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エチオピア、コーヒーの原木を求める旅

今回の記事では、コーヒーの起源として伝えられている地域への訪問をポストしていきます(約4000文字)。
現地で写真に納めた樹齢5000年!!の、コーヒーの木も公開いたします!!

樹齢5000年ということは、ティピカ種やブルボン種が伝播する、はるか昔の話になります。
今回はせっかくなので、コーヒーの種の起源についてブルボン、ティピカに分岐する、さらに前の話にも触れていきます。

「ジマとボンガ」

エチオピアは、良質のコーヒーの産地として有名なだけでなく、アラビカ種のコーヒーの起源であるといわれています。

国内には、アラビカ種の起源だとされている地域が、2か所あります。
エチオピア南西部の、ジマとボンガという地域で、これらの地域のコーヒー生産量は、エチオピアコーヒー生産の中でも多くを占めています。

そして、エチオピア南西部は、エチオピアの中では比較的標高の低い地域で、コーヒーを栽培しています。
以前紹介したイルガチェフェ地方のコーヒー生産地の標高が1750~2200mだったのに対し、この地域は1400~2000mです。

基本的にコーヒーは、標高が高いところで取れたもののほうが品質が高くなります。
一方、カファ地方は、標高が低いということが人類にコーヒーという贈り物を与えてくれるカギ、になりました。

この2つの地域は、そう離れていないため、私はジンマを起点にしてボンガを訪問しました。
ジマはインフラの整備が進んでおり、治安も比較的良好な街です。
変な緊張感を持たずに滞在することができました。

アディスアベバからの移動もバス便が何便も出ており、交通の要所となっています。

写真は、現地の長距離ローカルバスです。
エチオピア国内ではバスを攻撃するテロや、一般人の移動に紛れて違法な物品を輸送する事案が多いそうです。
そのため、町から街への移動の際には、何度もバスの中に警察官が入ってきて、椅子の下や所持品をチェックしていきます。

私は現地へのコネクションもなかったため、ジマに到着後、宿を探しながらコーヒー産地へのコネクションを得るための出会いを探しました。
そこで今回の訪問のキーマン、アンテネン君と出会うことができました。

写真手前で楽しそうにコーヒーを飲んでいるのがアンテネン君。
彼は会計の勉強をしながら、エチオピア航空に勤めるために英語を勉強しているということ。
私がコーヒーの起源といわれているボンガ、ジマの原生林に行きたいと相談すると、英語の勉強にもなるし、いい経験になるからオッケーと快諾。3日間、行動を共にしました。
コーヒー原生林を訪問するだけでなく、一緒に滝で泳いだりもさせてもらいました。

今回の訪問中、アディスアベバでは路上強盗にあったり、詐欺に遭いそうになったりもしました。
でも私は今でもエチオピアとエチオピアに住む人が好きです。
これは彼と過ごせたおかげによるところが大きいです。

「アラビカ種の生い立ち」

ここから、アラビカ種がどのようにして現在に伝わってきたのか、数十万年まえからの歴史の話をまとめます。

ちなみにコーヒーが世界中に広まっていった様子は、ルワンダの農園訪問の記事の際に触れているので、ご興味があればご覧ください。

フイエマウンテンコーヒー訪問: https://note.com/tik190/n/nfa5b566e360d

現在ではアラビカ種はカネフォラ種(ロブスタ種)とユーゲニオイデス種の異種交配によって生まれたと考えられています。

生育域を広げていたアラビカ種は、7万年前に始まった氷河期に一度姿を消しましたが、比較的標高の低いエチオピア西南部のジマやボンガを含むカファ地方では生き残りました。

生き残ったコーヒーの木が人間史上に姿を現したのが10世紀ごろの医学書です。この時代の書物には植物の種子を煮だして作るブンと呼ばれる薬が収録されていたそうです。ブンはアラビカ語でコーヒー豆の意味であるためコーヒーのルーツだと考えられています。

この後、どのようにしてコーヒーの引用の文化が広まってきたのか、コーヒー栽培の伝播とともに以下のNOTEで文章にしています。

https://note.com/tik190/n/nfa5b566e360d

「ジマとボンガなぜ起源が2箇所あるの?」

さてそんなロマンの舞台となったエチオピアの南西部ですが、先述した通りコーヒーの起源とされる地域が二か所あります。

これは以下のニュースの伝えるように、政府がジマをコーヒーの起源として宣言したことが原因となっています。しかし長い間、現地の方はカファをコーヒーの起源として考えてきたためジマ派とカファ派で軋轢が生まれています。

中でもボンガはコーヒーの起源の街としてコーヒー博物館なども有しているためボンガでは暴動まで起きてしまいました。エチオピアの人々にとってコーヒーは暴動をも引き起こしてしまうほど魂の根幹にあるものだと感じることができます。

今回一緒に回ってくれたアンテネン君はボンガ出身なので、ジマがコーヒー発祥の地となっているのにも納得がいっていないようでした。なので今回の文章はボンガ寄りになっているかもしれません。

「ジマ原生林訪問」


ジマはエチオピア政府に認められたコーヒーの原生林です、現地には上の写真のようにエチオピア政府認定のガイドがいます。ジマの街の中心部からのアクセスが良く訪問しやすい場所ですが、近くの村の治安はあまりよくないため訪問の時は貴重品の管理に気を付けたい雰囲気。

そんなジマですが政府が公式にコーヒーの起源と発信した際は観光資源として活用する計画があり、原生林と指定した地域に博物館の建設を進めていました。

しかし建設は道半ばで頓挫してしまい現在は建物と観光のために整備されかけた痕跡が残っています。

こちらが博物館になる予定だった建物、原生林の丘に鎮座しています。周囲の地面にはコンクリートにコーヒーがどのようにして世界に広まっていったかを説明するための絵が描いてあったり、カルディのコーヒー物語説明のためのヤギの足跡が書いてあったり文字通り開発の足跡が残っています。

ここではカルディ伝説のお話から始まりエチオピアを起源とするコーヒーが世界中に広がっていったことを公認ガイドさんが語ってくれます。そのお話についてはルワンダの記事で触れています。

https://note.com/tik190/n/nfa5b566e360d

また私が訪問した場所には原木はないものの、少し山を下った所に洞窟群があり、その中で氷河期を耐えた原木が残っているとの事でした。

「ボンガ原生林訪問」


ジンマからボンガへはバスで2時間くらいの距離です。ボンガにはコーヒー博物館があったり(訪問時ボンガVSジンマ論争で閉館中)、食事処もたくさんありました。

断食だったので肉料理はいただけませんでしたがインジェラをトマトソースで食べるご飯は絶品でした。

ボンガの街から原生林まではトゥクトゥクで向かいます。

原生林の中を歩いて原木まで歩きます。道標もない中はぐれたら一貫の終わりです。

「樹齢5000年のアラビカコーヒーとの対峙」

そしてこちらが今回の訪問のハイライト!樹齢5000年のアラビカコーヒーの木です!

サイズ感が伝わりがたいと思うのでお恥ずかしながら私と一緒にぱちりととったのが以下の写真です。

あれ?っと思いましたか?

私は思いました。

思っていたよりも周囲の木と変わらぬサイズ感。柵が周りに廻らされていることでようやく特別感は伝わってきますが、屋久杉のような神々しさを期待していた私はあれっと感じてしまったりも。結構青々としていて若々しさすら感じるレベルです。

これが5000年前から生きてきた木なの?って聞くと得意げに「そうだ、これが最古の木だ!」っと自信満々に答えてくれる。ナタが怖い(笑)

そんなボンガへの訪問ですがこの後、ジマに帰る前にはボンガの洞窟を探索したり、滝で泳いだりもできます。

わたしも一通り現地を見て回り、最後にボンガの協同組合連合の集積所を訪問しました。イルガチェフェでも触れた通り、エチオピアでは一次協同組合からコーヒー豆を集めてECX経由で海外に輸出したり、ダイレクトに取引をする機関です。

一次協同組合でも欠点豆の選別を行っていましたがこちらでもさらに欠点豆を取り除いていきます。こちらの集積場は女性が活躍していました。彼らの一日の収入は1.5USD程度です。

お母さんと一緒に選別のお手伝い。外国人をいぶかしげに見上げていますが、これは私の写真の技量不足でございます。実際にはお母さんと一緒に楽しそうにしていました。児童労働とお母さんのお手伝いの境目ってどこなんでしょうか。以下は児童労働の関連情報です。

https://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2006_7/world_01.html

送られてきたコーヒーは選別を終了するまでストックしています。

今回のNOTEではジマ、ボンガの訪問を投稿しました。なかなか日本でコーヒーを見つけるのは難しい産地ではありますが、氷河期にこの地に実をひそめてくれていたコーヒーのおかげでコーヒーと共に過ごせる豊か日々を過ごしてくれていることを考えると味わってみる必要のある産地ではないでしょうか。

私も見つけたら是非焼いてみたいと思っています。

今日もコーヒーとともに豊かな時間を!

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