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夫婦って結局、終わりのないジェンガじゃないか?

結婚生活にケンカはつきものだ。一緒にいる時間に比例して、楽しい時間も増えるが、衝突することも増えてくる。仕方がない。

しかし、ケンカにも「良いケンカ」と「悪いケンカ」があるなぁと思う。

夫と口論をしていて「あぁ、これダメなパターンだな。後味悪そう…」と頭の片隅でふと思いながら、それでも、話す口が止まらないということがある。こういうのは、悪いケンカだ。

夫婦の関係性や状況によっても変わるだろうが、私が思う夫婦間の悪いケンカは、一言でいうと、

勝ち負けのない、不毛な言い合い(ののしりあい?)。

たとえば、「どっちのほうが大変か」「どっちのほうが家事をやってるか」などは、その典型じゃないかと思う。

そもそも、この2つのテーマにフェアな結論を出すことは不可能だろう。

「昨日も私が朝食の後片付けをした」
「でも、火曜と水曜はやっただろう?」
「それは、テレワークでたまたま時間があったからでしょ?私は、子供を保育園に送る用意と自分の準備をして、定時に間に合うように家をでなきゃないけない状況でやってるの。」
「だって、時間がないときは、手慣れてる君のほうが早く終わるから効率がいいだろ?その代わり、時間があるときは、僕がやってる。週末はほとんど僕じゃないか」
「でも、飲みに行って遅くまで寝てるときは、私がやってるよね?しかも、週末は平日の家事に加えて、掃除と洗濯の負担が増えるけど、あなたが朝食の後方づけをしている間、私はそれをやってるの。ラクしてるわけじゃない。」・・・つづく。

なんてやってたら、永遠に続くだう。一つの家事、たとえば、「夜ご飯を作る」という家事一つをとっても、それが「平日、保育園から帰宅後、小さい子供をみながら」なのか、「時間がある週末、誰かが子供をみながら」なのか、「体調が悪くて、しんどさを我慢しながら」なのか、で大変さはかなり変わってくる。

そういうものを全部、客観的に計って数値化して、比べることなんてスパコンでもできないんじゃないだろうか?

こういう議論は不毛だ。結論が出ないだけで、ただの責め合い、大変さとしんどさの出し合い勝負みたいになる。口論した後の後味も悪い。しばらく口をきかなくなると、ストレスも増す。

それでも、分かっていてもやってしまうのが、夫婦というものなんじゃないかと思う。そして、この口論で、もし地雷になるような一言を放ってしまったら、お互いの心に、深い傷を残すかもしれない。

「感謝の気持ちを持とう」
「ありがとうと言い合おう」

と、本にもネットにも書いてあるし、当然そうしたほうがいいのは分かっている。でも、できない。毎回繰り返す。それが夫婦なのだろう。

以前は、どうしてこんな不毛な議論をしてしまうのか、きっぱりと役割分担決めれば、そもそもの口論の発端がなくなるのではないかと思ったことがあったが、それも無理だった。なぜなら、既に書いたように、客観的に数値化できない = フェアな役割分担ができないからだ。

結局のところ、夫婦として生活を共にする以上、不毛な議論は避けられない。「こりゃダメだ。不毛だな」と思いながらもケンカをして、距離をとって、またなんだか仲良くなって、またケンカをする。その繰り返しが夫婦だろう。

イメージとしては、夫婦の関係ってジェンガみたいなものじゃないだろうか。

夫婦喧嘩をするというのは、ジェンガのブロックをお互いに1つずつとっていくことに似ている。それとりすぎたり、大事なところをとってしまう(地雷になる発言)と、関係は崩れてしまう。しかし、ケンカのあと、お互いにとったブロックをまた少しずつはめていき、関係を築いていく。

結局は、夫婦とはジェンガのゲームを続けているようなものじゃないかと思う。結婚12年目を迎え、だんだん悟りが開けてきたか?

私たち夫婦のジェンガは今、どれくらい穴があいているだろうか?ブロックを抜き取る速度が、ブロックをはめる速度を追いこさないことを祈るしかない。

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