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【コラム】「より良く生きる」波が来ている。お寺もそこに舵を切るべき論

皆さん、こんにちは。僧侶の神崎修生です。
今回は、「「より良く生きる」波が来ている。お寺もそこに舵を切るべき論」というテーマでお話させていただきます。

人はもともと、より良く生きたいと願うものです。ただし、今、より良く生きようとする傾向が強まってきているように感じます。そして、そもそも仏教やお寺は、「皆がより良く生きる」ことを目指しています。これから、仏教やお寺が果たす役割はさらに大きくなると感じられます。

そこで今回は、なぜ、「より良く生きる」傾向が強まってきているのかについてお話し、そうした流れの中で、お寺もそこに舵を切ったほうが良いことについてお話していきます。

寺院関係者の方だけでなく、それ以外の方のご意見もいただけると嬉しいです。


▷「より良く生きる」波が来ている

より良く生きたいと願うのは、どのような時代でも、人が本来的にもっているものだと思いますが、現代にはその傾向が強くなるいくつかの要素があると思います。まず、その要素と、そこから言えそうなことを考えてみます。


・雇用形態や働き方が多様化し、主体的に生きられる自由さはあるものの、明日どうなるか分からない不安も大きくなっている。

→どのように稼いでいくかということが、大きなテーマとしてありつつ、主体的に働きながら稼ぎを得たい、自分で生き方を選択したいという人は増加していくと考えられます。


・時代の流れがはやく、技術の進歩も凄いため、それについていけないことへの不安が増している。

→AIやロボット技術の進歩により、人が単純労働をしなくてもよい時代に入ると言われています。それはつまり、単純労働の仕事に就く人が減ることを意味します。こうした時代の流れを先行している人はいいですが、追いていけないと感じている人にとっては、どう生きていけばよいのかという不安が高まっていると考えられます。


・寿命が延び、死の実感が薄れているものの、長期間にわたり病気や介護、別れ、孤独などを経験していくことで、生きるということを必然的に考えさせられる。

→「より良く生きる」という傾向は、寿命が延びたことと、人生をある程度選択できるようになったことが、大いに関係していると思われます。寿命が延びたことにより、この世を生きている時間が長くなったため、長い人生をどう生きていくかということについて、強烈に思わないまでも、考える機会は多くあります。(その程度は人によるでしょう)

また、寿命が延びたことによって、亡くなるまでの時間も長くなり、50歳頃から、自分の体調の変化や親の弱っていく姿を見ることなどを通して、感じることが多々あるはずです。健康への意識や、日々を大切に生きていこうとする意識は高まっているように感じられます。

・ものがあふれているが、それだけでは満たされた感覚がない。

→安価で、ある程度満足できるものが手に入る時代になりました。単純にものを買って幸せを感じる感覚は、もののない時代に比べて減少しているでしょう。ものを買って満たされない自分は、どうすれば満たされるのか。漠然とながらでも、そのように感じる時代に入っているかと思われます。


・孤独を感じる人が増えている?

→農業社会や村社会の時代は、孤立は死を意味していたと言いますが、技術の進歩やインフラの整備によって、孤立しても生活していける時代に入りました。集団に所属することが生きるための絶対条件ではなくなった分、自由度もましましたが、孤立し、孤独を感じる人も増えたのではないでしょうか。

とはいえ、人はつながりがないと、生きている実感も薄れてくるものです。強制力の強いコミュニティへの帰属意識は薄れていますが、「自分にとって良い」、「自分らしくいられる」、「自分のためになる」といった、「より良く生きる」コミュニティへの参加意識は高まっているように感じられます。


こうした環境下で、「何のために生きているのか?」という問いが、人によって程度の差はあれ、自分ごとになってきているのだと感じられます。そして、その答えを求めるような時代に入ってきているのだと思います。

本当は、データを示しながらお話したほうが説得力があるのですが、それはまた時間をかけながらおこなっていくとして、今回は現在の概観として言えることを中心にお話をしました。

おそらく、今、人はより良く生きていこうとする傾向が強まる、ウェルビーイングの時代に入ってきています。お寺も社会の中にありますから、時代の流れの影響を受けます。

檀家制、葬儀、お墓なども、既存の形態が変化してきています。そうした形式的なニーズに応えていこうとする姿勢は勿論重要ですが、お寺や僧侶が注力すべきポイントは、形式的な部分ではないのでしょう。

今こそ、お寺でおこなっている取り組みや、僧侶、寺族としての活動を、「皆がより良く生きる」というウェルビーイングのほうに舵を切る時かもしれません。

いや、もともと、仏教が目指しているのは、自他の抜苦与楽です。自らと他者の苦を抜き(苦しみが和らぎ、癒され)、楽を与える(幸せを求めていく、より良く生きていく)ことです。

その道場であるお寺が、「皆がより良く生きる」という方向を目指すのは、当たり前なことなのかもしれません。既存の檀家制、葬儀、お墓の形態が崩れてきた今だからこそ、そのことがより鮮明に感じられるのでしょう。

以前にも書きましたが、お寺がお寺のために、内向きに寺院運営について考えるのは本質でないことは、寺院関係者の方々も感じられていることだと思います。

「皆がより良く生きる」ための場としてのお寺・僧侶の役割を果たし、檀信徒や賛同者の皆さんと一緒にその場をつくっていくことで、必然的にお寺は活気を取り戻していくはずです。

その方向の方が、僧侶や寺族も、檀信徒を始めとしたそこに集う方々も、やる気や元気もわいてくるように思います。皆さん、いかが思われますか?

またの機会に、「皆がより良く生きる」ためにお寺がやったほうがよいことを、事例を上げながらお話できればと思います。


最後まで、お読みいただき、ありがとうございます。

合掌


浄土真宗本願寺派 教證山信行寺

神崎修生

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