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大事な思い出の一欠片

私が学生だったときの話

しゅうくん、という男の子がいた。

しゅうくんはいつもふわん、ふわん、と軽い足取りで歩いていて、いつも笑顔だった。

始めこそ少し人見知ってあいさつもできない私だったけど、保健室の常連だったことがきっかけでしゅうくんとお近づきになれた。同じくしゅうくんも保健室の隣の部屋(ボランティアでカウンセリングをしてくれるおばちゃんがいる部屋で、いつも内緒でお菓子をくれるから私もよくいた)の常連さんだったのだ。


その日もいつものように笑顔のしゅうくんと一緒にお菓子を食べた。トランプをしたこともある。しゅうくんはババ抜きをするのが得意だった。


しゅうくんと仲良くなってからは、校内で会う度に挨拶をするようになった。ふわん、ふわん、と軽い足取りのまま、しゅうくんは手をあげて声をかけてくれる。笑顔のしゅうくんを見ると、いつも穏やかな気持ちになれた。

そのうち、上げてくれる手にハイタッチをするようになった。しゅうくんも、私が手を上げるとぱちん!とタッチしてくれる。廊下ですれ違うときの、私達の恒例のあいさつになった。


ハイタッチはさらに進化を遂げ、行き先が同じときには手を繋ぐようになった。しゅうくんは人目も気にせず手を繋ぎ、ふわんふわんと私をどこかに連れていく。「次の教室、向こうなの!」と声をかけると、仕方なさそうに手を離して、いつもの笑顔で去っていく。しゅうくんの、掴みどころのないところがいつも楽しかった。



しゅうくんと仲良くなって1年くらいが経った頃、私に彼氏ができた。

彼は私としゅうくんが仲良しなのを知っていたけど、私はなぜか、しゅうくんに彼氏ができたことを言えなかった。

でもその後も今まで通り一緒にお菓子を食べたり、トランプをしたり、ハイタッチをしたりと変わらない毎日を過ごしていた。しゅうくんと過ごすこの時間が、思春期真っ只中で超絶不安定だった私のオアシスだった。失い難い時間だったのだ。


ある日、しゅうくんと廊下ですれ違うときいつものようにハイタッチをしていたら、その向こうから彼が歩いてくるのが見えた。
ハイタッチをして手を繋ぐのがいつもの流れだったのに、彼が見ていることで動揺した私は、しゅうくんの手を咄嗟に振り払ってしまった。ごめん!と咄嗟に謝ってももう遅い。足取りと同じくふわふわのしゅうくんの手は行き場を失い、丸い背中をこちらに向けて去っていってしまった。しゅうくんは、それでも笑顔だった。


私がしゅうくんの手を振り払ってからは、一緒に過ごすこともなくなった。お菓子も、トランプも、ハイタッチも、私の日常からなくなってしまった。軽い足取りでいつも笑顔のしゅうくんを、もう間近で見ることもなくなった。



そうこうしているうちに、卒業の季節を迎えた。
しゅうくんは私の歳上だった。

卒業式の練習を重ねる度に、気持ちは複雑になっていった。このまましゅうくんとお別れしてもいいのかな。もやもやが残ったままでも見送ることはできるかな。体育館に運ばれた椅子は否応なしに冷たいし、先生たちの話はテンプレートで全くおもしろくない。寂しさがより一層募るだけだった。


歩く練習をしていた卒業生の中から、しゅうくんと目があった。正しくは目が合った気がしただけかもしれないけど、確かにしゅうくんの姿が見えた。

途端、しゅうくんが取り乱したのが見えた。しゅうくんの担任の先生が傍に飛んでいき、そのまま体育館を後にした。肩を抱かれ、呼吸が乱れたしゅうくんは、今までに見てきたどんなしゅうくんとも違う。私の知らないしゅうくんだった。その後何事もなかったかのように再開された練習と先生たちの態度を見て、あぁ、これ初めてじゃなかったんだ、と思った。


勝手に知った気になっていたんだろうか。私だけがしゅうくんを知っているとでも思っていたのだろうか。恥ずかしい。
しゅうくんはどんな思いで私と一緒にいてくれたんだろう。どんな覚悟で体育館に足を運び、卒業式を迎える練習をしていたんだろう。みんなと足並みそろえて歩くこと、視線を前に向けること、背筋を伸ばしてそこに座っていること、教団に上がった人の一声を聞き逃すことなく全員で一斉に起立すること、その全てがしゅうくんにとってはとても難しいことだったのだと、後になって知った。カウンセラーのおばちゃんが、そっと教えてくれたのだ。


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卒業式当日

とてもいい天気の日だった。桜が8割方咲き、整備されたロータリーには卒業生を見送るためのアーチが飾られていた。
朝一番、ここをふわんふわんと歩いてくるしゅうくんの姿を見たい。ハイタッチしたいなんて贅沢は言わないから。せめて少しだけでもしゅうくんの姿が見たい。笑顔のしゅうくんが見たい。ストーカーみたいに隠れてしゅうくんの姿を探す私は、さぞ滑稽だっただろう。しゅうくんの姿を見ることは、とうとう出来なかった。


「卒業生、入場。」

式は予定通り始まった。胸に赤い花をつけた卒業生が順番に入場してくる。お世話になった先輩、憧れていた同じ部活のキャプテン、小さいころから一緒に育った幼馴染み、と見慣れた顔ぶれを拍手で見送った。

その最後、列の一番後ろにしゅうくんの姿を見つけた。

少し、いや、すごく緊張していたのかな。しゅうくんはこわばった表情で、でも1歩1歩確かに床を踏みながら、前を向いていた。これまで見てきた笑顔じゃなく、ふわんふわんの足取りとも違う、堂々とした姿で。涙腺が刺激される、けど、入場してきただけで泣く在校生はいなかったから、必死にこらえてその姿を目に焼き付けた。しゅうくんは、とっても格好良かった。


式が終わり、ロータリーで卒業生を見送った。

でも、そこにもしゅうくんの姿は見つからなかった。




新学期が始まり、あの頃のしゅうくんと同じ学年になった。

あいかわらず保健室の常連だった私は、カウンセラーのおばちゃんと話す機会が何度もあった。でも、しゅうくんの話題があがることは稀だった。話すと寂しさがこぼれそうだったから。

季節の変化とともに、それまでそこにいた生徒の顔は、新しい顔に上書きされていく。学校という場所はそんなもんなんだよ、とおばちゃんは笑ったけど、ちっとも寂しさは消えなかった。


「あの子はね、あなたのことが好きだったんだよ。誰にでも心を開く子じゃなかった。でもあなたに会えたときの表情を見ていたらすぐにわかった。嫌な態度一つせず、普通に一緒にいてくれてありがとうね。」


後になっておばちゃんがかけてくれた言葉だ
けど、なんだろう、違和感。
”嫌な態度”って、何?

しゅうくんに嫌な態度をとった人がいたの?
普通に接することは、慈善事業だとでも思われていたの?

しゅうくんが卒業したあと、しゅうくんの担任の先生からも、なぜかお礼を言われた。そのお礼の意味がわからずにいたから、おばちゃんの一言でやっとわかった。

途端に、すごく腹が立った。

もちろん知らなかったわけじゃない。しゅうくんが繊細だったことも、みんなと同じ教室で授業を受けていなかったことも、ここで私と会う機会が多かったことも。

私はしゅうくんといたかったからしゅうくんといただけだ。それを普通だと思われていなかったのか。偽善だとでも思われていたんだろうか。
沸々と怒りがこみ上げてくる、けど、誰にぶつければいいのかもわからなかった。

偏見は、人を救わない。


しゅうくんと一緒にいた時間のお陰で、学生だった私は癒されていた。こうして記事にしながらしゅうくんのことを思い出しても、笑顔で柔らかい姿が浮かぶくらいには、とてもいい思い出として記憶している。誰になんと言われようと、それが全てだ。しゅうくんは私の大事な友達だ。


今会えたら、どんな言葉をかけるだろう。

「あの頃はありがとね。おかげで楽しかった。」とか、気障なこと言うかもなあ。




卒業式の日、しゅうくんは、影でこっそり泣いていたのだと、後になって知らされた。