長月 涼@寝言のすすめ

寝言は寝て言うな、起きて書け。 おかしなことは、むしろ書いて愉しもう。夢の中にしまって…

長月 涼@寝言のすすめ

寝言は寝て言うな、起きて書け。 おかしなことは、むしろ書いて愉しもう。夢の中にしまっておくのはもったいない。 筆者の実験的な日々の記録(エッセイ)。

最近の記事

生活を想像する

▼最近気づいたのだが、 どうやら私は他人の生活を想像するのが好きみたいだ。 ▼というのも、私の職場は完全服装自由なのだが、にも関わらず隣の席のBさんはこれまでいつもスーツで出勤していた。 ところが最近になってBさんが私服で出勤してくるようになり、これまで捉えどころのなかった彼のことが何だか一気に身近に感じられるようになった。 それまでは「たくさんいる社員のうちの一人(無個性)」であったBさんが、初めて「こういう服装を好む、こういう趣味を持っている(と類推される)、何歳の、

    • 組織と個人のwin-winな関係

      先日、とある会社の採用面接を受けたときのこと。 面接官から「我が社において、あなたが発揮できる強みを教えてもらえませんか?」という質問が飛んだ。 そのとき私は口にこそ出さなかったものの、反射的に心の中で「逆に、御社は私にどんな強みを見出してくれますか?」と呟いていて、そんな自分に驚いた。 これまで何度も面接を受けたことはあるが、そのように感じたことは一度もなかったし、面接官に対して特に反抗心を抱いたわけでもなかった。 自分でもなぜ今回に限ってそんなことを思ったのか考えて

      • 本日晴れときどき反抗日和

        表参道に用事があったついでに、近くの岡本太郎記念館なるものへ行ってきた。 この記念館は、生前彼の自宅兼アトリエであったところを死後に美術館という形で一般公開したものであり、絵画や彫刻含む数々の作品が所狭しと展示されている。 館内にはショップも併設されており、オリジナルグッズとともに著書も並んでいた。 記念館へはふと思い立って訪れただけで、特に岡本太郎ファンというわけでもない私は、 棚に並べられた本を眺めているうちに、自分がかつて『自分の中に毒を持て』を買って読んだことを今

        • それは誰のためのもの?

          「創作活動がしたいんです!」と言うと、 決まって「誰に向けて?」と聞かれるのだけど、ここで私は困ってしまう。 だって誰かのためにというよりも、ただ自分が創りたいだけなのだ。 もちろん創り終えたあとはそれを他人に見せたい欲が出てきてしまうのだけど、創っている間はひたすら自分が楽しくて書いたり描いたりしているのだ。 自分の中で渦巻いているモヤのようなものを、カタチにして出していく。その作業過程が楽しいし、出してあげることでスッキリもする。 創作することを生業にするならば、この

          「好き」の記憶

          一人の人間の嗜好というのはある程度決まっているものだと思う。 好きな音楽、芸能人、スポーツ、食べ物、漫画などなど。 学生時代などは時間もあるしまだ頭も柔らかいから、それでも好みの外の世界も探索する意気や余裕もあるが、社会人になると自分の好きな分野以外に裾野を広げようとはあまり思わなくなる。 でも例外が一つあって、好きな人の好きなものはやっぱりいくつになっても知りたい。 好きな人の好きな音楽とか、普段なら触れないのに少し触れてみてその人を知った気になって、恋愛効果も相まって

          素材の持ち味

          私の部屋にはコンロが一口しかないので、自炊をしたての頃は時間短縮のために肉も野菜もとりあえず何でもかんでもフライパンに放り込んで、味付けも手当たり次第調味料を加える豪快な炒め料理をしていた。 だけどある時、料理は1つの素材だけで作ると、その素材の良さがシンプルでありながら十全に活かされることを発見した。 肉なら肉だけで焼いて塩を振るのが一番美味しいし、野菜もナスならナスだけで炒めてポン酢を垂らすと本当に美味しい。 何もかもいっしょくたにして、みりんやら砂糖やら加えて味を整え

          名前

          名前は生きている、と思う。 ただの文字・音の羅列なのだけど、それは他のどんな言葉とも違う生き物だ。 私は私の、あなたはあなたの、それぞれ名前を飼っているのだ。 新学期、新しいクラスメイトの前で初めて呼ばれる名前はパリッと洗い立てのシャツのように緊張しているが、 気心の知れた友達が呼ぶあだ名には素朴な親しみを感じる。 苦手な上司から注意を受けるときの名指しには参ったなあと気落ちするし、 気になる人から不意に名前で呼び止められたら、それは恋の始まりかもしれない。 自分の名前

          彼女の生き様

          女優としての蒼井優のことはあんまり知らないのだけど、人間としての蒼井優というか、彼女の生き方がいいなあと思う。 https://news.yahoo.co.jp/articles/17524579f21ccb6fe40b93c030b118f8d759acb1 どんなにオファーされても、自分がやりたいと思った作品しか受けないところとか、配偶者が山ちゃんなところとか。清純派のイメージなのにヘビースモーカーなところとか。 彼女の「自分できちんと選んで生きている」感じを見てると

          こだわりと押し付けの境界線

          デートは絶対に食べログで評価3.5以上のお店じゃないと行かない、という人がいた。 一回一回のデートを美味しいものを食べて貴重な時間にしたいからという理由だったが、そういうお店は前々から日時を決めて予約しないといけないし、昼も夜もとなるとお金もそれなりにかかるしで、正直こちらとしてはかなり負担だった。 こだわりというものは、自分だけに留めておくうちは独自の哲学とも受け取れてある種の魅力にもなりうるが、他人にもそれを求めた時点でただの押し付けへと成り下がる。 だから他人には自

          こだわりと押し付けの境界線

          ハルキストの情熱

          村上春樹が好きだ。 より正確に言うと、彼を特別好きというより、何人かいる好きな作家さんのうちの一人というくらいの温度感だ。 好きな作品を聞かれたらもちろん答えることはできるが、セリフを暗唱しろと言われても難しい。作品の内容について誰かと語りたいとも思わない。 だけど、世の中には自らを「ハルキスト」と名乗り、こうしたことを進んでする人も(かなりの割合で)いる。 村上春樹に関わらず、作家でもミュージシャンでもアイドルでもお笑いでも、分野問わず熱狂的なファンがつきやすい人がいる

          アイデンティティの比重

          今となっては、中高時代のように盲目的に何かを好きになれない。 当時は好きなバンドのCDはすべて集めて、カップリング曲まで全部網羅して、雑誌のインタビューなどは発売日に書店で立ち読みしていた。 曲だって、イヤホンつけっぱなしで8時間くらいぶっ続けで聴いていた。 あの頃は感受性が強くて、見たもの聴いたものすべてが新鮮で、 だから当時はそれが世界のすべてのように感じたというのもある。 でも何より中高時代の私にとっては、好きな音楽や本こそが自分を表すアイデンティティだったんだと思

          アイデンティティの比重

          「面白い」の基準

          面白いと一言に言っても、色々ある。 例えば学者の意見を聞いて面白いと思うのは興味深い(interesting)、 推理小説を読んで面白いと思うのは刺激的(thrilling)、 お笑いライブを見て面白いと思うのは滑稽(funny)、などなど。 そうした面白いの判断基準の一つに、「よくわからない」というのがあると思う。 これは謎、不思議とも言い換えられる。英語で当てはめるとmysterious辺りになるだろうか。 何でそうなるの?みたいな意味のよくわからない思考回路の人は面白

          共同生活で譲れないもの

          テレビやニュースなどでよく話題に上がる「別居婚」。 人と同じ空間で生活したくないとか、家事のマイルールがあるから侵害されたくないとか、支持する理由は人によって様々だろう。 個人的には家で人と話したいし、割とズボラでマイルールなどないので あえて別居婚をする理由はないのだが、私にも一つどうしても嫌なことがある。 それは、時間を縛られることだ。 朝は好きな時間まで寝ていたいし、 ご飯だってお腹が空いたら好きな時間に食べたい。 カフェで本を読み始めて夢中になってしまったら、ど

          共同生活で譲れないもの

          31歳のハローワーク

          『13歳のハローワーク』を読んでから、はや十数年。 私はこれまでに「やりたいことと何だか違う!本当に自分の好きな仕事がしたい!」という思いで、8年間で4回転職を経験している。 銀行、翻訳・通訳関係、役所、デザイン事務所、コーヒー屋と、業種も仕事内容もバラバラだ。 そして転職する度に、自分のやりたいことや好きなこと、自分に合った仕事は何なのか、そもそも仕事とは自分にとっていったい何であるのかを考えてきた。 13歳をとうに過ぎ、今や31歳になる私は、好きな気持ち「だけ」では

          31歳のハローワーク

          「勉強できること優位」が生む画一性

          現代社会では、勉強して良い大学へ行って良い会社へ勤めることが一応はサラリーマンとして生きる最良ルートだと思われている。 だから勉強ができることは、他の能力よりも優位に考えられがちだ。 勉強ができるのは確かに大きな強みだが、そのことがかえって選択の幅を狭めてしまっている可能性もあるのではないか。 勉強があまりできないと自覚した人は、それ以外の道で生きていくために自分には何ができるか、自分自身と向き合わざるを得ない。 そこには分かりやすく用意された答えなどないが、向き合う過程

          「勉強できること優位」が生む画一性

          異分子としての感覚

          高校生の頃から何となく、自分には一般的な社会生活は向いてないだろうと思っていた。週5日満員電車に揺られ、日中仕事をバリバリこなして夜は会社の人と飲みに行く、みたいな生活、考えただけで無理そうだ。 かと言って何か行動を起こすわけでもなく、普通に大学を卒業してそこそこ名のある会社に勤めて、それから何回か転職を繰り返した。 でもどうしても組織に属して雇われて働くことや、決められた時間に決められた場所で働くこと、そういったルールみたいなものに心のどこかで馴染みきれなくて、 そんな

          異分子としての感覚