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性別の違和感に気付いた時とその後の話Part2小、中学生編

今回の記事は前回(Part1)の続きで
今回は小中学生の話です。

勘違いしていた小学低学年時代

前の記事Part1で少し触れた僕の勘違いについて
僕はこんな具合に勘違いをしていた。


・みんな男に生まれたいと思っている
・男に生まれたらラッキー
・女に生まれた人は運が悪い
・周りの女の子もみんな男になりたいけど我慢して女の子をしている
・女に生まれたいと思う人なんていない


とにかくみんな男がいいと思っていると思っていた


そんな僕が事実を知る事となったのは、友達とのこんな会話がキッカケだった。(小学3年くらい)

「生まれ変わったらなにになりたい〜?」
「空とか飛んでみたいから鳥!」
「やっぱり人間がいいなー!」

数人で『生まれ変わったら…』の話題について盛り上がっていた。


そして次に
「人間だったら男か女どっちに生まれたい〜?」
と誰かが言い出した。
僕は迷わず「男!」と。
そのほかの男子も「男がいい!」と。
僕は「当たり前やんな!」と言いながら笑っていた。


そして
近くにいた女子が「私はまた女の子がいいな」
そのほかの女子も「私も!私も!」

と。

「え〝ーーーーーーーーっ!」


衝撃が走った。

僕はそのあとなにも言わなかったが、心の中でこんなことを思っていた。


『え。だってみんな男がいいんじゃないの?女がいいって言う人なんていないんじゃないの?
え、女がいいってみんな思うの?え、え、え、え、え!?
女のどこがいいの?男の方がいいに決まっとるやん!なんで!?
もしかしてみんな男も楽しんでるし女も楽しんでいるの?
むしろこんなに女が嫌だと思っているのは自分だけなの?』


(次から次へと脳内を駆け巡る疑問と衝撃たち。笑)

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もうそれはそれは大パニック。笑
僕の中の常識が覆った瞬間だった。


衝撃とはこのことを言うのだと思う。


葛藤の小学高学年時代

小学4年生の頃に転向してきた男の子(A君)とすごく仲良くなった。

夏休みなんか、朝ラジオ体操が終わってからすぐ遊んで、夜ごはんを一緒に食べて解散してまた次の日もラジオ体操から集合。

夏休み中毎日それを繰り返していて、合わない日がないくらい遊びまくっていた。


普段の学校がある日も、一緒に下校してそのままカバンを放り投げて遊びに行った。

晴れた日は、外で秘密基地を作ったり、川で遊んだり、エアガンで遊んだり、虫取りをしたり、山登りをしたり。

雨の日は、家の中でテレビゲームをしたり、遊戯王カードで遊んだり。

雪の日は、ソリを持ってできるだけ急な斜面の山とか、半分崖みたいなところに行って、スリル満点の遊びをを楽しんだ。



当時の僕はそんな活発な遊びが大好きだった。

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一方クラスの女の子の間ではその頃
流行りの曲に振り付けをして遊ぶ遊びが流行っていて、
休み時間になるとみんな教室に残って踊って遊んでいた。


僕はそれになじめず外へ。
他の男子たちとドッヂボールやキックベースをしている方が断然に楽しかった。


僕は段々気づいてきた。

『みんなと好きなことが逆だ。しかもみんなは自分の性別に対して、不満を持ってないしむしろ楽しんでいる。』ということに。


そして孤独と不安にが押し寄せる。


昔から自分は嫌だと思うことが多かった。


七五三の時の着物も嫌だったし、ランドセルの色も我慢した。
スカートも嫌で履いたことがなかった。

家庭科で使う裁縫道具も、黒と龍のがよかったけど我慢してオレンジのケースにした。みんな(女子)はピンクとか可愛らしいケースだったけどそれは許せなかったから、妥協してオレンジ。

でも本当は龍がよかった。


みんなと違うことをすると
「なんで女の子なのに男の子っぽいの?」と言われる。

「別にいいじゃん!」と言って自分のしたいように生きれる性格だったらもっと楽だったかもしれないが、僕はそんなに強くなかった。




『周りと違うことをすると、変な人に思われる。普通でいたい。』




小学校の全校生徒70人前後のど田舎に生まれ育ち、少しでも他と違うと浮いてしまう。



『自分の好きなように好きなものを使いたい』と思うと同時に
変な人になりたくない。普通がいい。』とも思う。


この二つの葛藤がいつも僕の中にあった。



『自分が我慢すれば、変な人と思われないし無難に事が運ぶ』
そう思って自分の気持ちに蓋をして我慢を繰り返した。

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ただ一つ、ありがたいことに僕の親は、僕が女の子用の服を嫌っていることを察してくれていたので、メンズやユニセックスの服を買ってくれていた。



とはいえ、やっぱり我慢しきれないこともたくさんあった。


5・6年生。
宿泊学習や修学旅行の時期がやってきた。何が嫌かと言うと、お風呂だ。
みんなとお風呂に入るのが死ぬほど嫌だった。



かと言って親や先生に「みんなとお風呂(大浴場)に入るのが嫌だ」と相談するのも嫌だった。

当日はどうしたかというと、
みんながお湯に浸かり始めてシャワーが開いた頃に、コソッと入って(誰の輪にも入らず)
みんなが脱衣所からいなくなった瞬間にソッコーで着替えて何とか乗り越えた。

なんでみんなが普通にできる事が、自分にとってはこんなに我慢しないといけないんだろうか…

そしてもう一つの悩み、

『中学の制服』

小学校高学年になると毎日親のいない時、外でお祈りしていた笑
「中学が制服から私服になりますように」と。

手をガチガチに合わせて結構本気でお祈りした。笑



スカートだけは絶対はきたくない!!!

小学校の卒業式もスカートは履きたくなかったら女用だけどズボンのものをはいた。

妥協に妥協を重ねてそれだけど、本心男用のカッチリしたものが着たかった。

空気を読む中学時代

お祈りの結果も虚しく普通に制服で通うことになる。笑


何度も言う通り、自分は『普通』がよかった。


スカートがはきたくないとか、女の子用の服装が嫌いなこととか、どうみても、どう振る舞っても男っぽいことは親も気付いていたし、周りの友達も気付いていた。


だけど自分は普通でいたいし、目立ちたくないし、変な人と思われたくないと言う気持ちが強くて、自分をずっと押し殺していた。


運動部に入部して、それを理由に髪の毛をバッサリ切った時は嬉しかった!


小学生の頃からワックスつけて髪の毛立たせるのが憧れだったし、それが叶って本当に嬉しかった!

なにより周りの友達(部活の)も短いから、そんなに浮かずに、そんなに変な人と思われることなく流れで短くできたから、なおの事良し!


恋愛では
女の子が好きかもしれないと思って悩んだけど
そこでもまた『普通がいい』『周りにそんな人いない』と思って目を逸らしていた。


もちろん、こんな風に悩んでいることは友達にも家族にも誰にも言った事がなかったし、言いたくなかった。

が、中学の卒業式、最後にみんなとワイワイ話しているときに、いろんな人から「レズになるなよ!!」とからかいながら言われた事を覚えている。

だから自分を押し殺して生きていたつもりだったけど、溢れ出る何かが周りから見ても自分が少数派にみえていたのはたしかだと思う。

(当時、性同一性障害とかftmとかそういった言葉はあまり聞かなかったし、知識もない。
レズとかホモとかゲイとかそういう言葉だけみんな知っているけど、何が差別的で…とかそんな知識も配慮もない。もちろん自分も何も知らなかったし、それが普通だった。)


あと普段お風呂に入ることも嫌いだった。

『自分の体を見たくない病』がひどくて、
電気を消して入ったり、目をつぶって入ったり、1人なのにタオルを巻いて入ったりするくらい嫌だった。

極力自分の体を見なくて済むように...


と、そんな感じでここまで過ごしたわけですが、
思い出すとどんどん出てきてキリがない😂

これでもだいぶ端折って書いたつもりだけど、ずいぶん長くなってしまったのでPart2はこの辺で。


次回はPart3。
高校、社会人 この辺りをできるだけ短くまとめる。(つもり)


何故こんなことを書くのかというと、
何かに悩んでいたり、近くに共感できる人がいなくて苦しい思いをしていたりする人へ
こんな奴もいるよ!って意味で
少しでも心が軽くなるきっかけになればと思って投稿しています。


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