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日本語の未来は?

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僕が、学習している大学は主にオンラインの授業である。

そこで、毎回ではないが授業の終わりに、ディスカッション課題というものがある。

達成ノルマは投稿一回と他の方の意見への返信が1回である。

ちなみに返信があった意見は再びスレッドの一番上に表示される仕組みだ。

このディスカッション課題、真剣に他の方の意見にまで目を通していたらすごく時間がかかってしまう。

なので、サラッと適当に書いたつもりが、意外にもほかの方の目に留まって盛り上がりを見せている。

もちろん前述の条件もあってのことだと思うが…

今回のお題は、日本語の類似表現について違いを述べよというものであった。

で僕の投稿した内容が、

(1)一緒に病院に行ってくれませんか。
(2)一緒に病院に行ってもらえませんか。
の二つでは、(2)のほうが、より丁寧な印象になることは、ほかの方も述べられているとおりだと思う。
一方、私が普段使っている関西弁だと
​(1)一緒に病院に行ってくれへん?
(2)一緒に病院に行ってもらえへん?
となり、(2)のほうがやや遠回しで、繊細な性格を持つ関西人は逆に鼻についてしまうかもしれない。また、字数も多くなる。
したがって私の場合、(1)はよく使うが、(2)は使ったことがないかもしれない。
やはり、言語というものは地域差が大きいものなので、テストなどで一概にこれが正解、不正解と断定してしまうのは上級者の学習者には余計な負担になるかもしれない。

というものなのだが、

同じ関西圏の方からの返信内容は、

​兵庫県民ですが「一緒に病院に行ってもらえへん?」は、確かに使わないですね。違和感があります。

一緒に病院に行ってもらわれへんかな?
切羽詰まっているのか、何か裏があるのか考えてしまいます。

とか

「一緒に病院に行ってくれはらへん?」
確かに何か含んでいそうで、歯に物が詰まった様な言い方ですね。
腹黒とよく評される京都だからでしょうか。

また関西以外の方からは、

関西の人とは英語表現と同じでストレートな表現の方が話がしやすいと感じたことがあります。
丁寧な表現をしたつもりが、かえって慇懃無礼な印象になってしまうのだなと思いました。

また秋田出身の方は、

もし私の故郷で方言しか話せない高齢者に標準語を使って依頼したら、とても冷たい、突き放した感じになると思います。

参考になった意見として、

「余計な負担」ではなく「少し注意が必要」レベルの話ではないでしょうか。
言語はその人の個性だと思っています。
学習者に対しても、言語の地域性や言い回し等で判断するのではなく、その人自身を見て接していきたいと思います。

また、チューターの方からは、

(2)を使うこともあるのですが、むしろ丁寧に声のトーンや語調を変えて伝えるようにしています。

という意見をいただけた。

日本語というものを学びだして、その奥の深さに引き込まれて行ってしまう。

たかが言葉、されど言葉。

僕自身はいろんな国を旅するにあたって、常にお客様。

言葉なんか通じればいい。

と高を括っていたが、言葉を教える者として微妙なニュアンスや地域差、世代差にわたるまで伝える必要性を感じた。

なぜなら、日本語というものは日本語事態に興味を持って学習する外国人が多いこと、僕も第2言語として英語を話し始めたときは母語話者同士の会話の中に自然に混じって会話することが目標だったからだ。

前者については、ほかのアジアの言葉を勉強しだしてから、それらは共通して、漢字という文字を使って伝えられてきたということから、言語自体に興味を持つという気持ちも理解できる。

少なくとも、中国語はもちろん、日本語、韓国語、ベトナム語は半分以上が漢語である。

100年後、200年後は言葉はどう変化しているのだろうか。

純粋な日本人は減るのだから、日本への移民たちによって新しい日本語が話されているのだろうか。

タイムマシーンに乗って見に行ってみたい。

既存社会からの脱出に向けて。あなたと一緒に、さあ行こう。