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ルワンダ、フイエマウンテンコーヒー訪問

今回はルワンダの南部、フイエマウンテンのコーヒー農園を訪問した際の経験をポストしたいと思います(約5000文字の長文です)。
この記事の中ではコーヒーが飲み物、作物として世界に伝播した歴史にも、少し触れていきます。
歴史に関する部分は、写真等がなくてちょっと退屈かもしれません。。。
でも読み終えたころには、コーヒーの品種についてもっと知りたいと思ってもらえると思います。

「フイエマウンテンコーヒーへのアクセス」

フイエマウンテンコーヒーは、観光客の訪問も積極的に受け入れている規模の大きな農園です。

農園は見晴らしの良い山にあり、敷地内にはウォッシングステーション、アフリカンベッドから焙煎機、カッピングルームまで設備がそろっています。
JICAの現地スタッフもこちらの農園の支援をしており、ネットでフイエマウンテンコーヒーを検索すると、情報をちらほらと見かけることができます。

フイエはルワンダの首都キガリから日帰りで訪問できる距離にあります、アクセスに関しては詳しくまとめているサイトもあるのでここでは割愛します。
こちらの農園では午前の部、午後の部と一日に2回のコーヒーツアーを開催しています。

私は午前の回に参加しました。流暢な英語でコーヒーの歴史から、現在の農園運営のこだわりまでお話を聞かせてくれます。

「飲み物としてのコーヒーの伝播」

今回は人類とコーヒーの出会いと伝播についてまとめています。

それよりも昔、エチオピアでコーヒーが発見される以前の物語については、以下のNOTEで触れています。

https://note.com/tik190/n/naea59a44ab6b

ツアーの最初はコーヒーの起源に関するお話から、スタートします。

今回の記事は少しだけ、コーヒーの世界の伝播についても紹介していきたいと思います。

写真は農園に入る前に壁に飾ってあったイラストです。なんの絵か分かりますでしょうか。
これは西暦800~900年ごろの、エチオピアでの出来事です。

「カルディー」という名前は聞いたことありますか?日本でもお店の名前になっているのでちょいちょい耳にしますよね。
カルディーはエチオピアのやぎ飼いの少年の名前です。

カルディーは自分の飼っているヤギが元気になっているのを見つけ、ヤギが食べていたものを探したところコーヒーの木を見つけます。
そして自分でもコーヒーを食べてみたところ、、、もりもりと元気が出てきて、疲れ知らずに働くことが可能になったそうです。
そしてカルディーの様子を見た僧侶が、コーヒーの実をとり熱湯を加えて飲んだところ、エネルギーが出てくるのを感じこの発見を「神の贈り物」と称えました。

カルディ伝説が実際にあったのかは確認できませんが、エチオピアで発見され僧侶の秘薬とされたコーヒーは西暦1000年ごろイエメンへ渡り、イエメンを中心にしてそこから飲用の習慣が広まります。

(参照)https://www.starbucks.co.jp/coffee/story/coffee.html

イエメンの修道院ではコーヒーはその薬効から門外不出の作物として管理されていました。
当時はコーヒーのことを、「カフワ」と呼んで珍重していたそうです。西暦1300年ごろからは、イスラム教とともにコーヒーを飲む文化が広がっていきます。

一方で収入源となるコーヒーの木は伝来しないようコーヒー豆を沸騰させてから持ち運んでいたため、コーヒーの栽培は広まりませんでした。

とはいえコーヒー引用の文化は各地に広まり1554年にはイスタンブールに、1650年にはロンドンで、1683年にはベニスに、それぞれコーヒーハウスがオープンしました。

「作物としてのコーヒーの広がり」

そんな風にコーヒーが世界中で楽しまれるようになると、今度はコーヒー豆の需要も増加してきました。
それまで門外不出とされていたコーヒーの木が海を渡り始めます。

今回はその流れをたどりながら、アラビカ種のコーヒーの源流となるティピカ種とブルボン種の伝播の流れを紹介するとともに、ロブスタ種に関しても触れていきたいと思います。

そもそもコーヒーの栽培には、様々な条件をクリアしている必要があります。
その条件とは、雨、日当たり、温度、土質です。コーヒーの栽培に必要なこれらの条件を満たすのは赤道を中心に南北25度に囲まれたエリアです。

これを「コーヒーベルト」と呼びます。コーヒーベルトはヨーロッパが植民地支配を進めた地域(アジア、中米、アフリカ)が含まれており、
当時のヨーロッパは自国で栽培がしがたい作物を植民地で栽培し、調達することで利益を得ていました。
そんな時代背景から、このタイミングでコーヒーの栽培が世界中に広まっていきます。

「ティピカ種の伝播」

最初に世界への旅立ちを始めたのはエチオピアからイエメンへと渡っていたティピカ種でした。

オランダ東インド会社の手によって1690年にアラビア半島のモカ港からスリランカやインドネシアのジャワ島で大規模なコーヒー栽培を開始しました。

1714年にはオランダ人からフランスのルイ14世に贈呈されフランスの宮廷で「聖なる木」として育てていました、しかしこの木が海軍兵士によってマルティニク島に持ち込まれます。

その後もオランダ、フランス領の植民地でコーヒーは栽培されていましたが1727年にはブラジル人のメロ・パリエッタ曹長によってブラジルへと持ち出されました。

講師て中南米・カリブ諸島の国々へコーヒーが広がり、これが現在もティピカ種として知られているコーヒーの起源になっています。

現在ではスマトラ島(インドネシア)ハワイやコロンビア、などで栽培されています。

「ブルボン種の伝播」

18世紀にはブルボン(レユニオン)島でコーヒー栽培を始め、ここで突然変異体のブルボン種が生まれました。

ブルボン島を起点にして19世紀には、ブラジルのサンパウロや東アフリカにコーヒーの木が広がりを見せます。現在もブルボン種を栽培している地域はブラジル、ケニア、タンザニアなどがあります。

ケニアにブルボン種のイメージはありませんが、現在栽培されているSL28やSL34等SLと名前の付く品種はナイロビにある「スコットラボラトリー(SL)」で選別されたブルボン種(フレンチミッションブルボン)に由来するものです。

ちなみにお隣のルワンダもブルボン種の系統を組んだ品種を中心に栽培しています。

上記は海外へと伝播されたコーヒー品種の二つの主な系統なので取り上げました。ゲイシャやパカマラなど、コーヒーの品種はたくさんありますので、またパナマ訪問の文章をポストするときに触れていきたいと思います。

「ロブスタ種とは」

ちょっと上記の話と階層は変わるのですが、ロブスタ種という種の名前を耳にしたことがある方も多いのではないかと思います。
ロブスタという名前は「robust(強い、壮健な)」という英単語からきています。
ロブスタ種は栽培がしやすいこと、またコーンや麦のような独特な穀物臭があり、ストレートで飲むと違和感がある風味の為、「低品質」という認識が一般的です。
世界のコーヒー生産量の40%程度がロブスタ種、60%がアラビカ種となっています。

種としてはアラビカ種よりも昔からある種です(アラビカ種はロブスタ種とユーゲニオイデス種の異種交配から生まれました)。
しかし、ロブスタ種の発見や、栽培が広まった時期はアラビカ種よりもずっと最近の話です。
発見されたのは19世紀に西コンゴです(ウガンダの説もあります)。

また栽培が広まったのはコーヒーの伝染病のおかげです。
1869年さび病という伝染病がアジアに広まり、壊滅的な被害を与えました。
そんななかで、さび病への耐性が強く、栽培に必要とされる標高がアラビカ種よりも低いことで栽培が広がっていきました。
現在だとウガンダやベトナムで活発に栽培されています。

最初の方で、品質が低いと記述しましたが、ベトナムでは日常的にロブスタコーヒーが楽しまれています。
現地で楽しむベトナムコーヒーは、濃く抽出したコーヒーに練乳をたっぷりと入れて楽しみます。熱い国で疲れた体を癒してくれるエナジードリンクのような飲み物です。

アラビカコーヒーと同じような扱い方では、本領発揮出来ませんが、アレンジコーヒーの可能性は十分に感じるポテンシャルがあります。

「フイエマウンテンコーヒーでの栽培」


さて長かった歴史の話は一旦終わりにして、フイエマウンテンコーヒー農園を写真を見ながら眺めていきたいと思います。

こちらの農園ではコーヒー栽培に際して計画的な植え替えや実験的な取り組みもおこなっています。

コーヒーを植える際の間隔の調整をしたり、区画ごとに品種を変えた植樹したりする中で効率的な栽培方法を検討しています。

植樹から2年もするとコーヒーの木らしくなってきてチェリーも実を結び始めます。またポテト臭の原因となるカメムシが忌避する溶液を用意してポテト臭が出ないように管理していました。

土壌の管理もしっかりとされており、土のpHが偏りすぎないように肥料をコントロールしたり、雨によって表層の土壌が流されてしまわないように溝を用意しています。

こちらがフイエのコーヒーチェリーと中に入っているコーヒーの種です。

真っ赤に色づいたコーヒーチェリーからは甘い粘液層(ミシュレージ)に包まれたコーヒー豆が出てきます。このコーヒー豆はまだパーチメントと呼ばれる固い殻におおわれているために分離する必要があります。

マウンテンコーヒーの名に相応しく、山の斜面にあるコーヒー農園を見て回るのはちょっとしたハイキング。
頂上ではガイドさんがコーヒーのを大きなフライパンで焙煎してくれます。
農園を見たあとはフイエマウンテンの持っているコーヒーに関する施設、水洗式での精選から焙煎までの一連の流れを見せてくれました。

水洗式の流れはグアテマラ アゾテア農園のポストでも触れているので今回は写真で振り返ることにしたいと思います。

https://note.com/tik190/n/n5233e648d88d


パルパー:コーヒーの果肉を向くための設備

コーヒーの発酵槽

斜面を活用したアフリカンベッド

ディートリッヒの焙煎機:めちゃくちゃ欲しい。。。。。

カッピングルーム:ルワンダでは女性がビジネスで活躍しています、ピンクの洋服の方がルワンダでも数人しかいないQグレーダーの方です。

コーヒー農園を視察した後はこちらの農園で採れたコーヒーを頂くことができます。
焙煎は浅すぎず、深すぎず二ハゼ手前といった感じでコーヒーの豆本来の特長がしっかりと際立つような焼き加減です。
日本だとフイエマウンテンコーヒーは限られたお店でしか楽しむことができませんが、生豆を発見したら是非試してみたい逸品です。

今回の記事ではキガリからの日帰り訪問も可能な、フイエコーヒーマウンテンの訪問について文章にするとともに、コーヒーの歴史に関しても触れてみました。

自分は理系人間なので暗記はとても苦手です。
コーヒーの品種は本当にたくさんあって暗記しようと思うと苦痛ですが、基本的な品種の流れを抑え、そこからどのように品種が増えていったか、栽培を拡大していったかを理解しながら覚えていくと楽しく理解が深まるかと思います。

普段のコーヒーを選ぶ際も品種を特定できる豆を購入して味の違いを楽しみながら歴史を感じてみたりするのも楽しい時間になりそうです。

美味しいコーヒーで豊かな一日を!

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