが風に揺れる。建はそれを見る。揺れるちんちん。口からは短歌。その短歌の声が、ちんちんの揺れに感応して――。

 ああ、これだ、これかもしれない。
 建はちんちんを見つめていた瞳を閉じる。そして、一首一首、自分が奴隷として覚えさせられた順に、歌を暗唱する。振り付けは後回しだ。まずは、歌を、正しい立ち方で、正確に発話していく。
 何回も何回も、覚えた千の歌――その中には、道中出会った、高橋文選の歌や、山間の村でキイコが口にした返歌もある。建は反復する。反復の中、誰が作った歌だとか、誰から聞いた歌だとか、そうした情報は、身体の中で溶けて消えていく。そして詠っている自分、という意識がなくなるまで、繰り返し繰り返し、反復していった。

 闇が、反応した気がした。
 闇というのは、つまり無だ。
 建がつぶやいた、その歌を、どん付きの向こうに広がる無の闇が、確かに受け止めている。
 闇が、無が、人格を持ち、魂を持ち、歌に触れたとでもいうのか。

 建は不意に、歌を止める。
 建が歌を止めたことで、その輪郭がはっきりと浮かび上がった。
 闇は、人の形をしていた。
 弱く汚くどうしようもない六等星の、しょんべんみたいな細くだらしない光が、その闇の輪郭に垂れる。

 女だ。
 女の顔が、そこに浮かび上がった。闇にまぎれた女が、そこにいた。黒衣(コモ)を纏った女。13歳くらいの、大人でも子供でもない女の顔のその目には、砂粒みたいに小さな、希望みたいな星が輝いていた。

 建は息をのむ。
 女は、建に気づかれたと知るや、その希望の目を瞬時に消し、さっとふりさいて闇の奥に逃げようとする。

「……まっ」
 その先はどんずまりの突き当りだ。
 建、つい追いかけようとすると、次の瞬間、女の逃げた先から、房の付いた匕首(ナイフ)が建に向かって飛んできた。

 匕首が、建の身体に刺さる。
 一瞬、何が起きたのかわからない建。激痛が、少し遅れてやってくる。

 建は、闇の中で、無の中で、悲鳴を上げた。

(つづく)


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