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代わりはいるものだけれど

「自分がいなくなってしまったら自分の代わりになる人間はいない。だから、何があっても我慢し倒れることもないようにしなければ、他の人に迷惑がかかる」「自分がいなくなってしまった後に、あることないこと言われることが耐えられない。だから、自分が続けていかなければダメだ」そんな考えに囚われ過ぎてしまい気が付けば10数年の月日が経過していた。正しくもあり間違っていたともいえるだろう。自分が10数年もの長き月日の間に続けてきたことは、「ほぼほぼ」1人でやってきたことばかりで「他に経験者がいない」ものばかりなので、なおさらそんな考え方に囚われてしまっていたのだと思う。

もし、私がいなくなったとしても誰かがその代わりをやることになるだろう。代役を見つけることで私がいなくなった穴を埋めざるを得ない。それが仕事であり職場であり会社の当たり前の形だろう。「それを考えるのは会社側の責任であって、私の責任ではない」と思う。だから、気負い過ぎることはないし、それに囚われて「新しい道」に踏み出せるチャンス等をつかみ損ねることもないと思う。しかし、「今という時間」に、自分の代わりになる人がいないことに対して不安な感情を抱き、将来を見据えて安心して働くことができないと感じています。

他の人は相互に補完し合える人がいるけれど、私の場合相互に補完し合える人はいない。厳密なことを言えばいないこともないけれど、「これまで」と「今」そして「これから」のことを考えると相互に補完し合える人はいない状態が続くでしょう。「新しい人…」を入れることは多分ないと思う。私一人で何とかやれてしまっているから(まともに引き継がれていないことだけじゃない、決着をつけるべき人間が決着をつけてこなかったことの為に、四苦八苦し嫌味をちくちく言われながらも)「新しい人…」を入れることはありえないと思う。そう、一人でも何とかやってきてしまったことが自分で自分の首を絞めることになってしまった。

補完し合える人がいない状態ということは私自身のペースで仕事を進めることができるということだけれど、「理解をしている人がいない(余計な負担を負いたくない)」わけだから、相談し頼ることもできない「新しいこと」に向き合わざるを得なくなっていくことも増えていくということでもある。実際に、そんな10数年の日々であったことがそれを証明しているのではないか。一人事務職のあるあるなのかもしれないけれど。「何にもできない人間」「一つのことしかできない人間」に比べれば幅広い経験を積み重ねてなんでもできる人間になった方が自分自身の為になると思う。けれど、「自分が本当に困った時に助けてくれる人、自分の代わりになる人」がいない状態では(少なくとも私自身はそう感じています)不安であり安心して働き続けることはできないけれども、働いている以上はこれまで続いてきた日常に向き合わざるを得ないのが、苦しい。

また、補完し合える人がいないということは「簡単に切り捨てられる」という一面も持ち合わせているということだと思います。「今という時間」に自分の代わりになる人間がいない状態で「簡単に切り捨てられたら」…やるせないなあ……と思う次第。

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