それはどうしてもここにいるのだ
はじめまして。ただの大学生です。
月が変わってしまって、衝撃を受けています。
この記事では、以下の本『ひとを〈嫌う〉ということ』より、人への「嫌い」について、そして人間の複雑さについて考えてみたいと思います。
「嫌い」という現象の分析
人を嫌うのは自然である。人はときに理不尽に相手を嫌いになり、同様に相手に嫌われてしまう。現象として仕方のないことだ。
問題は、人を嫌うことにどう向き合うか、である。
著者が言いたいことはじつはこれだけなのですが、これは「嫌われても気にするな」とか「よい人間関係には、なれ合いのスキばかりじゃいけません」などという話ではない、ということを説明するため、ありとあらゆる引用を使ったりして、理論的に、ときに雑に、話を進めていきます。
著者は、人を好きになるのと同じくらい、たくさんの人が嫌いで、また、自らの妻子にも激しく嫌われているそうです。
読んでいると、私が「苦手」という言葉で処理している感情が、正直に「嫌い」と分析されている感じがしました。
そういう些細な「嫌い」のお話です。
人はなぜ人を嫌うのか?
を、71頁~「『嫌い』の原因を探る」で分析していて、ここだけでも十分面白いです。
私と「嫌い」
仲良くなるのは無理かな。仲良くしようと思われても、受け付けがたいな。
人は特に理由が無くても、あるいはごく些細で本人にどうしようもない理由により、人を遠ざけてしまう。
例えば容姿だったり、服の趣味だったり、態度、箸使い、におい、などなど。
私にとって、この本の「嫌い」を感じやすいのは声、話し方かなと思います。
声が気に入らないから嫌い、話し方が嫌い、などと、ほとんどの人には感じません。
ほとんどの人には感じないからこそ、感じたときにうろたえます。
そんなことで人を嫌い、遠ざけてどうするんだ。
私は最低の人間だ。
しかし、本書ではそういう現象を「自然だ」と断言しています。
現象を好むと好まざるとにかかわらず、「嫌い」は確かにそこにいるのです。
「人生の充実」というキーワード
「みんな大好き」「ひとを愛している」「嫌いな人はいません」
は、この本に照らすと、実は不自然なのかもしれません。
著者は、こういった博愛主義的な考えをもてるならいいが、持てなくても「人生は充実している」と考えます。
人を嫌い、人を嫌う自分を嫌い、嫌な感情ばかりの人生を、「貧しい人生だ」と表現するのではなく、「充実している」と考えるのは、とても興味深いなと思いました。
充実するには、人が人を嫌ってしまうことを認識し、「『嫌い』が起こったぞ」と正しく理解して、なお「さらりと嫌って」いくこと。
だそうです。
心に残った二文
私のお気に入りの二文を引用し、ご紹介します。
この著者は、自らも引用しているのですが、『人間失格』の主人公に似ているところがあり、なかなか面倒で自己嫌悪の強い人です。
「嫌いな人なんていない」「人を嫌うことはしない」の正体がこれであった場合、確かに「嫌い」をする人生の方が豊かで充実していそうだ、と思いました。
長ったらしくて面倒だけれど、正直で複雑で、こういうのが人間だよなあと思います。
人間は複雑
日常的に潜む「嫌い」。
些細だからこそ、根本的に解決しようという動きも起こらず、それを追究した小説やドラマが無いから、架空の世界から教訓を得ることもできず。
そしてまた、「嫌い」が発生していく。
特別にコンプレックスのない人、要素だけ取り出せば「幸福」な人も、実は複雑な「嫌い」を日常的に感じている。人に嫌われている。
それを消そう消そうとするのではなく、ごまかすのではなく、「嫌い」がいる、と認める。
この考えを実践することが正しいかどうかということより、このように考えていくことで、人間がいかに複雑で、面倒くさく、疲れてしまう生き物であるか、というのを忘れないでいられるのかなと思いました。
「みんな好き」と言ってしまうと、私は忘れそうになります。
それは、それが、私にとって一番怖いことです。
忘れて得る面白み。思い出したときに得る面白み。そのとき発生する羞恥心と罪悪感。
全部あった方が、みっしりと「充実した」人間らしい人生になるのかもしれないです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?