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「もののけ姫」が好きな人苦手な人

先日、金曜ロードショーで「もののけ姫」がやっていた。映画が公開された当時、学生だった私は友達と一緒に列に並んで観に行ったことを思い出し、なつかしくなった。

録画しておいたので、昨日、子供たちと観ようとしたところ、小6長男と小1次男は「みなくていいや~」と、早々にリタイア。残って最後まで観たのは小5長女だけだった。

長男と次男だけではなく、夫もジブリ作品はあまり好きではない。

おそらく、私が思う3人がジブリが苦手な理由は、ジブリ特有の比喩的な描写(という言い方でいいのかな?)にあると思う。

もののけ姫は、ざっくり言うと、自然vs人間だ。もちろん、そんなに単純ではないし、もっと深く広い内容も含んでいる。それらが、観ている側に解釈をゆだねるようなハッキリしない形で、物語のいろいろなところに、いろいろな形でちりばめられている。

私は、そういうものを感じたり、気付いたり、推測したり、探したり、見つけたりするのが好きだ。頭の中ではっきりとロジカルに考えるのではなく、なんとなく心でじんわり感じる。ジブリ作品のそういう味わい方が好きだ。

しかし、夫・長男・次男はこういうことが好きではない。ハッキリいうと嫌いだろう。

たとえば、「たたり神ってなに?」「どういう条件がそろうとたたり神になるの?」「アシタカの手についたあざはどういう意味があるの?」「シシ神の首が斬られたあとに出てきたドロドロはなに?」…というふうに、一つ一つがよく意味が分からない「?」であり、ストーリーが進むほど、その「?」が増えていき、積もり積もって「よーわからん!つまらん」となるのである。つまり、夫たちからしたら、ジブリ映画は意味不明なのである。

私は基本的にはジブリ映画は好きだけど、夫たちのこういう気持ちもよくわかる。むしろ、いくつかのジブリ映画に関しては、同じような気持ちになったりもする。

これはいいか悪いかではなく、人によって受け取り方は様々だから、たまたま好みではないということだろう。

夫たちは、ハッキリしていてロジカルなものが好きなのだ。

こういう好みは、もともとの性格もあるだろうけど、他にも年齢という要因もあるのかな、と最近になって思う。

若い頃は、もっとあいまいなものや、結末を観客にゆだねるような映画が好きだったし、自然と受け入れられた。しかし最近は、そういうものには、なんとなく気持ち悪さを感じる。「はっきりせい」と言いたくなるし、「だからなんやねん」「結局どうやねん」と言いたくなる。

一言でいうと、感受性が弱くなったんだろう。あいまいなものを、自分の中でゆっくり咀嚼して味わう余裕がなくなってきたのだと思う。

映画に限らず、本もミステリーや推理小説、ノンフィクションばかり読むようになってきた。

なんとなく悲しい変化のような気もするが、見方を変えれば、長い人生の後半で、新たなジャンルを楽しむことができるようになったということだろう。

もしかしたら、長い長い人生に飽きないように、人間は飽きっぽくできているのかもしれない。



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