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バタフライエフェクト

昨日も昨日とて、いろんなことを考える一日になった。

私は去年まで学童の指導員だった。あまりいろいろ書くと身バレしてしまいそうだからところどころぼやかすけれど、障がい児の学童で、結構長く働いていた。

そんな私も、初めは知らなかったことがある。いきなしド素人のまま始めた指導員生活で、最初に働いた学童は、初心者にはあまり親切とは言いがたい体制だった。だからもあって、ある時いきなり施設長に言われた。

「子どもを車道側で歩かせないのは当たり前でしょう?何やってるの?」

これはきっと、子育てをされた方なら当たり前に身についていることだろう。でも、だ。子育ての経験も、自らの下に幼いきょうだいを持ったこともない人にとっては「そう言われても、知らないよ!」というご指摘だと思う。

その証拠に、次に私が働いた学童にボランティアでやってきた大学生くんは、福祉系の学校に行っているにも関わらず、やっぱりそれを知らなかった。ああ、そうだよね、私も知らなかったもんなあ―そう感じて、今度は私が、失礼だったりきつい言い方にならないように気をつけながら、そのことを大学生くんに伝えた。その後大学生くんはそのままうちの学童で卒業までアルバイトしてくれたけれど、本当によく働き、とてもいい子だった。何度も修羅場をくぐらせてしまった、そういう職場だったけれど、よく頑張ってくれた。


昨日、とても悲しい事故があったことは、この記事を読んでくださっているかたならば、既にご存知であろう。

事故について、いろんな声が挙がっている。その中で、被害者側の保育園の先生がたが開いてくださった記者会見で、無知な記者によるものだろうか、

「危険認識はあったのか」「保育士は車道側にいたのか」

…なーんて質問が出たのだという(すぐに見つかったのがアノニマス ポストさんだったので、そちらを参照&引用しました)。

全部が全部の保育園にそうと言えるか迄は、私も責任取れない。でも、声を大にして言いたい。

ここまでやってる保育園なら間違いなく、きちんと危険認識がある保育士さんしか居ないよ。


冒頭で自分の過去の話をしたのは、理由がある。

それは「世間が思っている以上に、福祉や保育関係の職業に従事する人たちは、危険認識を持って働いている」ということを伝えたかったから。

「世間が思っている以上」、つまり、保育のド素人時代の私や、ボランテイァの段階での大学生くんが「世間」だ。そして「世間」がそういうことを知らないのも、きっとある程度は仕方が無い。何故なら、知るきっかけが無いからだ。

けれども福祉や保育の従事者側は、実際には命がけで働いている。こちらに何の非が無くとも車が突っ込んでくる社会で、万が一そうなったとしても、まずは自分にその凶器がぶち込まれてもいい様に、利用者さんの盾になって過ごす。場合によっては、車の事故とは関係なく、気持ちが不安定になった利用者さんに暴力をふるわれて大怪我しても、泣き寝入りをさせられる。その暴力を止める為に体を張るのだって、当たり前に従事者側だ。

思えば、そういうことをボランティア(しかも無償)に迄課すというのは、職務上の事とはいえ、本当に申し訳ないことだった。いや、最低賃金レベルのお給金で働かされていることの多い福祉や保育の従事者が、常に「そういう状況」に置かれているというのも、そもそもおかしいような気もする。

お金の問題じゃあ無い、という人も居そうだけれど、これだけ命がけで働いていても、生活するのにやっとのお金しか貰えないというのは、さすがにどうかと思うのだ。好きでやっているのだからいいじゃん、という声も聞こえてきそうだけれど、結局「好き」だけでは働けないと悟って離職する人だって居る。からだを壊す人だって多い。そうして人材不足になって、悪循環。

ともかく、現場の人たちはそれだけ努力し、それだけ誠意を尽くして働いているのだ。

ぶっちゃけ、私も何度怪我したかわからない。私の先輩のほうが、更にひどい怪我を負ったりもして居た。保険があったから確かに医療費は出るけれど、賃金は長らく最低水準だった(辞める少し前に何十円か上がった)。

只、ほんとうに稀な例であって欲しいけれど、人材不足過ぎて、ちょっとおかしな人を雇って、大変なことはベテランに任せ、そのおかしな新人さんはグデグデしているーというのも実際にあった事例なのも知っているので、そこが「全部が全部の保育園にそうと言えるか迄は、私も責任取れない。」という言葉に掛かってくる。ちなみにそういう時は、ベテランの悲鳴を人事が無視する。組織の上が腐っている症例だ。

けれども今回の事故の被害者の保育園に関しては、確実にしっかり危険認識を持っていたはず、と、何度でも言おう。


私は、そういうのがしんどくなって業界を離れた部分もある人間だ。現場のことは現場にしかわからない、外野にはわかってもらい難い、というのをつくづく感じてきた。

こういう悲しい出来事に乗っかって記事を書くのは卑しい事やも知れないけれど、現場に居た者として、想いを発信しておくべきな様に感じたので、その丈を綴らせて頂いた。

わかってもらい難い事だからこそ、小さな声だけれど発信してみよう。もしも誰かに少しでもわかって貰えたならば、バタフライエフェクトみたいに、なるやも知れないから。


亡くなられたかたのご冥福をお祈りいたします。





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