身に付けさせる教員は要らない

教員が各授業で子どもたちに教える内容については
学習指導要領に記されている。
主に教員は、この指導要領を元に業者が作った教科書を見て
単元ごとの指導計画を立てている。
教科書には児童生徒用と指導者用とがあり
指導者用には、毎授業のめあてや指導内容・方法が書かれている。
指導者用教科書には指導書という、指導内容について更に詳しく書かれた本が付いていて、こちらを活用されている教員も多い。

ここで一つ考えておきたいのは
これらに示されいる指導内容は
「指導すべき内容」であり「身に付けさせるべき内容」ではないのではないかということだ。
もちろん教員は子どもの学習内容を見て評価しなければならないので
その上で身についたかどうかは重要であるが、
子どもにとってはそんなことは知ったことではない。

教員の中には、この「指導すべき内容」を「身に付けさせるべき内容」だと考えている人が多いと感じる。

九九は大切だから、2年生の内に身に付けさせなければならない!
漢字が書けないと困るから、毎日やらせないと!
○年生の内に□□ができないと、次の学年や中学校で大変になる!

こんな言葉が日常的に職員室で飛び交っている。

教員が指導内容を身に付けさせるべきものとして責任を感じ
指導に取り組む事は決して悪いことではない。

しかし、それは本当に子どものことを考えてのことだろうか。

下の学年や下の学校での指導内容が身についていない児童生徒がいると
「今までの担任は何をしていたんだ?」とか
「小学校ではどんな指導をしてたんだ?」とか
他の教員に対して批判的なことを言う教員がよくいるが、
このような人は、指導内容を身に付けさせるべきものとして
自身に過度な責任を負わせて指導してきたのだろうと思う。
だから、自分の指導について、他の教員から批判されたくないという気持ちも強いのだ。
つまり、子どものためでなく、自分のために身に付けさせているようにも思えてしまう。
もしそうだとすると、それは子どもたちにとっても教員にとっても健全な状態だとは言えないと考える。

指導内容は単に「授業で取り扱う内容」だ。
もちろん、子どもたちが内容を理解し知識技能を身に付けることが目標ではあるが、知識技能を身に付けるよりも大切なことがあると考えている。

それは、学習内容が本当に大切かどうかを考えさせるということだ。

例えば、九九を取り扱うのであれば
九九ができないと本当に困るのか?いつ困るのか?
困ってから学習するのでは遅いのか?
困らなければ学習しなくて良いのか?
九九よりも大切な技能は本当にないのか?

身に付けさせるよりも、身に付けるかどうか判断させるべきである。
子どもには大切なものを判断できないと決めつけて、大人が押し付けているだけでは、子どもたちはいつまでも思考力や判断力を育むことはできない。
子どものポテンシャルは教員が一番目の当たりにしているはずだ。

身に付けさせる教員はやめよう。今すぐに。


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