-障害について-
わたしは、ある時期から、ポスト乙武さん、という表現を多用するようになりました。
ポストロック、ポスト前衛芸術、etc..
ポスト、というのは、ロックのその後、前衛芸術のその後、そのあとに続く、ルーツを引き継いでいる新しいロック、新しい前衛芸術、という意味です。
つまり、ポスト乙武さん、というのは、乙武さんの生き方のルーツを引き継いでいる新しい障害者の在り方、という意味です。
この日本における障害者への理解は、乙武さんの前と、乙武さんの後と、分けることができると、わたしは思っています。
そして、わたしは、新しい障害者の在り方を、常に探しておりますし、常にそういった生き方を意識しています。
わたしが、ポスト乙武さん、という表現を用いるようになったのは、必然です。
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少し時代を遡ります。
高校卒業を控えた時期。
まぁ、わたしは高校を中退しているので、正確には、同級生が高校卒業を控えていた時期、の話です。
あるとき、古い同級生と再会しました。
その一般的には、高校三年生、とされる時期、それなりに連絡を取り合い、よく自宅にも遊びに来てくれました。
乙武洋匡さんが「五体不満足」を出版されたのは、ちょうどその前の年くらいの話でした。
当然、わたしの家族は、わたしのこともありますし、その「五体不満足」を購入しており、わたしも出版されて間もなく、すぐに読了しました。
そして、同級生と再会したとき、同級生は、わたしが音楽やアートに根深いことをよく理解しておりましたし、わたしに、こう言いました。
「トーマスくん(とは呼ばれていない)も、乙武さんみたいな本を書いたらいいのに」
と、言うわけです。
まぁ、今にして思えば、その言葉は、根深くわたしの心に残されました。
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時は流れて、わたしは、自分でも小説を書くようになりました。
「トーマスくん(とは呼ばれていない)の自伝的な本だったら、わたしも読みたいかな」
そう話してくれた女性もおりました。
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わたしは、自伝的な本を書けるほど、わたしの人生を客観視することは、できておりません。
「トーマスくん(とは呼ばれていない)も、そろそろ自分の障害に向き合う時期なんじゃないのかな」
そう話してくれた主治医は、先日、他界してしまいました。
考えることは、山積しております。
向き合うことは、山積しております。
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わたしは、わたしの理解できる範囲で、わたしの障害を理解しております。
本を読むのは、ほとんど自室の部屋の中のみですし、音楽を聴くのは、車の中と自室の部屋の中がほとんどです。
好きな音楽を自由に聴ける環境はありませんし、好きな本を自由に読める環境もありません。
好きな音楽を自由に作れる環境もありませんし、好きな本を自由に書ける環境もありません。
許される範囲の中で、許される範囲のものを作る。
許される範囲の中で、許される範囲のものを書く。
それだけ、です。
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ある時期には、自分の見たものが、他者の視界に投影される、という障害、いや、症状に苦しめられた時期もあり、その時期には、絵を描いていても、自分の描いた絵が他者の視界を支配する妄想に陥り、アートだから、と、許されることも少なかろうと感じております。
言葉や音楽に関しては、今でも変わりません。
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「わたしの言葉や音楽は、すべてが他者に投影される」
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それは、どこまでがわたしの妄想であり、どこからがわたしの障害であるか、わたしには、判断する判断能力は、ありません。
基本的な考え方として、わたしには、物事を正当に判断する判断能力はない、と、わたしは自分なりに解釈して考えております。
ですから、過度に責任のある立場の仕事などに関しては、なるべくお断りすることにしています。
そして、
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「考えたことや話したことは、すべて他者の聴覚に投影され、自分の耳に聞こえたものも、それらのすべてが他者の聴覚に投影される」
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そうした、障害、と話してよいものか、或いは、症状、と話した方がよいものか、わかり兼ねますが、そうした日々を過ごしております。
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ですから、わたしは、言葉や音楽に関しては、人一倍の配慮を重ねて、日々を過ごしております。
そのことを、わたしの言葉で、わたしから、きちんと話しておこう、と、思い、筆を取ることにしました。
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このエピソードは、わたしの人生のほんの一幕に過ぎません。
自伝的な物語を書き始めたなら、原稿用紙数百枚などは、容易いものでしょう。
よくこのような暗い話に、お付き合い頂けました。
それでは、また明くる日に。
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