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子ども食堂について、そういや私もよく知らない。

先日、うちの近所の福祉施設に併設された子ども食堂の建物が、灯かりも点けずになんというか打ち捨てられた塩梅になっているのを見かけた。

立派な建物がある以上、おそらく物置か何かには使われているなんだろうけれど、少なくとも「子ども食堂」として機能している様子には見えなかった。

しかし、埼玉りそな銀行では、県と連携協定とやらをして、子ども食堂の運営支援をしていくのだと言う。

ということは、埼玉県としては「子ども食堂」は必要な施設であるという認識なのだろう。否、私もけっして「無くってもいい」とは思わないんだけれどね。

ただ、近所の子ども食堂がいかにも長らくお休みしている感がある辺り、少なくともうちの近所に関しては、子ども食堂を必要としている層がいないのか、もしくは「利用しよう」というところまで行きついていないのか―そんなところなのだと思う。

ときどき虐待なんかのニュースをよく調べていくと、そもそも親が様々な福祉サービスの存在を認識していない場合があるというのを耳にする。

これこれこういうサービスを利用すれば、幾分か「生きていく」のがラクになる—そういう知恵を授けて貰うきっかけの無いまま、何もかも独学!みたいな毎日を過ごし、そうして行きつくところが虐待だったり…そういうケースもどうやらあるらしい。

というか「子ども食堂」って何なのだろう?そういや、私もよく知らない。

Wikipediaによると、

子どもやその親、および地域の人々に対し、無料または安価で栄養のある食事や温かな団らんを提供するための日本の社会活動。

…らしい。なんだ、子ども以外もその対象なのね、知らなんだ。

でも、世間的にもきっとこんな認識なのだろう。少なからず児童支援的なものに携わってきた私ですらそうなのだから、たとえば子どもに関わりの無い層なんてまず、子ども食堂が何たるかを知りえないに決まっている。

これっていわゆるPR不足ってやつだろうか?

しかしながら、中には子ども食堂を隠れ蓑にして、利用者を特定の思想を持った団体に勧誘する—なんてパターンもあるらしい。こういう噂が流れている以上、そりゃあ訝しがる人も多いことだろう。

もっと名の知れた団体が子ども食堂に協力してゆけば、社会の意識も変わるのかも知れないし、あくどい団体も淘汰されるのかも知れない。

そういったところで、件の埼玉りそなの協力というのは、きっと社会的にも大きな影響を与える—のかな、どうなんだろう。でも、埼玉りそななんて、少なくとも埼玉県民ならば誰でも知っている銀行だしね。いいことなのだとは思う。

冒頭でお話した近所の子ども食堂も、コロナのことを鑑みてお休みしているだけなのかも知れないから、これから様子を見るというか、ちょくちょく前を通ってみよう。

私が一番心配なのは、必要な食事を与えられていない、飢えた子どもがいやしないか、そこだ。

そういう子どもたちの為にもどうか、必要なサービスはちゃんと世にPRされて欲しい。そしてまっとうな人たちによって運営されたそこで、必要な人に然るべきサービスを受けて貰いたい。

子どもに関してだけでは無いのだけれどね、勿論。ただ、私がこのnoteでいただいたサポートを寄付させていただいている先は子ども支援事業なので、それもあってやっぱり、飢えた子どもがいるのはとても悲しいのだ。

おいしいものは心を救う。

これからの世を担う子ども達には、おいしいものをたくさん食べて、幸せな大人になって欲しいのだ。


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