「勉強できること優位」が生む画一性

現代社会では、勉強して良い大学へ行って良い会社へ勤めることが一応はサラリーマンとして生きる最良ルートだと思われている。
だから勉強ができることは、他の能力よりも優位に考えられがちだ。

勉強ができるのは確かに大きな強みだが、そのことがかえって選択の幅を狭めてしまっている可能性もあるのではないか。

勉強があまりできないと自覚した人は、それ以外の道で生きていくために自分には何ができるか、自分自身と向き合わざるを得ない。
そこには分かりやすく用意された答えなどないが、向き合う過程で自分らしい仕事や生き方が見つかったりする。

だけど多少なりとも勉強ができる人はそれ以外の自分の強みなど深く顧みず、安易に勉強ルートに進む場合がほとんどだ。
ダンスが上手かったり話が面白かったりと、あらゆる強みは本来すべて並列で考えるべきなのに、勉強以外の選択肢には目を向けず自分の可能性を自分で狭める。

勉強できる系の仕事は給与が良かったり就職までの道のりが分かりやすかったりするので、社会の構造上そういう思考回路になるのは仕方がない。
だけど本来の自分を見失わないためにも、
「勉強できるのが優位」という世間の作り上げた一見分かりやすい指標に振り回されすぎないことも大事だ。


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