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黄昏時の空は

少しだけ緊張していた。
夕方の新木場行きの埼京線に揺られながら、車窓に目をやった。いつも降りる駅を過ぎたそこには見慣れない景色が広がっていた。
どんな子なんだろう。

17時にお台場の東京テレポート駅で待ち合わせした相手は半年前にSNSで知り合った1つ下の高校2年生だ。
彼女と僕は繋がってからすぐに意気投合し、コメントを送り合ったり朝までお互いに好きな音楽や動画の事を語り合ったりして、インターネット上で完結した関係とは思えないくらいには仲良くしていた。
彼女は遠方の九州に住んでいたから、会おうだなんてお互い1度も口にしたことはなかった。
ただ先日、所属しているテニス部の大会が東京で行われるという話を聞いて意を決して僕の方から会おうと誘った。彼女と高校生のうちに会えるなんて思っていなかった僕は期待に胸を躍らせた。  

約束の10分前に到着した僕は駅前のガードパイプに腰を掛け彼女に連絡を入れた。間髪を入れず彼女からの返信が来た。  

「ごめんシャワー浴びてたから少し遅れる!」  

僕は1つも動揺する事なく駅前で待っている旨を伝えた。
気まぐれでマイペースな彼女のことだから多少の遅刻は想定内だ。集合時間を気持ち早めにしておいてよかった。  

夕方とはいえ8月の半ばだ。日陰にはいるもののじっとりとした暑さに滲み出た汗が頬を伝う。駅前の広場を親子はお父さんが子どもをうちわで煽ぎながら、サラリーマン風の男は額の汗をハンカチで拭いながら足早に通り過ぎる。  

僕が到着して20分くらいだろうか。スマホの画面を凝視していた僕の耳に女の子の元気な声が飛び込んだ。  

「拓実くんでしょ?遅れてごめんね!」
「桃香?」  

紛れもなく半年間僕とインターネットで連絡を取っていた彼女だった。
部活の大会後という彼女はスクールバッグを肩に掛け、制服姿だ。少し濃い目のメイクに肩の下辺りまで伸びた茶髪は癖毛まじりで、第二ボタンまで開けた胸元から覗く小ぶりなネックレスがとても似合っていた。
彼女は所謂ギャルだったが、顔も雰囲気も画像で見た通りだった。
幼い顔立ちに少し背伸びをしたようなファッションが可愛らしかった。
この身なりで部活の試合後と聞くと違和感があるけど、定時制の女の子はみんなこんな感じなんだろう。

僕たちはすぐにお台場では有名なショッピングモールのヴィーナスフォートへ歩みを進めた。
彼女は軽やかな足取りで
「ねぇ今日の試合勝ったよ!」と、まるでいつも学校で顔を合わせる友達同士かのように話し出した。
僕もそれに乗っかり
「すごいじゃん!流石だね」と答えると彼女は「へへっ」と得意げに笑った。

ヴィーナスフォートの内装はヨーロッパの街並みをイメージして作られているらしく、僕たち高校生には少し不釣り合いな大人っぽい空間が広がっていた。
夏休みの期間ではあったけど人はまばらだった。    
彼女の一声でタピオカ屋に入ることになった。彼女はミルクティーを僕はピーチティーをそれぞれ手にして席に着く。  

「タピオカ好きなの?」
「いやそうでもないよ」
「そうでもないの?」
「うん、タピオカはJKが持ってるのが1番しっくり来るし可愛いでしょ。だからJKのうちにできるだけ飲んでおくの。ほら、写真撮るから手に持って」  

彼女は偉く正直だ。仮に本当だったとしてもタピオカを買う理由が可愛く見えるからなんて普通答えないだろう。
それから彼女が東京に来てからの事やお互いの学校の話で笑い合った。
会話が止み僅かな沈黙のあと僕は彼女に尋ねた。  

「今って彼氏いるの?」
「いや、最近別れたよ」  

彼女は一瞬だけ間を置いて答えた。その間にどんな意味があったのかはわからない。
「拓実くんこそ彼女は?」
「いないよ」
僕は間を空ける事なく答えた。  

「よかった。もし彼女いたら私怒られちゃうもんね」  

僕はそれに肯定するべきなのか「友達だから関係ないよ」とツッコむべきなのかわからず何も言えないでいると、彼女は「じゃ行こっか!」と勢いよく立ち上がった。
「どこに?」と聞くと彼女は「観覧車!」と威勢よく答えた。
ヴィーナスフォートの目と鼻の先に大きな観覧車がある。僕はここに来る前から乗りたいとは思っていたけど自分の口からは言い出せずにいた。  

ヴィーナスフォートの出口へ向かってる途中、彼女が雑貨屋の前で足を止めた。
彼女は空色の花の形の飾りがついたかんざしを指差し「これお母さんに買って帰ったら喜ぶかなぁ?」と呟いた。
かんざしを見つめる彼女の表情はまるで宝物を見つけた子どもみたいにキラキラしていた。それはアピールでもなんでもなく純粋にお母さんを喜ばせたいという気持ちが如実に現れていた。こんな一面もあるんだと思った。
そして彼女はその2800円のかんざしを買って観覧車へ向かった。  

僕たちは券売機でチケットを買い観覧車へ乗り込んだ。彼女はワクワクしているようだったけど、初めて女の子と2人で観覧車に乗る僕は高まる鼓動を抑えるので精一杯だった。
さっきまでいたヴィーナスフォートや待ち合わせた駅前の広場を見下ろしながらゆっくりと高さを増していく。
彼女は1度も椅子に座る事なく窓に手を張り付けて外を眺めていた。  

ちょうど頂上に差し掛かる頃、日が沈んでいくのが見えた。東の空はもう藍色をしていたけど西の空は夕焼けで赤く染まっていた。  

「向こうが明るいのにこっちは暗くてなんか変な空だね」
彼女が空を指差し言った。
「この日が沈んで昼から夜に差し掛かる時間を黄昏時っていうらしいよ」
「じゃあ昼でも夜でもないってこと?」
「そういうこと」
「ふーん。でもすごく綺麗」  

彼女は窓を見ながら答えた。
確かに黄昏時の空は曖昧だけども美しかった。僕たちは観覧車からの景色に釘付けになってこれ以上言葉を交わせなかった。
今までモテてきた男ならここで彼女の手を握ったりするんだろうけど、柄に合わないと思ってやめた。いや、本当はきっと彼女に嫌われるのが怖かっただけだ。そうやっていつも逃げてきた。  

頂上を過ぎると地上まではあっという間で拍子抜けしてしまった。
時刻は19時になろうとしていた。彼女は20時過ぎ頃に泊まっているホテルで点呼があるらしく一緒にいられるのはあと1時間ほどだった。
どうしようかと考えていると、今度も彼女の方から口を開く。  

「お腹空いてる?」
「いやどっちでもないかな」
「そしたら私も別にお腹空いてないし海岸行こうよ」
「いいねそうしよ」  

僕は彼女の提案を快諾し近くのお台場海浜公園を目指した。  

「私夜の海好きなんだ」
「そうなんだ。なんで好きなの?」
「なんでって好きだからだよ。好きに理由なんていらないでしょ?」
「そういうもんかな」
「そうだよ。だって好きな色とか好きな食べ物がなんで好きかって上手く説明できないでしょ?それと同じだよ」
「ああ、そうか」  

僕は妙に納得してしまった。彼女は天然に見えるところがあるけど、実はしっかりと芯が通っていて、物事の本質を見抜いているのかもしれない。
少し歩くとレインボーブリッジが一望できる高架式の木製デッキになった遊歩道があった。
夜の海に浮かびエメラルドグリーンにライトアップされたレインボーブリッジは本当に綺麗で、これがお台場がデートスポットとして有名な所以なんだと思った。  

「すごーい!ねね、写真撮って!」  

彼女はそう言うと手に持っていた飲みかけのお茶のペットボトルを半ば強引に押し付け、1番眺めのいい場所に駆け出した。
彼女はカメラに背を向け柵に寄りかかりレインボーブリッジを眺める体勢を取った。  

「いいよ!」  

僕は言われるがままにレインボーブリッジと彼女の後ろ姿をしっかり収め、スマホのシャッターボタンを押した。
それから僕たちは遊歩道の階段を下り海岸まで移動した。
もう日は完全に沈んでいたし、程よく潮風が頬を撫で心地よかった。
東京湾とレインボーブリッジを見渡せるベンチがあり、それに2人並んで腰掛けた。少し景色を眺めた後僕の方から呟いた。  

「こうやって誰かと景色眺めるの初めてかも」
「初めてが私でよかった?」
「よかったよ。よくなかったなんて言わないでしょ」
「そっか」  

彼女は海を見ながら笑った。
僕たちはそこでいかにも高校生らしい他愛もない会話を続けた。
目の前の景色や潮風、彼女の声や言葉一つ一つを噛みしめるように過ごした。時刻はあっという間に20時を迎えようとしていた。  

「高校卒業したら東京来たりしないの?」
僕はずっと気になっていた事を尋ねた。  

「んーしばらくは行かないかなぁ。10代のうちに東京で一人暮らしはお母さんが許してくれないと思うし、多分地元で進学するんじゃないかな。まだ分かんないけど」
「そっか」
「でも今回東京に来れて本当に良かったと思うよ。私正直拓実くんと知り合った頃から会えないと思ってたし。今こうして隣に座ってるのがちょっと信じられないかも」
「俺もだよ。桃香と会ってみたいとは思ってたけどそんな機会ないだろうなって。今日遊べて良かったよ本当に」
「ありがと」  

彼女は照れ臭そうに微笑みながら言った。少しの沈黙が流れた。僕は堪えかねて適当な言葉で沈黙を切り裂きそうになったけど、ぐっとこらえた。
急に心拍数が上がった。僕の身体がこの後何が起こるか理解していたかのように。
彼女の方を向くと、目が合った。僕を見つめるその瞳に飲み込まれそうだった。彼女の方から顔を近づけて来た。僕もそれに応え、そっと唇を重ねる。あまりの緊張に気が付いたら顔を離していた。僕のファーストキスだった。そんな話は今までした事はなかったけど、彼女はまるでこれが僕のファーストキスだという事を知っていたかのようないたずらな表情を浮かべクスッと笑った。  

「カップルみたいだね」  

彼女は表情を変えずに囁いた。そうだ僕たちはカップルじゃなくて"カップルみたい"なんだ。やるせない気持ちに心が締め付けられた。
住んでいるのがせめて同じ関東なら「付き合いたい」と言いたかったけど、お互いの距離を考えたら付き合うのは現実的ではないと思ったから言わなかった。言えなかった。
僕は代わりに尋ねてみた。  

「また会えるかな?」
「んーお互いが会いたいと思ったら会えるんじゃない?お互いが会いたいと思って会わなきゃ意味ないでしょ?」  

また上手い具合に言いくるめられてしまった。何か機転の利いた事を言いたかったけど、反論する余地がなくて僕は何も言えなかった。  

時間が来たため海岸を後にした。
駅に向かう途中僕たちは自然と手を繋いでいた。彼女の手は微かに熱を帯びて柔らかかった。どんな事を思って僕と手を繋いだのだろうか。
彼女はゆりかもめの台場駅から帰るらしかったので改札まで送ることにした。  

「ありがとう短い時間だったけど本当に今日は楽しかったよ」
「私も楽しかった。じゃあね!また連絡する!」
「うん、またね!」  

彼女は改札を抜け今日会った時よりかは落ち着いた足取りで歩き始めた。僕は1歩も動く事なく彼女の後ろ姿に視線を向けていた。彼女の背中が段々小さくなっていく。彼女は階段を登る前こちら側を振り返り手を2、3度振った後、今度は勢いよく階段を駆け上って行った。僕は彼女が完全に見えなくなってから少し間を置いて踵を返した。  

僕は待ち合わせした駅まで歩いて戻り、赤羽行きの電車に乗り込み席に着いた。
携帯を開き彼女のSNSのページに飛ぶと、僕がさっき撮った写真が背景に設定されていた。
僕は彼女と再び会う事ができるのだろうか。もし会えなかったらこの1日は数年後どんな色の思い出になるのだろう。でもどっちにしても今日の事はきっと忘れない。  

バッグを開くとお茶のペットボトルが入っていた。写真を撮った時彼女から預かってバッグに入れてそのまま忘れてしまったらしい。
僕はすぐに彼女にメッセージを送った。
「ごめんお茶返すの忘れてた!」
するとすぐに返信があった。
「あ、忘れてた!次会う時まで取っておいて!(笑)」
僕はしばらく考えた後
「いやそれは無理でしょ!(笑)」
と返した。
僕はまだ微かに彼女の温度が残るペットボトルをただじっと見つめていた。




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